「たぶん〜であっただろう」
「たぶん〜であったに違いない」
俺は子供の頃、特別バカでもなければ、特別頭が良かったわけでもなく成績は毎度「中の中」ないし「中の下」、または「中の上」ってな感じでいわゆる普通の子。
だけどそんな俺が唯一自分から率先して勉強した教科があった。それが「歴史」の授業。
当時の俺が唯一、他者に自慢出来る教科。何で「歴史」が好きだったか? その理由は結構単純。俺は昔、田宮のプラモデルを作るのが好きでね、戦車とか装甲車とか作ってリアルな戦場のジオラマ作っては1人で喜んで遊んでた。同じ1/35のフィギュアも改造したりして映画「フルメタルジャケット」に出てくる筋肉ムキムキの「アニマルマザー」を似せて作ったりとかなり気合い入れて遊んでた。もちろんBB弾の遊びにも超ハマった世代だから、とにかく銃火器に対する憧れが半端なくて。で実際にそういった武器の話しが直結する学校の授業は唯一「歴史」の授業ってわけ。
この「歴史」好きが今の自分にどれだけ役立っているか。入りはとても子供っぽい理由だったけど、このことは今も自分の創作に多大な影響を与えてる。
「たぶん〜であっただろう」
「たぶん〜であったに違いない」
「歴史」は常に塗り替えられる。たとえ100年以上過去のことでも正義がひっくり返ることもある。時の権力者に都合の良い史実しか表には出てこない時代なんてことはざらにある。
なんて曖昧な! そしてなんていい加減な!
しかしながらそれらを解明しようと奮闘する多くの歴史家や研究者たちは、その自分達の人生をかけて真実を究明する。
何の為に?
それはもちろん今後の未来の為に。
知識は他人に対して自慢する為でもなければ、他人との間に優劣を作る為でもない。正当な史実を知って皆で未来に役立てる。
「たぶん〜であっただろう」
「たぶん〜であったに違いない」
曖昧だが時に「絶対」という断定が出来ないということが「歴史」の深い面白さかもしれない。だって断定する為にはドラえもんのタイムマシンが必要だもん。
I am TAKAHIRO MORITA.
I am still searching.