僕は今年で30歳になる。いわゆる三十路というやつ。10年前の自分は30歳なんて超大人だと思っていた。普通に結婚し、家庭を築き、安定した収入を得て、精神的にも相当大人になっていると思っていたに違いない。だが、今その年になり、そんな10年前とさほど変わっていない自分がここにいる。
もし、10年前の自分にメッセージを送ることができるなら「やあ。30歳のデシだよ。キミには残念なお知らせだか、30になっても今のキミと対して変わらないよ。精神年齢なら、もしかしたら今のキミより低いかもしれない。結婚もしてないし、相手すらいない。ただ、毎日好きなことして楽しんでるよ。最高に変態でイケてる仲間ともこれからどんどん出会うよ。そこだけは安心しな」としか伝えられない。年齢がひとつひとつ上がっていこうが、自分としては過去の自分となんら変わってないように思う。
ただ、こうやって年を重ねていくなかで、ひとつ思ったことがある。それは「だんだんと幼い頃の記憶が消えてきてる」。
日常の中で、ふっと自分の幼い頃の記憶が蘇ることがあると思う。でも、年を重ねるうちにそれらの記憶を思い出せなくなっているのではないか? むしろ、忘れてしまったことすら気がついていない。年をとるということは「新しい未知なる出来事を経験すると同時に、今まで経験したことを忘れていく」ということなのかと?
そう思うと少しさみしい気持ちになる。幼い頃に経験したいろいろな記憶が少しづつなくなってしまうのだから。まあ、その分思い出したくないことや、嫌な出来事も忘れてるのだから、しょうがないことだとは思うのだが…。ただ、そんな自分自身の幼い頃の記憶の中でも、今でも鮮明に思い出せる出来事はまだまだある。それらの記憶をひとつひとつ思い返すと、あるひとつの共通点が見つかった。
それは「年上の人と接した記憶」がかなり多いということ。
いとこのお兄ちゃんと1日中ファミコンをしたこと、公園でたまたま出会った兄ちゃんに駄菓子をおごってもらったこと、知らない兄ちゃんと野球やコマやメンコをしたことなど。今でも、そんな年上の人と接した記憶は、その時に何を言われたか、何をしたか、どこにいったか、鮮明に思い出せる。ということは、年上の兄ちゃんと接した出来事というのは、幼き自分にとって最高に刺激的でワクワクすることだったのだ。非日常だった。でないと、今でもこうやって思い出せることはできないだろう。
2年ほど前、僕はフォトグラファーの井関くんと、東京の外れにある、超極上天然アールスポットへ撮影しに行った。そのスポットで無事撮影を成功し、しばらくメイクの余韻に浸っていた。そんな時に、スポットの影からひとりの男の子がジーっとこちらを見ていた。おそらく、5〜6歳くらいの子。
スケボーが気になってるのかなと思い、僕はその男の子に「乗ってみる?」と声かけてみた。その子はおそるおそる僕の方に来てくれた。もう一度「乗ってみる?」と声かけた。すると、最高にモジモジしながら「怖いから見てるだけでいい」と。
なんか、声とか表情とかモジモジ具合とかが本当にパーフェクトな男の子で、僕もそのまま帰るのがさみしくなってしまった。「じゃあ好きなだけ触っていいよ」とスケボーを渡したら、少し笑顔になり、ウィールをコロコロしたり、持ち上げてみたりと、徐々に僕に心を開いてくれるようになってくれた。どうやら、その子はすぐ隣の団地に住んでいるらしく、ベランダから僕らの撮影を見ていたようで、思わず下まで降りてきたらしい。僕もうれしくなっちゃって「お兄ちゃんはスパイダーマンだよ‼ ビルなんか平気で飛んじゃうよ」とかなりダサイことを言い放ち、その子の前で普段できないフリップを、くるぶしくらいの高さでメイクした。
「すごーい!」
少しは喜んでくれたようだ。
その子とはその後、サンタさんの話や幼稚園の話などをし、ほんの10分くらいだったが、本当に心癒される時間をもらった。その子との別れ際、こんなことを言われた。
「今日のことは、ママには内緒にするね…」
普段から親に「知らない人としゃべっちゃダメだよ」と言われているのだろうか? それとも、本人からしてみれば、すごく年上の人と接するということが、ちょっぴりいけないことだと感じてるのだろうか? 理由は何にせよ、僕とのたった10分間の出来事は、その子にとって非日常だったのだろう。僕が今でも憶えている、幼いころに経験した非日常と同じように。
あの時の男の子も、これから小学校、中学校、高校、そして大人になるにつれて、たくさんの経験をしていく。また、たくさんのことを忘れていく。しかし、あの時の男の子が今の僕くらいになったころ、街の中でスケーターを見かけ、「そういえば、オレが小さい時にスケボーやってる兄ちゃんとドキドキしながら話したことあったな。なんか自分のことスパイダーマンとか言ってたな。今思うとかなり痛い人だったな」と、少しでも僕のことを思い出してくれるかもしれない。
もしそうなれば、ちょっぴりうれしいな。