ノー・コンプライ(以下ノーコン)が再び陽の目を浴びて嬉しい! 最近若いスケーターもノーコンを多用しているのをしょっちゅう見かけるのですが、よくよく考えるとリアルタイムでノーコン時代を通ってきていないヤング層にとっては、僕ら(中年、いや、ナイスミドルね)とは別の感覚でノーコンを捉えているのかもしれません。古い技ではなくて、新しい技って感じで。ともあれ、’80年代後半にニュートリックとして台頭したノーコンですが、’90年代に入るとフリップ系やスイッチ系のトリックの潮流に隠れて、長いあいだ絶滅危惧種として指定(?)されていました。それから時代は二回りして、散々ハイテクなトリックをやり尽くして弾切れ感が強くなったタイミングで、温故知新とばかりにノーコンはシーンにカムバックしたのです。
ノーコンの流行りを最初に作ったのは、自分が記憶している限りだとPowell Peraltaの『Public Domain』(’88年)、『Ban This』(’89年)あたりのレイ・バービーとマイク・ヴァレリー。ヴァレリーのノーコンが剛(動)であるのに対して、バービーのそれは柔(静)。ヴァレリーさんの男気ノーコンの烈しさをベトナム戦争映画で例えるのであれば『フルメタル・ジャケット』。一方、バービーさんのノーコンさばきの美しさは『ディア・ハンター』とでもいいましょうか。両者の芸術とも呼べるノーコンは、YouTube等に上がっているので平成生まれのスケーターにもぜひともチェックしてもらいたい。
そんなふたりのすぐ後にシーンに姿を現したのが、サンディエゴ発のブランドH-Streetのふたり。看板ライダーのマット・ヘンズリーと伏兵だったオーシャン・ハウエルもまた、ノーコンの使い手としてH-Streetとともにスケートシーンを席巻した立役者たちです。インディーズブランドらしい、ホームビデオで撮影・編集したチープな感じが妙にリアルで斬新でした(後にPlan Bを設立した故マイク・タナスキーが映像担当)。そんなふたりのノーコンさばきもまた、個性的で素晴らしいのでこの機会に興味のある方にはチェック願いたい。ちなみにマット・ヘンズリーは『プラトーン』で、オーシャン・ハウエルは『7月4日に生まれて』だと勝手にイメージしております。終わり。
–KE