Words by Colin Read Photos courtesy of Cole Giordano (Morita photos) & John Lindsay (Colin portrait)
森田貴宏との撮影
森田との撮影は、魚の学校で学ぶようなものだった。先頭の魚が突然右に曲がれば、後方から続く魚も瞬時に右に曲がる。オレはヤツと同じ思考を共有しているという感覚を持つように努めた。なぜなら、それが森田のスケートだからだ。一直線にフルプッシュしたかと思えば、考えられないような鋭い角度で突然方向を変える。ヤツの動きを予想し、わずかな動きの変化も見逃さないようにしなければならない。
森田はこれまでに撮影したスケーターの中で一番大変だった。初めて一緒にスケートをしたのは、NYCで開催された『Soleil Levant』の試写会の後。コナー・カメラー、そして森田の奥さんたちと談笑しながらみんなでバーへと歩いて向かっていると、森田がオレと一緒にプッシュしたいと言い出したのだ。オレはみんなに数分後にバーで会おうと言い、急いでカメラを取り出して先の角で待っている森田を追いかけた。「用意はいいか?」と森田。すると次の瞬間、ヤツの姿が消えた。いきなりハウストンStを、車を避けながらフルプッシュで走り出したのだ。オレは精一杯、ヤツの後を追いかけるしかなかった。森田はタクシーを猛スピードで追い越して、そのタクシーを軸にいきなりUターン。オレはびっくりして地面に空いた穴にウィールがはまり、タクシーにそのまま激突。それでもオレたちは走り続けた。何度か車に轢かれそうになったが、森田は気づいてすらいないようだった。ひたすらスネークスタイルでくねりながら猛スピードでプッシュしていく。最高に楽しかった。車を避けながらフルプッシュすることに快感すら覚えたほどだ。
気がつくと、オレたちは予定よりも長い時間スケートをしていたようだ。みんなが待っているであろう方向に向い、ようやくコナーたちと合流することができた。でも、ひとり足りない……。「森田の奥さんはどこに行ったの?」 彼女がいなくなっていたのだ! 彼女を置き去りにしてしまったことを悔やんだ。携帯電話を持っていないし、英語もあまり話せない。そんな彼女が行方不明。結局、彼女はみんなで行くはずだったバーで待っていた。フォトグラファーのコールが迷子になった彼女を発見し、バーまで連れてきてくれていたのだ。オレたちは彼女を置き去りにしてしまったことで少々怒られたが、結局は笑い飛ばしてくれた。森田がどのようなスケートをするか、そしてどうがんばってもヤツを止めることなどできないことを彼女は熟知しているのだ。
森田とクイム・カルドナとは古い仲だ。ということで数日後、オレはクイムに連絡をしてセッションをすることにした。クイム、ビリー・ローハン、そして森田とローワーイーストサイドで落ちあい、数時間、トリックというよりはクルージングを楽しんだ。最高の時間だった。クイムの愛犬がソリ犬のようにクイムと森田を引っ張っている。やがて、NYCの有名なスケートスポットであるアスタープレースの黒いキューブに到着すると、カーブセッションが始まった。そして、ビリーがキューブを叩いてビートを鳴らすと、クイムがフリースタイルをかます。その模様をすべて記録していたのだが、ビリーがカメラのマイクを前夜に壊してしまっていたためお蔵入りとなった。音声なしでも、素晴らしいフッテージであることは変わりないが。森田との撮影の模様は、『Tengu: God of Mischief』にも少しだけ収録されているのでチェックしていただきたい。
『Tengu: God of Mischief』のディレクター、コリン・リードがNYCで撮影した森田貴宏のフッテージ。
『Tengu: God of Mischief』
本作『Tengu: God of Mischief』の制作期間は約2年半。撮影を始めた頃は、このプロジェクトのアイデアすらない状態だった。それがオレのやり方。何も考えずに撮り始め、フッテージがたまっていくにつれてアイデアが生まれる。撮れたフッテージが持つ共通点から、作品にハマるテーマを発見するのだ。
撮影を開始してからつねに一緒に動いてきたのがコナー・カメラー。それは作品にも表れている。ちゃんとパートを持っているのはヤツくらいだから。というわけで、コナーがパートナーとして制作を手伝ってくれた。ヤツは素晴らしいスケーター、ミュージシャン、そして最高の男だ。ヤツのパートの音だって、自身で制作したものだ。コナー以外にフルパートを担当しているスケーターはいない。でもそれでいいのだ。予想できない作品のほうがおもしろいものだ。フルパートばかりでは飽きてしまう。誰が出てくるかわからないほうがエキサイティングなのだ。
オレにはオレなりのフィルムメイキングの方法がある。オレにとって、スケートビデオで最も大切なのはフロウだ。パートからパートへのつなぎ方。ひとつのパートが終わり、何の脈略もなく次のパートへ移行するのは好きじゃない。パートとパートのつなぎ目が重要なのだ。オレはパートとパートの間で暗転するのが好きじゃない(暗転することに意味があればそれでもいいが)。だから『Tengu: God of Mischief』は、パートからパートへ、止まることなく流れていく構成になっている。「このパートが終わった。じゃあ次のパートを観よう」と思ってほしくない。作品をひとつの旅のように感じてもらいたいのだ。屋上からストリートへと下り、地下へと潜り、SFへ向かい、そしてNYCに戻ってくる……。これは感覚であり、表現である。そんな作品に仕上げられたかどうかはわからないが、こんなヴィジョンを持って本作を制作した。
パートが街から街と移行するフロウを作り出すために、ありがたくも数名のフィルマーが協力してくれた。ザック・チャンバリンがSFの地下鉄のパートを撮影してくれ、ヨアン・タイランジーがボルドーのプッシュやメトロのパートを撮ってくれた。ふたりとも才能あふれるフィルマーだ。ヤツらの協力なくして本作はこのように完成しなかっただろう。
そして、本作のタイトルに使った“天狗”という言葉。天狗はスケーターと同じく、カオスと混乱を招き、権力者たちを困らせ、自然の秩序を乱す。そして、夜、暗くなると動き出す。山を越え、地中に潜る。このような天狗の動きが、屋上や地下鉄でのスケーティングを連想させたのだ。そして、何よりも、オレは日本のスケートに深く影響を受けたため、敬意を表するために日本の“天狗”という言葉を使わせていただいた。『Tengu: God of Mischief(天狗:いたずらの神)』。これ以上に完璧なタイトルはないだろう。
『Tengu: God of Mischief』から、“San Francisco Subways”のパート。
アンダーグラウンドなスケートを記録することで知られるNYブルックリン在住のフィルムメイカー。代表作は『Mandible Claw』、『Mandible Claw 2: 561 to NYC』、『Tengu: God of Mischief』など。