僕のあだ名は「弟子」である。このあだ名になってから、かれこれ13年くらいになる。本名は大本芳大(おおもとよしひろ)だが、スケーター仲間から本名で呼ばれることはあまりない。何人からは「よし」と呼ばれるが、そう呼ばれると、なぜだかちょっぴり恥ずかしい。僕にとっては「弟子」というあだ名の方が、本名より自然な感覚になっているのかもしれない。最近は年下のスケーターと接することが圧倒的に多くなってきているから、「弟子くん」と呼ばれる。ときには、「弟子さん」なんて呼ばれ方もする。もうそれが普通になってしまっているが、よくよく考えると「弟子」に“くん”や“さん”が付くなんてありえない。先日、スケートのキッズスクールに参加させてもらった時なんか、キッズスケーターから「弟子先生」っと呼ばれた。「うっ…お願いだから先生はやめて」っと笑ってしまった。もう呼ばれ方がめちゃくちゃになってきている。本当に「我以外皆師匠」状態。
ところで、初めて出会うスケーターに今でもこんな質問をよく受ける。「弟子くんって、なんで弟子って言われてるんですか?」 以前、VHSMAGでインタビューしていただいた時も、この質問を受けた。
そう。僕にはちゃんと師匠がいる。
当時高校生だった僕は、師匠と出会い、師匠のローカル池袋で毎日スケートするようになった。師匠のスケートスタイルは本当にかっこよく、僕は師匠からたくさんのことを学ばせてもらった。ウォールライド、ウォーリー、ノーコンプライなどの、僕が今でも大好きなトリックはすべて師匠が教えてくれた。リッキー・オヨラやマット・リーズンをこよなく愛していた師匠から、イーストコーストのスケートスタイルのかっこよさを直々に教えてもらった。
毎日、池袋にある弁当屋のバイトを終え、その後朝まで師匠とスケートするのが最高に刺激的で楽しかった。最初は軽い気持ちで弟子志願した僕だが、この頃から師匠のことを本気で“師匠”と思うようになっていった。
この頃の僕は師匠の本性をまだ知らなかった。ただただ、クールでいけてる人だと思っていた。がしかし、実は僕の師匠は、とんでもない変人だということを後に知ることになる。
池袋へ通うようになってから数ヵ月が経ったある日、僕は池袋の先輩スケーターの家に遊びに行った。そこで、その先輩スケーターから「弟子さぁ、このビデオ見たことある? 多分びっくりするよ」と、池袋のローカルスケートビデオを見せてもらった。
僕はそのビデオのワンシーンを見て、開いた口がふさがらなくなってしまった。
そのビデオのワンシーンに師匠が出ていた。
なんとそのワンシーンで、師匠は原宿表参道のダウンヒルを全裸で下っていた。
「なんだこれは? オレはとんでもない人の弟子になってしまっている…」と驚愕した。
後日、師匠に会った時に、先日見たビデオのことを伝えた。
「師匠って、あんな人だったんですね?」
すると、師匠は照れ臭そうにこう言った。
「オレやばいだろ? おまえもあれくらいできるようになれよ」
僕は即答した。「いや、無理っす…」
でも、僕はそんなイカレた師匠にさらに引き込まれて行った。
ある日、僕はいつもと変わらず、池袋でスケートしていた。そしたら、師匠がいつもと少し違う真剣な表情で現れた。スケボーも持っていない。
「あれ? 今日スケボーしないんですか?」 僕がそう尋ねると師匠が「うん…」と頷いた。
「よしひろ。ちょっと話がある」
えっ? 何!?
そして、師匠から突然こう告げられた。
「オレ、スケボー辞めるから…よしひろ今までありがとな」
「え? マジすか?」
僕は動揺し、号泣してしまった。師匠の前で泣きまくった。そして師匠は多くを語らず、普段いつも呑んでいた「赤玉」という謎のワイン瓶を片手に去って行った。
僕は心から悲しんだ。それくらい、師匠が大好きだった。
1週間くらい本気で落ち込み、池袋にも行かなかった。で、久しぶりに池袋へスケートしに行った。
そしたら、そこに師匠がいた。しかもスケボーしていた。
「おう! よしひろ! やっぱりスケボー楽しいな!」
「えっ? 師匠、スケボー辞めたんじゃないんすか?」
「えっ? 辞めないよ。ポッポー!」とニタニタしていた。
やられた。ムカつくぜ。完全に騙された。このクソ師匠が…。
だが、僕は心から安心し、また泣きそうになった。
池袋で滑るようになってから数年が経ったころ、僕は突然病気になってしまい、入院してしまった。
入院病棟で毎日暇していた時、師匠がひとりでお見舞いに来てくれた。
「よしひろ! 久しぶり」
そのころは、師匠はあまり池袋に来なくなってきたころで、しばらく会っていなかった。だから、すごく嬉しかった。で、普段本など読まない師匠は、僕に手土産として赤川次郎の小説を持ってきてくれた。
「なんかよくわかんねぇけど、これ」
ちょっと照れ臭くなった。師匠も照れていた。
帰り際、入院病棟のエレベーターまで師匠を送り、師匠がエレベーターに乗り込んだ。
「今日はありがとうございました。また退院したら連絡しますね」と最後に師匠に挨拶すると、師匠は何も言わずニタニタしている。悪い顔だった。
エレベーターの扉が閉まる瞬間、師匠がナース室めがけて大声で叫んだ。
「よしひろが看護婦さんと、ヤリたいって言ってますよ〜!!!」
バタン‼
扉が閉まった。
突然の出来事で、何が何だかわからなかった。ナース室にいる看護婦さんも目が点になっていた。
チキショー…またやられた。残りの入院生活、どんな顔で生活すればいいのか。
僕はベットにもどり横になった。怒りをとおりこして、呆れた。「やっぱりクソ師匠だな…」とさっき師匠からもらった小説を手にした。
すると、本の隙間に1枚のメモが挟まっていた。
そこには、幼稚園児くらいの字で、
「よしひろ。また病気治ったら一緒にスケボーしような」と書かれていた。涙がこぼれた。
師匠とはもう何年も会っていない。お互い連絡先もしらない。今どこで何をしているのだろう。
「師匠! 弟子は元気にやってますよ。あなたの弟子になれて本当よかったです」
DESHI
旅とドトールと読書をこよなく愛する吟遊詩人。 “我以外はすべて師匠なり”が座右の銘。