
GSDと聞いて「Go Skateboarding Day」を思い浮かべた人も多いかもしれませんが、今回のテーマはゲイリー・スコット・デイビス、通称GSD。
1980年代に活躍したスケーターで、スケートコミュニティにとって重要な存在…という認識は以前からなんとなくあったのですが、今回このコラムを書くにあたって改めてリサーチ&お勉強してみました。
彼の名前で最も広く知られている功績といえば、やはりボーンレスの生みの親であること。故ジェフ・フィリップスが考案者という説もあるのですが、どうやらGSDの説のほうが有力のようです。
きっかけは1979年12月に遡ります。Skateboarder誌に掲載されたBsフットプラントの写真を仲間たちと眺めていると、そこから「Fsバージョンをやってみよう」というアイデアが生まれたそう。当時はまだ「そんなの不可能だろう」という空気が漂っていたものの、数ヵ月後の1980年春に仲間のひとりがついに成功。そしてその直後にGSDもメイク。先に完成させたのは仲間でしたが、アイデアを出したのがGSDということで彼が「ボーンレスの生みの親」として知られるようになりました。
ちなみに当時は単にボーンレスではなく「ボーンレスワン」と呼ばれていたようです(POSSESSEDのモデル名にもなってますね!)。その名前の由来は、仲間のひとりが持っていたパペットの名前「ハリー・ザ・ボーンレスワン(骨なしのハリー)」から来ているのだとか。
GSDの功績はそれだけにとどまりません。世界初のスケートZINE『SKATE FATE』を創刊したのも彼。さらにTrackerからリリースされた、世界初のストリート仕様のプロモデルも彼のシグネチャー。TransWorld誌ではエディターやアートディレクターを務めるなど、表でも裏でもスケートシーンを支えてきた人物です。
そんなGSDが1991年にSkull Skatesの元プロライダーであるフィル・エスベンシェイド、そしてフォトグラファーのミキ・ヴコヴィッチと結成したポストパンクバンドCustom Floorの楽曲を今回はご紹介(現在も活動中!)。とにかくGSD、マジでクリエイティブなマインドの持ち主です。
—MK