Special columns written by skaters
スケート識者たちが執筆するスペシャルコラム
HIROKI MURAOKA

現在もっとも乗れている日本人スケーターのひとり。スケートのスキルに加え、ペインターとしても非凡な才能を持つ。

第15回:Brothers

 「スケートボードを始めたきっかけは?」という質問をよく耳にする。「友達がやっていた」、「雑誌で見てかっこいいと思った」など人それぞれだと思うが、僕の場合は兄だった。兄が熱心にスケボーをしている姿を見て、面白そうだと思ったのがスケートを始めたきっかけ。
 自分には5歳年上の知樹(ともき)と6歳年上の巨樹(なおき)というふたりの兄がいて、どちらもスケボーにドップリはまっていた。
 スケートビデオやスケート雑誌を見て「かっこいい」と口を揃えて言っている彼らの眼はとても輝いていた。僕はそんなふたりにべったりくっついていた。学校が終われば一緒にスケボーをやりに行き、休みの日には隣町にある高架下のスケートスポットについて行った。その中で小学生は僕ひとりで、他は中高生の兄の友達だった。その中に、近藤広司や細田大起の姿もあったのを覚えている。結局のところ僕は兄と遊ぶのが刺激的で楽しく、兄は僕を遊び道具として楽しんでいた。
 その頃の僕のファッションといえば、坊主に膝近くまであるダボダボのTシャツを重ね着し、薄い青のデニムをダボダボに履き、adidasのスーパースターの黒ベース白ラインをタンをべろりと出して履き、bitchのカバンを背負っているようなBボーイ風キッズだった。これもすべて兄の仕業。お下がりを着せて「洋樹はこの格好の方がかっこいいよ!」などとはやし立てていた。
 兄たちの着せ替え人形的扱いを受けていた僕は、The PharcydeやA Tribe Called Quest 、時にはRamonesを聴かされ、’90年代のスケートビデオを観たり、WarpやFineといったファッション&スケート誌を読んだりしていた。
 当時はかっこよさもよく解っていなかったのだろうが、洗脳されたようにスケートカルチャーにのめり込んで行った。そのうち自分でも靴をシューグーでベタベタにし、GAPの網ベルトを付けDCのキーネックレスをベルトから垂らすなど、今では消え去ったファッションに身を固め、少ない情報を下に当時の“最前線?”を追いかけた。

 これが僕がスケートボードにのめり込んで行った経緯だ。今考えると、僕のスケートボード人生の始まりはすべて兄からの影響だった。そして兄はスケートボードがファッションや音楽やアート等のカルチャーと深く関わっていることを教えてくれ、僕はスケートボードの面白さに虜になったのだ。
 僕たちの関係は今でも変わらない。実家に帰ると、三兄弟で滑りに行くのが恒例で、この時のスケートボードは最高なのだ。
 こんな兄弟を持てた僕は幸せ者なのかもしれない。

左、村岡巨樹 右、村岡知樹

左、村岡巨樹 右、村岡知樹

左から、巨樹、洋樹、知樹。村岡三兄弟。

左から、巨樹、洋樹、知樹。村岡三兄弟。

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