小学校低学年のころから、ずっと野球をしていて、中学になっても野球を続けていた。が、その後しばらくしてスケートボードと出会い、野球をやめてしまった。そんな僕だが、野球の他にもうひとつスポーツをしていたことがある。それは陸上。「していた」というよりは「属していた」という方が正しいかもしれない。
中学に入学し、部活というものに入らないといけなかった。僕は悩んだ。どこに入ればいいのだろう。僕の中学校はグランドが狭いため、野球部がなかった。だからそのころすでに、隣町の野球クラブチームに入っていたのだ。文科系の部活は選択肢にはなかった。いま思うと、演劇部とか囲碁将棋部とかにしとけばよかったと思ったりするのだが、当時の僕はなぜか「スポーツ系以外はダサい」という意識があった。とはいっても、もうすでに野球はしている。イレギュラーとして帰宅部という選択もあったが、入学そうそう帰宅部なんて、さすがに先輩方たちから目をつけられそうだ(その後スケボーにはまってしまい、帰宅部になるのだが)。
考えに考えた末、結局陸上部にした。小学校のころから、運動会では毎回リレーの選手だったから、走るのにはそれなりに自信があった。しかも、バスケやテニスなんかは、土日にも練習や試合があるらしい。野球チームの方は、土日に活動している。やはり、放課後しか活動していない部活の方が良さそうだ。野球のトレーニングだと思えば良さそう、という思いもあった。
陸上部の顧問はM先生という50歳くらいの人だった。メインは体育の教師、おまけに生活指導という肩書きももっている。絵に描いたような体育会系の人だった。入学してそうそう、僕らのなかでは「この人を怒らせたらいけない」という認識が出来上がった。
とにかく寡黙な先生だった。体育の授業なんかでは、その日の授業内容を説明したらあとはひたすら見守る、というスタンス。かといって、体育教師としてやる気がないわけではなく、ポイントポイントで的確なアドバイスをちゃんとくれる。余計なことは言わない。純粋に体育を愛しているようだった。
そんなM先生でも、本当にごくたまに、ボソッと、体育と関係ないことを授業中に話すことがあった。ただ、そのほとんどが、なぜか下ネタなのである。
いきなり、「お前たち。もうチ●毛は生えてるよな。まだ生えてないやつはいるか?」と話し出す。
僕たちは、まだ中学1年生。皆恥ずかしそうにしてしまう。僕はそのころすでに生えていた。たとえ、まだ生えていなかろうと、誰も決して手を上げたりすることはないだろう。M先生は、そのまま何もなかったように、授業を開始しだす。もし仮に手を上げるヤツがいたとしたら、その後どんな対応をしてくれたのだろうか。謎である。
こんな日もあった。その日は授業開始前に、出欠席を取り終えたあと、またもいきなり「お前たちは、毎朝ちゃんと朝立ちしているか?」と言い出した。
突拍子もない、わけのわからない発言に対して、うちらがモゾモゾしていると、続けてこう言った。
「オレは毎日している…」
我がクラスの男子一同、みんながこう思ったはずだ。「知るか…」と。
M先生の下ネタは、ごくたまに突拍子もなく始まる。だから、うちらが焦るのは無理なかった。「体育」というものを、愛しすぎたあまり、保健体育まで取り入れてしまったのだろうか。やはり、謎である。
中学生活にもだいぶ慣れてきた秋ごろ、僕はM先生から「職員室にきてくれ」と呼び出しをされた。
「なんだろう? いきなり」。そのころだいぶスケボーにはまりだしていたから、ちょいちょい部活をサボっていた。そのことか?
いや、M先生は生活指導の担当でもある。もしかしたら、ついこないだ公園で友達と朝まで、いわゆる「オール」をし、酒を飲んでいたことがばれたのか? タイミング的にそれしかない。やばい、相当やばそうだ。
僕はかなり焦っていた。きっと親も呼び出しされるのだろう。殴られるのか? 中学で停学とかあるのだろうか? 内申書にかなり響きそうだ。まだ、高校受験は先の話だが、もう推薦入学は厳しいな…。
そんな思いがグルグルしていた。まあ、しょうがない。僕は、極上の反省顔をクリエイトした。そして、学ランのボタンをすべて留め、いざ職員室へと向かった。
「失礼します。お話とはなんでしょうか?」
「おう。大本。お前最近なんで部活出ないんだ?」
おっ、そっちか。オールはばれてないのね。よかった。とりあえず一安心だ。反省顔からお茶目な顔に、フェードアウトした。
「いやー。最近ちょっと足痛めてまして。来週からは大丈夫っす。」
「おう、そうか。いやな、毎年冬に陸上の区大会があるんだが、その大会に走り幅跳び代表として、お前に出てもらうからな」
「はい?……区大会?」
続く
DESHI
旅とドトールと読書をこよなく愛する吟遊詩人。 “我以外はすべて師匠なり”が座右の銘。