YUH YANAGIMACHI
YUH YANAGIMACHI
柳町 唯
(自称印象派スケートボーダー/自称スケートボードコンサルタント)

自身が立ち上げた適当極まりないSNAKE'S PORNO WHEELというブランドを運営しつつ、ファッション誌やカルチャー誌または不動産のサイトなどでもライターをしているという謎な人。過去にビデオパート(www.vhsmag.com/features/yuh-yanagimachiなど)を多数発表しており、程よい親近感の湧く緩いトリックの数々がその筋のスキモンな方々から定評のあるスケート歴30年オーバーな日本スケートボード界の裏事情通。アメリカはペンシルベニアのLostsoul skateboardsからシグネイチャーが出ているというのも物凄く謎な経歴。
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Hideo Sakuragi

ってな具合いで、このblogは2011年9月にHIDDEN blogで書いたもののコピペですがVHSmagを見ている方にも見てもらいたいな~。と思い転載系です。

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タイトルの名前を聞いてピンっとこない人は、しっかりとこれから貼る動画とそのパートの年代を見て感じてほしい。

どんなにスゴイことかってことを。

これなんか1993年だよ!! USのメジャーデッキカンパニーのビデオでフルパートって今でもモノ凄く難しいことだよね。

そしてやってるトリックが最先端過ぎ!!

これなんか天下のスラッシャーの作品だよ!!それにこんなにものフッテージってマジでハンパナイから!!

これは96年のNCでのパート。ショップのビデオなんだけどチームメイトにはあのマーク・ジョンソンも!!

そんなチームの中でフルパートとはまさに快挙以外の何ものでもないよね。

実はそんなHideo Sakuragi氏とは俺がスケートを初めて2、3年くらいで出会ってます。まさに衝撃でした。

そして彼が高校の時にアメリカに留学しに行くってなった時もかなりの衝撃でした。

本当に当時は本場のスケートボードを帰国時に肌で感じさせてくれる半端ナイ存在でした。まさに憧れ。

当時はまさかのダニー・ウェイ達とつるんでいて当時の彼のブランドでもあるプラチナムやXYZのライダーとして活躍していて日本の誇りでした。

そんなHideo Sakuragi氏が渡米するきっかけとなったのは当時H-STREETで活躍していたマット・ヘンズリーの影響がかなり大きかったようです。

そこで思い切ってメールで「どうだったん?当時?」と投げかけた所かなりの返答があったので、本人の承諾も得てコピペします!!

↓↓↓

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初めてマット・ヘンズリーを見た時の印象は目に焼きついてるよ。

今、ビスタスニュースに出てるヘンズリーがTWS Mag. pro Spotlight で、360テールグラブしてるキャプリチャペルって場所でバンドの連中と10台近くのヴェスパに乗った連中が目の前通り過ぎたんだけど、

ヴィスタキッズスケーターがみんな手をふってヘンズリー!って呼んだら、こっち向いて手をふって、

20分後に一人で板を持って戻って来てくれて、俺、生唾ごっくん。俺がフロントノーズブラントを縁石でやってたら、近づいてきてバックサイドノーズブラントやりだして、なかなかメイク出来なく諦めて俺がずっとやってたフロントノーズブラントを三回位でクリーンメイク!思わず大声でYeah~!て歓声。

ヘンズリー、俺の方見て猿顔でニコッて笑ってた。

あと、俺がヴィスタで一人で夜連してたある日、ヘンズリーが板持って現れて俺がレイトショービットしてたらバックサイドレイトショービットしてきてあの日もやばかった。

ヘンズリーがシカゴに引っ越しすると聞いて仲が良かったスティーブ・オルテガ、マリオ・ルバルカバ、H-STREETのビデオでスイカ食ってショベル!って言ってたブランドン・ショベルと仲間内のクリス・ホイでヘンズリーが住むアパートに送別に行ったんだけど、

既に引っ越した後に壊れたヴェスパがドア前にあってガランとしたアパートの部屋の中間にスティーブ・オルテガが飲んでたビール瓶を小さな声でFuckって言ってポイって捨てたのがヘンズリーのヴィスタでのスケートシーンの最後だったよ。

俺が渡米したのが1991年8月1日で、1988-1990後半がやはりヴィスタで最高のシーンだったんだと思う。

ダニー・ウェイもヴィスタを大切にしてて、引っ越してきた俺の事を大切にしてくれた。

スティーブ・ロコのオフィスに連れていってくれてワールドのスポンサー推薦してくれたり、ダニーの豪邸ハウスにパーティー呼んでくれたり、

俺が学校の為に引っ越した後もプラチナムにスポンサービデオ送ったらヒデオは入れてやれってカンパニーに言ってくて俺をフックアップしてくれたし、

オーシャンビーチの縁石で滑ってたらダニーが金髪女をナンパしてたらしく海から出てきて、俺見てナンパやめてこっち来て、

「あの女いいのか?」って聞いたら「あーあれ、どーでもいーよ」って言って、今どこ住んでるんだって聞いてきたり、俺もウンドコスケーター(神奈川県逗子市の伝説のスポット)と、Vista Local Skaters (Team VSL)になれたんだなって思うとスケートやってて良かったと思うよ。

今しか出来ない事って今やらなきゃ意味がないと思う。1991年の話。

まー、そんな感じ。

あとダニーとの想い出は、俺が200ドルで買って無免で乗り回してた中古スクーターにダニーが二ケツしてタコベルに行ったんだけど、

そのスクーターが超遅くてDCのオーナーのケン・ブロックが歩いてるスピードの方が早くてケン、爆笑してた。

あと朝方、ダニーが彼自身のシグネチャデッキにもなったショットガンで缶打つ音で起きたのが印象的で忘れられない。

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少し読みやすいようにリライトしましたがこんな答えが返ってきました。

PLAN Bが設立される前の怒濤のスケートシーンを本場で体感し近くで見て来た人の話は大変興味深い!!

いやいやいや~、スケートボードって本当に素敵ですね!!

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