Special columns written by skaters
スケート識者たちが執筆するスペシャルコラム
LAURENCE KEEFE

エンゲル係数高すぎスネークスタイルで、世界の秘境をスケボー片手に渡り歩くザ・トラベラー。合言葉は「旅の恥はかき捨て」。
ローレンス流、地球の歩き方。

第15回:アメリカ東海岸から西海岸へ。PART 1:ニューヨーク編

 これまでで一番楽しかった旅は、21歳の頃に3ヵ月を過ごしたアメリカへの旅。所持品はイギリス〜アメリカ間の往復フライトチケット、現金約$2,000、そしてスケートボードのみ。

 アメリカにはほとんど知り合いがおらず、ホテルに宿泊することを考えるとたった$2,000の所持金では1ヵ月ももたない。オレはアメリカへと向かう機内の中で不安に震えていた。バーかどこかで、どうにかバイトをして滞在費を作ろうと考えていた。しかし、そんな不安とは裏腹に、結局オレはバイトなどせずに一度も宿泊費を払わずにすんだ。まあ、テント暮らしを強いられた期間はあったものの、得意のスネークスタイルでスケーター宅に泊まらせてもらえることになったのだ。

 NYで連絡を取ることができる知り合いは、当時バルセロナで一度だけ撮影をしたことがあったパトリック・ウォールナー、そしてアメリカへと発つ1ヵ月前に知り会ったドレという男だけ。パトリックはオレがNYに到着した1週間後にイギリスに引っ越すということだったので、代わりにドレがオレの助けとなってくれた。ヤツは天使のようだった。NY中の無名のスケートキッズたちにいろんなギアや宿泊場所を無料で提供し、オレにも例外なくそうしてくれた。際限なくデッキ、ウィールやシューズを無償でくれたのだ。こんな経験は人生で後にも先にもこの一度きり。ヤツはオレのボロボロの洋服をすべて捨てるように言い放ち、オフィスにある古いサンプル品を山のようにくれた。先日、気付いたのだが、オレは今でも当時もらったそのシャツを着ている。

 というわけで、オレは宿泊先とフリーギアをゲットしてNYの街を探索しながらスケートを楽しみ、特大の$1ピザを食らった。NYのピザは安くてでかいのだ。宿泊先では、ドレが拾ってきたホームレスのスケートキッズがベッドをすべて占領していたため、オレはソファの側の床で寝ることになった。初めの数日間は、オレの夢遊病によってソファで寝ていたヤツを驚かしてしまったかもしれない。オレは深夜にムクッと無意識に起き上がり、壁に向かって大声で叫んでから、またスヤスヤと眠るという癖があるのだ。同居人たちは楽しい連中ばかりだった。ブラジルからやってきたガキに40ozのOl’ Englishという安ビールを飲ませたことがあったのだが、ヤツはそれを飲んだ瞬間、マーライオンのようにゲロを玄関の階段にまき散らした。超ギャングスタだろ? そのときに知り合った数人は、後にVisualtravelingのツアーにスケーターやフォトグラファーとして同行することになった。

 NYでのハイライトは、当時Echo やZoo Yorkと関わりがあったG-Unit Clothing(ラッパーの50セントのアパレルブランド)のオフィスに好き勝手に出入りできたことだ。ちょうどG-Unit Clothingが倒産寸前だったためオフィスには誰もおらず、悪ふざけしてXXLのゴールドジーンズや毛皮のコートを拝借してナイトスケーティングに出かけたり、オフィスで鬼ごっこしたり、特大TVでスケートビデオを観たりして楽しんだものだ。

 そうして1ヵ月ほど床で眠る生活を続けるうちに、ベッドが無くても文句を言わない貴重な女と知り合うことができた。なんという幸運! オレたちはパンツだらけの床の上で寝た。そして、ふたたび旅立つときがやってきた。本コラムのパート2の舞台はアメリカ西海岸。そこでは実にめちゃくちゃな時間を過ごすことができた。女装をし、人喰い虫に遭遇し、ホームレスになり、ポルノ女優と知り合い、そしてメキシコへの逃避行をし(これは失敗に終わったが)……。乞うご期待。


NY滞在中に撮影されたローレンスのクリップ集。NYではずっと99¢の甘ったるいArizonaアイスティーを飲んでいたようです。

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