スタバをはじめ、どこもかしこも閉まってるし、スケートパークも閉鎖中で予定していたイベントも吹っ飛びまくりでWTFめ〜ん! なディストピアな東京において、唯一の救いといえば道も電車内も街中もガラガラなことくらい。普段は攻めづらいスポットなんかをここぞとばかりにKill 真っ二つ(#StayHome)。相互監視社会の自粛ポリスの目をかいくぐってゲリラ活動に余念がありま1000。それにしてもこんな長い期間、都内が閑散としているのは自分の知る限りだと初。異様な雰囲気に包まれながらもどこかエンジョイしている自分がいる、なんて言おうものなら“いい人”たちからのヤシマ作戦で殲滅させられちゃいそうなご時世であり〼。
そんなロング前置きはどうでもいいのですが、最近ふと頭をよぎるのが、エブリバディはこの状況下をどんな想いでやり過ごしているのだろうか、ということ。特に海外からの留学生だったり出稼ぎ労働者。内戦から逃れて東京ライフを謳歌中(ポッポォ〜!)なんて人も少なからずいるかとは思うけど、ほとんどの人はかつてないロンリネスを感じているのでは。そもそもつれない人間の集合体TOKYO 2020で孤独を感じないのは一部のリア充か、よっぽどのアホか不感症のみなんだけど、今の事態はネクストレベル。とはいえ、悲観していても状況が好転するわけでもないし、楽観するほどフールでもない。となれば状況を受け入れて、あえて孤独を噛みしめる作業に身を投じてみるのもひとつ。例えば、涙なくして観れない痛い映画を観る。国家やオーソリティや社会の理不尽や不条理に震えてみたり、救いのない結末に呆然となったり、同調圧力に恐怖を感じたり集団行動に嫌悪を抱いたりと。そんなコンセプトのもと、後味の悪い(?)映画を鑑賞するのもたまにはアリなのではないでしょうか。「これは通過儀式なのだ。閉塞した人類が再生するための」(ゼーレ)
─KE