ハイサイ!最近ですね、スケート終わりの友達との別れ際に「ハイサイ!」と言われましてね、ハイサイって英語で言う「What's up!」だからバイバイの時には普通使いません!笑
改めましてハイサイ!今日は自分の地元のことを書いてみようと思う。沖縄県は那覇市で生まれ、昭和の終わりだか平成の初めごろ普天間基地のある宜野湾市にお引越し。10歳まで過ごした宜野湾も楽しい思い出が詰まっていて今でも仲の良い友達もいるのだけど、やっぱり最終的な地元といえばその隣町、西原町。
人口4万もいない町にはこれといって遊ぶ場所もなければ誰もが知ってるような名店もない、あんまりパッとしない地域ではある。那覇市を走るモノレールが延長され、近く終着駅が開業し町の発展も期待されるが残念、それは西原町との境界線をギリギリ越えた浦添市ですから。やっぱりパッとしないのが僕の地元、西原町。
そんな西原町ではあるが今思い返してみるとスケート環境はまずまず。体育館のある駐車場にスケーターが集まるという噂を聞いて初めて覗きに行ったのが2000年。見るからにおっかない2つ3つ上のスケーター軍団(つっても中学生)が酒とタバコを嗜みながら、バイクをふかしながら夜な夜なスケートしていたんだけど、よくそんな中に入っていったもんだ。幸いにして彼らにもすんなり受け入れられ、そこは自分にとって初めてローカルスポットと呼べる場所となりました。やがてそこに新勢力、自分と同級生ぐらいののスケーターも20人ぐらい現れてシーンはそれなりに盛り上がっていた、はず。そしていつからだかローカルスポットから飛び出しストリートでスポットを探しては滑り、また次のスポットへを繰り返していた。小高い丘から海沿いに続く坂道、バンク、ステア、ギャップ、レール、縁石、ウォール...パッとしない町ながらスケートで遊べる要素はひと通り揃い、当時のスケート誌やビデオにも出た立派なスポットもあるぐらい。
しかしどこのローカルだろうと1人また1人と減っていくのがスケーターのさだめであり、西原町を拠点とするスケーターも例に漏れず生き残りはわずかとなってしまいました。あれから20年近くが経とうとし、例のローカルスポットは今や誰も集まらないただの駐車場。普段滑るローカルスポットや住む家も少しずつ変わりつつ、当時の仲間たちも気がつきゃ皆オーバー30さ。そこでせっかくの節目に、残党共が結託し映像でも作ってみようとしばらく撮影を続けてきたのがようやくここに完成。自分は沖縄に帰省し、わずかなタイミングでしか撮影できなかったので映像が少ないのですが、沖縄県西原町、こんなヤツらがいまだ楽しくスケートを続けてるんだってのを観てもらえたらなと。
なおこの映像で使用されているBGMなんですが
J-REXXX / MY TOWN feat.紅桜
映像・内容に合ったBGMでピンとくる楽曲がなかなか見つからない中、やはりこの曲しかない!!という強い思いのもと、仲間がアーティスト本人とコンタクトを取り、曲を提供して頂いたようです。自分らの動きに賛同し、快く提供して頂いたJ-REXXX・紅桜・DJ.KAJI、ならびに関係者の皆様に感謝申し上げます。
今回出演の西原町ローカルスケーターは
・オールドなスケートを見事に昇華させた滑りが独創的、最近娘も生まれたボボボボウズにヒゲ、山内コウタ
・西原の元祖テクニカル番長にして一番の天才肌、そして3児のビッグダディ、比嘉ハヤト
・この中では唯一自分と同級生、ブランクからの見事ウェルカムバックなスケーター、沢岻ユウタ
・その昔ヒルボムが誰よりも速かったのはパワスラができず坂を直下降するしかなかった説、そして映像ではパッと見おれとソックリ、新里ショウオウ
・どハンマー、テク、アールなんでもござれ、撮影に編集、さらには廃デッキで創作物までやっちゃいます、伊志嶺タカシ
・そんなタカシとは実家がベランダ同士で会話できるご近所さんのワタクシ、玉城カズアキ 以上です。
実はもちろんこの他にも西原町にスケーターは存在するのですが、例のローカルスポットを起点として集まった仲間で今回は映像をリリースしてみた限り。さていよいよ長くなってまいりましたのでこの辺で。ハイサイ!(あれっ)