普通に考えて「入院して手術した」と言うと「大丈夫か?」と心配されたり「どうしたの?」と遠慮がちに聞かれたりすると思います。しかし今回の僕の手術はちょっと違うものでした。
スケートボードを始めてほぼ20年。人生の半分以上もスケートボードに費やしてしまった僕のスケート人生をちょっと振り返って考えてみると、わりと怪我が多かったように思います。細かいヤツはかなりありますが、この際それらはカウントするのはやめにして大きなヤツ、即病院系をダイジェストで思い返してみます。まずは20歳くらいの頃、右足のスネをぱっくりと切って即病院。この時はマーク・アップルヤードが僕のこと見てた気がするなぁ、緊張したのかな。そしてその数ヵ月後に逆の足のスネをぱっくりで即病院。どこでどうやってなったかは記憶力の悪さにより脳から消滅。その後は顔から落ちて右の頬骨骨折で即病院。確か結構夜で時間外の救急病棟に連れて行かれ、明らかに顔の形がおかしいのに美人の先生に単なる打撲と誤診されました。美人だったからまあいいか。その後は福島まで遠征して右の鎖骨骨折で即病院。脱臼と勘違いして友達に腕を引っ張ってもらったりしていたのは何の意味もありませんでした。
これらの怪我はやはり病院で診てもらっている時点では「やっちまった感」が重圧としてのしかかり、しばらくスケートできなくなったり、仕事に支障が出てしまうことに多少なりともネガティブな気分になっていましたが、冒頭で書いたように今回の入院は違うのでした。今回の故障箇所は右膝。僕はグーフィーなので右半身はいわばフロントバンパー。必然的に怪我が多いのです。
今回と言うか前からちょくちょく膝を怪我したりしていて、膝がガクガクしたり少し痛んだりするのをごまかしながら滑っていました。ちょい前にも結構激しくやっちまったのですが、それでも「ごまかしながら行けそうだな~」なんて甘い考えでやっていました。しかし今年の冬は厳しかった……。朝起きたら痛いとか、少し膝曲げると激痛を伴い膝が伸ばせなくなっちゃったりとか、膝に水がたまったりとか……。本当は自分でも分かっていたのです。もうごまかしはききません。
あきらめた僕は早速たまったツケを支払うべく大きな病院に行ってまずはMRI。結果を見た先生は一言「膝のオールスターズが全滅している」と。何回も膝を痛めたことにより、膝を支える靱帯や半月板などの主役クラスが皆揃って損傷しまくっているとのことでした。一番の痛みの原因は半月板が砕けていて間接の動きを邪魔してしまっているとのことだったので、それを取る手術の予約を即しました。半月板の手術は思っていたよりも簡単にできて入院も4日間ほどだと……。そんなもんで済むのか! 1ヵ月ほどの入院で靱帯再建、リハビリ3ヵ月、完治まで1年ぐらいの地獄プランを覚悟していた僕にとっては、入院、手術、という厳しい現実を突きつけられているにもかかわらず、天国にでも行ったかの様な気分でした。
長いこと膝の痛みと付き合い、そいつを言い訳に自然と攻めるようなスケートから遠ざかっていたような気がします。が、わずか4日の入院と約2ヵ月のリハビリでそんな気分を一度リセットできると思うと「天国」という気分もまあ間違ってはいません。やばいやばい、なんかだんだんとテンションがあがってきてしまいます。「もう早く入院したくてしょうがない。手術楽しみ~!!」というかなりおかしな感覚に陥ってしまいました。
入院当日、早起きをしてご飯を食べ、ルンルン気分で電車に乗って自分の足で病院まで行き、担当の看護士に絡んだりしながらハイテンションのまま手術を受け、夏休みの宿題を終わらせた小学生のような気分で退院。「4年近く付き合ってきた膝の痛みとついにおさらばだ」と思うといてもたってもいられなく、松葉杖でヒコヒコ歩きながら病院を出た目の前のコンビニで「絶対にだめ!」という正義の自分を張り倒し、ビールを購入。プシュ。こればかりはしょうがないと自分に言い聞かせるのでした。
そして手術から1ヵ月半近くが過ぎた今現在、もう天国は間近です。実際に前のような痛みが消えて、ちゃんとしゃがむことができるようになっているのも確かですが、滑れるようになった! 変わった! というメンタルの回復の方が大きいように思います。もしかしたらひとりでいる時とかそんなことを考えニヤニヤしちゃっているかもしれません。こんなにも自分を上げてくれるスケートボードというものに出会えて本当に良かった! スケートボードは最高だ! ありがとう!
まあ、怪我したのもスケボーのせいなんですけどね……。
Daisuke Miyajima
@jimabien
M×M×Mの敏腕スタッフにして自称映像作家のジマこと宮島大介。伝家の宝刀Fs 180フリップをなくした今、どこへ向かっていけばいいのか迷走中。本能の閃きをたよりに書き綴る出口なしコラム。