Photo by Noriyuki Sekikawa, Special thanks: Sonik Distribution
VHSMAG(以下V): Emericaに加入したきっかけは?
ケヴィン・ロング(以下K): ガキの頃にビデオを送りつけたんだ。
V: スポンサー・ミー・ビデオ?
K: そう。でもポール・ロドリゲスやマイキー・テイラーがéSのライダーだったから、よく一緒にSole Tech(※éS、Emerica、etniesの親会社)に行ってたんだ。そこで当時のチームマネージャーだったジャスティン・リーガンにフックアップされた感じ。
V: 2000年代初め頃?
K: そうだね、2002年だったかな。
V: それから2003年に『This is Skateboarding』がリリース。これが実質的にデビュー作だよね。
K: あれは自分にとって大きな出来事だったしマジで楽しかった。当時はまだ子供だったからアンドリュー(・レイノルズ)たちと一緒に滑ることができて夢が叶ったような感覚だった。それにあのビデオは当時の大作。そんな作品に出られたことが信じられなかった。
V: 同じ頃にTampa Amで優勝。2005年に『Baker 3』、そして2010年に『Stay Gold』。順調にキャリアを積んでいったわけだけど、パーティにハマってスケートから離れた時期があったって聞いたことがある。当時はどんな感じだったの?
K: その時期は結構長く続いたんだけど、当時は怪我が続いた時期でもあった。そんな中でパーティ三昧のライフスタイルにシフトしてしまった。怪我も重なってパーティが増えて、スケートする時間が減っていった。その結果、Bakerからオレのシグネチャーデッキが出ないようになって、Emericaからのギャラもストップしてしまった。要はスポンサーをすべて失ってしまったんだ。スケートはしていたけど気持ちが離れてしまっていた。それで酒を断ってライフスタイルを変えることにした。最初に感じた変化はスケートとの向き合い方。酒をやめたことでまたスケートに対する気持ちが戻ってきたんだ。スポンサーも復活して、ここ4年は原点の『This is Skateboarding』の頃のようなフィーリングを取り戻すことができている。子供の頃に戻ったような感じだ。
V: IDに出てもらったとき、“トラウマ”という質問に対して“火をつけられたこと”と答えていたよね。ひどい火傷をして大変だったみたいだけど、それもスケートから離れていた頃の話?
K: そうだね、まさにその頃の出来事。でも誤解のないように言うと、スケートから離れたことは一度もないんだ。ずっと滑っていたし、一般的に見てもかなり滑っていたと思う。ただプロスケーターとしての基準を満たすことができていなかった。
V: フッテージを撮り溜めるという基準?
K: その通り。フッテージを撮り溜めることができず、ただ滑っていた感じ。毎日ストリートに出て撮影をしていなければならないのに、それができていなかった。さらに当時は体調も良くなかった。その頃に、例の火傷事件が起きたんだ。かなりめちゃくちゃなパーティをしていて、Neck Faceがオレを怖がらせようとライターで火をつけたんだ。これはあくまでも事故なんだけど、シャツが燃え上がって胴と脇にひどい火傷を負ってしまった…。しかも思ったよりひどくて2週間の入院。皮膚の移植手術も何度か受けなければならなかった。頭皮を脇に移植したんだ。マジで最悪だった。
V: でも当時は火傷を負ったままオーストラリアツアーに行こうとしていたんだよね?
K: そう。自分の容態がわかっていなかったんだ。もしそのままツアーに行っていたら、飛行機の中で激痛が襲ってきていたはず。しかも想像を絶する激痛。神経も火傷を負っていたから、まだ痛みを感じることができていなかっただけだったんだ。今思えば恐ろしい。
V: そうして火傷の地獄を克服、断酒もしてスケートに集中するようになったわけだ。
K: 家族とも言える仲間たちといい関係を保って、またチャンスを与えてもらえたのは本当にありがたいことだと思う。酒をやめてクリーンになったとき、アンドリューたちが応援してくれたんだ。あれには助けられた。ただただスケートに専念することができたんだ。好きなことを続ければ幸せになれることを実感した。そうしてスポンサーも戻ってきた。マジで幸運としか言いようがない。
V: シグネチャーデッキがまた出ると知ったときの状況は?
K: スクールヤードで滑っているときにサプライズされたんだ。オレの名前が入ったデッキをみんなが何枚も持ってきたんだよ。「プロに復活だ」って。感動したよ。初めてプロに上がったときよりうれしかった。
V: そりゃ感動するよね。それから『Made: Chapter 2』を撮ったんだよね?
K: 初めはジェリー(・スー)のパートで何カットか出れればというスタンスだった。ただEmericaの仲間たちとまた一緒に滑れるのがうれしくてたまらなかった。そこから始まって、次第にフルパートを撮ることになったという感じ。ジョン・マイナーやバッキー(※Emericaのフィルマー兼チームマネージャー)とまた撮影できるのもうれしかった。シラフになったばかりだったから専念できるプロジェクトがあって良かったと思う。今でも復活している途中という感じ。スケートをして身体をケアすればするほど気分も良くなっていく。だから今が一番楽しいと思える。
V: スケート以外にアートにも専念しているよね。Bakerのボードグラフィックも手がけているし。アートを始めたのは?
K: 子供の頃からずっと絵を描くのが好きだった。いつもスケッチブックを持っていたし、スケーターならみんなある程度アートが好きだと思う。自分のデッキのグラフィックを描いたり、他のプロのグラフィックを描いたり。RVCAやEmericaにグラフィックを提供することもあるしいい感じだよ。自分の作品が商品になると思うと、それなりのものを残さないといけないと思うし。たとえ才能がなくても底力を発揮することができる。すべてはスケートのおかげ。
V: 自身のアートのスタイルを言葉で表現すると?
K: 言葉で表現するのは難しいね。でも東京でやったアートショーの作品はドローイングばかり。絵の具を使ったり。アートは鑑賞者がどう感じるかに委ねるしかないと思う。でも東京で展示した作品は自分の経験や瞑想の産物。誇張してはいるけどね。
V: なるほど。では最後に、Emericaからリリース予定のシグネチャーシューズについて聞かせて。
K: これもまたしても夢が叶ったようなプロジェクトなんだ。デザイナーとしっかりコミュニケーションを取って、ずっとほしいと思っていたシューズを完璧に形にすることができた。デザインは控えめだけどかなり現代的。それ以外、何と言っていいかわからないけど最高のシューズ。楽しみにしてて。
1984年生まれ。ロサンゼルス出身。シンプルながらもハイセンスなトリックチョイスで人気を集めるBakerのプロ。アーティストとしても数々のブランドに作品を提供。代表作は『Baker 3』や『Made: Chapter 2』など。
@KevinspankyLong