スケーターの間では賛否両論のオリンピック。
そのオリンピックの為のプロモーション映像に俺が出演した事に対して、オリンピック否定派の人には理解できなかった人も少なからずいたであろうと思います。
特に俺の事を古くから知ってくれている人達なら、俺の様なタイプの人間が最もオリンピックに否定的なはずだと想像していた人も多かったはずです。
と言うのも、俺は25年位前にメッセージ性の強いパンクに強い共感を覚え、
それを主軸に信念を維持し、またその信念の基、今もその志を維持し今の年齢に関わらず未だ上を目指してスケートの活動を続けています。
で、その俺の要にもなっている25年前くらいから共感していたパンクの精神がどんな思想、主義、主張なのかを若い人達にも理解しやすいように敢えてステレオタイプな言い方をすると、反資本主義、反グローバリゼーション、アニマルライツ、ウーマンライツ、フェアトレード、反戦、反核、反人種差別、反同性愛差別、等々、その他、細かい所を述べだすと多岐にわたります。
平たく言うと、世の中の時流に流されず、自分自身が考えるなりの世の中の不条理にちゃんと声を上げ行動するといった所でしょうか。
ですが、その様な考えの人は文化的にも特に日本ではまだまだ少数派で、そんな少数派の考えの人達の中にはオリンピックの仕組みに諸々不条理があると考える人もいます。
そんな少数派が興味を持つような先に挙げたは概念は今でも若い人には聞きなれないかもしれませんが、当時はネット環境も無く、20代前半で知識もない中、それらの事を学ぶのは難しかった様に記憶しています。
が、今はググるだけなので本当に便利な時代になったと思います。
なので、聞きなれない言葉は自身でググって下さい。
で、それら主義主張の本質部分、一貫性のある部分を端的に言葉に表すと、俺の中では、D.I.Y.という一言に帰結するように考えています。
20年前にはD.I.Y.と言う概念もスケーターの間でも聞きなれない言葉でしたが、当時、俺がOLLIE MAGAZINEで5年間にわたり連載させてもらっていたコラムコーナーやその他雑誌でその考えを押し広げようとしていた事等もあり、当時の読者だったスケーターの若い人達には少しはD.I.Y.の概念を広める事も出来たかと思います。
そこから、更にその当時若かった人達も大人になり、更に若い人達へその概念を受け継いでいく事により、ようやく今の日本のスケートシーンでもD.I.Y.の概念も定着してきたようにも思います。
ですが、昨今のD.I.Y.ブームは本質とはかけ離れ、単にハンドメイドでモノ作りをする行為だとしてしか捉えられていない感も俺は受けています。
俺の思う、D.I.Y.の本質とは、与えられた選択肢の中で受動的に選択しているだけの行為行動を能動的に思考していると勘違いするのとは異なり、真に能動的に思考し物事を創造的に成していくという事です。
創意工夫なく説明書通りにプラモデルを組み立てる、今の時代で言うと、YOUTUBE検索で言葉の上ではD.I.Y.という言葉こそ使われていますが、そこで拾った映像の説明通りに創意工夫なくハンドメイドで何かを作る。
今のスケーターで言うと、真に創造したいという初期衝動が理由ではなく、皆がやっているから!、トレンドだから!、と言う理由でそれっぽい、それ風なだけの真の創造とはかけ離れたグリップテープジョブが蔓延しているのと似ているかもしれません。
これらは俺の考える真のD.I.Y.の本質とは根源的に性質が異なる物事です。
で、俺の考える所の「能動的に思考する真の創造性=D.I.Y.」の考えで、オリンピック否定派の人の言う所の負の要素がどの様な物なのかをちゃんと知識として捉えたうえで、ステレオタイプな思考に陥らずにオリンピックを個人の価値観を併せ捉えた時、全ての物事は対立軸で向き合っている限り双方共に生産性が無いどころか、総合的に判断してマイナスの部分も多いのではないだろうかとも考えるようになりました。
これはオリンピックに限りません。
最も大きく分かり易い最たる物事が、今の資本主義社会かなと思ったりもします。
今、述べた様に昔は資本主義に懐疑的な見方こそしていましたが、それでも常に視野狭窄に陥らない事を意識し、中立的視点を忘れ無い事を念頭に色々な経験をしてきました。
Part2 に続く。
CHOPPER(俺) & OSAKA DAGGERS と HAROSHI のオリンピックPV
OSAKA DAGGERSのインスタグラム
OSAKA DAGGERSの通販ページ
OSAKA DAGGERS web site
↓ THE BERRICSにて俺とOSAKA DAGGERSがフューチャーされた動画等!! ↓