スケートスクール
子供たちにスケートボードを教える?
今から約9年前、俺は雑誌でスケートボードについての連載企画を持っていた。その企画では今まで自分がスケートボードでやったことのないことをやってみるという内容だった。その企画であがったのがスケートスクールに参加して子供たちにスケートボードを教えてみるという企画。
子供たちにスケートボードを教える?
俺がやってきたスケートボードは誰かに手取り足取り教えてもらうものではなかった。何方かと言えば上手い人の技術を見よう見真似で盗み取るような感じ。時代が時代だったからしょうがなかったけどね。あったのは唯一数少ないハウツー本でアキ秋山先生や、カツ秋山先生が著書のものを読み漁って習得するテクニックくらい。
それに俺は当時、学校の集団生活なんかに嫌気がさしていた時期だったから順番待ちなど当然大嫌い。スケートボードはそんな俺が自由勝手に遊ぶには最高の代物で、最高の自己主張だった。ルールがないことに最高の喜びを感じて、ただかっこいいと思う技だけをビデオで見ては練習し、スケーターが集まってるという場所に出向いては技術を習得してきた。まぁ結構苦労して上手くなるような環境を自分で探したんだな。
だから最初その企画でスクールに参加するっていうことには戸惑いを感じた。何を教えれば良いんだよ? 勝手に子供たちの好きなようにやれば良いじゃないかって思ってた。スクール当日、俺は結構気が重くてね。俺は嘘がつけないタチだから、「は〜い並んで〜」なんて子供たちに言いたくもない。あ〜あ〜困ったな。どうやって教えりゃ良いんだよ?って思いながらスクールの会場に行った。案の定、そこではスクールに来てる子供たちを並ばせて順番待ちさせながら技術を教えていた。まぁそりゃそうだ。そうでもしなくちゃカオス状態になっちまうし、子供たちも何して良いかわからなくなっちゃう。だけども俺が好きでやってきたスケートボードは、何よりも自由。とにかく自分らしくあれ!っていうことを俺はスケートボードから学んだ。それと日本に昔からある年功序列的な考えも俺は大嫌いだったから、部活も長くは続かなかった。だけどスケートボードの世界は何よりも実力社会だった。いくら若かろうが上手であれば尊敬される。俺には最高に居心地の良い世界だった。
そんな俺が子供たちにスケートボードを教える?
会場に着いて始め戸惑っていた俺もその場にいてだんだんと考えが決まってきた。スクールに参加している子供たち。みんなちゃんと大人の先生たちにいわれるがまま、順番待ちしながら良い子にしてる。当然俺も順番待ちしないといけないだろ? 子供たちさえちゃんと順番待ちしてるのに、、、
あ〜!
俺、噓つけない〜!
大人の先生たちゴメンなさい〜!
っといって俺は子供たちに混じってガチでスケートしてしまったの。もちろん俺のいつものスピードと、俺なりのストリートマナーを駆使してガチで1時間。親御さんからのお叱りを受ける覚悟で、順番待ちも多いに無視。狭い場所にいるたくさんの子供たちを避けながら、今まで自分が習得してきた技術を存分に見せつけた。気がつくと俺の周りには数人の子供がついてきた。俺に触発されたんだろうな、順番待ちするよりこっちの方が面白そうって思ったんだろうな。だけども俺みたいなヤツは社会的にはダメなヤツだからそんなヤツについて来ちゃダメよ〜!と言わんばかりに今度はその子供たちを俺が振り払うかのようにスピードを上げて彼らを捲いた。結局最後まで俺に追いつけない子供たちを横目にスクールは終了。俺が座って休んでいると子供たちとその子たちの親御さんたちが俺の前に来た。少々やり過ぎたかな?って思ってみたもののもう遅い。あ〜怒られるんだろうな、、、って思っていると。
「今日はありがとうございました」
っていう意外な言葉。俺何も教えてないのに、、、
子供たちに混じって一緒に遊んでただけなのに、、、
このことがあって以来、俺は子供たちに向けたスクールで子供たちと一緒に遊ぶことをライフワークにしてる。もちろん教え方?はいまだにわからない。ただ子供たちと一緒にスケートボードすることで俺も多くのことを教わってる。
ただし俺以外のスクールのスタッフさんたちがいてくれているおかげで俺みたいなアホがそこでは存在させてもらっている。皆スケートボードに心救われた人たち。スケートボードは自由。心と素直に向き合って、自分と自分以外の誰かの為に最善の喜びを共有することが一つの目的。
I am TAKAHIRO MORITA.
I am still learning.