Interview by VHSMAG
VHSMAG(以下V): まずは現在の活動内容を教えてください。
野上“ヴェニス”竜也(以下N): 大阪でDorcus Top Breeding Systemというブランドの運営とスケート関係の輸入代理店、Greenlight Apartmentを営んでいるおっさんスケーターです。
V: 40歳でパートを制作しようと思ったきっかけは?
N: 円ハゲになったんだよ! 2013年冬に突如この症状がやってきたんだ。Expressionのチームメイトのカズ2(薬師神和昭)に「ヴェニスさん、ヒゲの一部分生えてないっすよ(笑)」と言われ「まじでー! ほんまやなー(笑)」という何気ないいつもの談笑から始まった。そこから大して気にもせず、2ヵ月くらいが過ぎたある日、行きつけの焼き鳥屋さんのCa/she/waでまた事件は起きた。かわい娘ちゃんに左後頭部に10円ハゲを発見されたのだ! 酔っ払ってたからアルコールの力を借りてその場はなかったことにしてやったけどね。いつもキャップを被っているし、3mmの坊主頭なのでさほど気にしなかったんだけど、実は短いほど目立つね(笑)。ハゲ部分を撮って仲のいい後輩、TBPRのシンペイ(上野伸平)に写メを送りつけたりしてたよ。その後、重い腰を上げて皮膚科に行ったら、ブランニューハゲがふたつ発見されて合計3つになったのだ! 多発性円形脱毛症というどうでもいいトリック名にランクアップした。でも、3つはさすがに笑ってられないと、3mmでカットしていた髪も3~4cmに伸びていたのでいっそのこと0mmにしてやった。ちょうどこの時期は自分が所属するスケートボードアウトフィットブランド、Expressionの『Ride Pride』の撮影が終盤を迎えていた頃で、休日はスケートの撮影に全力を注いでいたんだけど、このタイミングで今度は腕を骨折してしまったんだ。しかも2ヵ月連続で左肘と右人差し指の骨折。指の骨折は入院と手術を余儀なくされて、同時にでかい病院でハゲも診られた(笑)。でも残念なことに3つだった円ハゲちゃんは5、6個になり、しかもお隣さん同士がくっつき始める多発融合性円形脱毛症というどうでもいい複合トリックにランクアップ。そんな複合トリックをメイクするならフロントリップからスイッチクルックスとかをメイクしたかった。SNSで文章だけの発信だと読んでくれた人に「あらまぁかわいそうに」、「大変だなー」、「大丈夫なんですか?」と暗い気持ちにさせそうだと思ったから、自分らしく今の自分を伝えるためにはどうするべきか考えた結果、パートを作ることにしたんだ(笑)。そんな自分勝手な思いつきから始まった。骨折によって『Ride Pride』でやり残したこともあったし、いいきっかけだったね。ハゲに感謝。
V: 『Ride Pride』から間もないパートの公開となったわけだけど、今回のパートのテーマやコンセプトを聞かせてください。
N: 『Ride Pride』で本当は終わらすはずだったんだけどね……。やっぱし目標がないと腐っちゃうから自分で目標を設定した。ハンドレールを決めてキャップをぶん投げてハゲ頭がキラーンってなるのがいいな! ってのがテーマだったかな。この歳になってハンドレールに挑むのは恐怖だったけど、キラーンっていう映像がどうしても欲しかったからね。でもいつも坊主だからインパクトがあまりなかったっていうのがオチです……。
V: 40歳を控えてパートを制作するにはそれなりの覚悟と根気が必要だと思います。それでもパートを制作しようとした理由は?
N: 『RidePride』プロジェクトが終わり、これからは自身のブランドであるDorcus Top Breeding Systemのために全力で取り組めるんだってのもこの撮影をしてる間に気がついた。現在はライダーという立場もあるけど、自分で会社を立ち上げてサポートする立場にもなって、自分たちの会社のためにも何か動き出さなきゃいけなかった。映像は昔から横にいる親友や後輩たちが第一線で頑張っていたから、その領域に入ることに戸惑っていたし避けていたんだけど、自分のブランドに賛同してくれているライダーたちが何を求めているのかを考えた時、物品やお金のサポートだけではなく、目に見えないものやチャンスに繋がることをサポートするのが大事だと思ったんだよね。そのツールとして映像は外せないという結論に達したよ。気付くのが遅かったけど、映像制作のトップをいつも横で見ていたから目は肥えていたしね。中途半端な作品は出せない。まずは自分の本気を見せないとライダーたちも本気になってくれないと思ったのから、撮影は短いスパンだったけど本気で行ったよ。
ヴェニスが運営するディストリビューション、Greenlight Apartmentにて。
V: では撮影期間を教えてください。
N: 週1回の撮影を3ヵ月間続けた。おそらく日数で言えば2週間くらいの撮影で撮りまくった。ベストパートではなくて今を伝えたかったからね。だから履いているAREthのシューズが全部同じ(笑)。スケートのレベルはさておき、「敵は自分」、「撮ることに意味がある」、「乗ることに意味がある」、「発信することに意味がある」と自分に言い聞かせてね。これはスキルうんぬんじゃないんだ。このビデオパートは『Ride Pride』の延長戦のようなもの。観てない人は『Ride Pride』から観てください。
V: 撮影はどのようなプロセスで行いましたか?
N: 自分はいきなりスポットへ行ってトリックをメイクできるスキルは持ってないから、やるトリックを頭の中で決めてリストアップし、それにあったスポットを探し、スポットが決まれば何度も下見に行って、地形や距離感なんかをシミュレーションした。そして練習を重ね、本番の撮影の日は時間を無駄にしないよう効率のいい撮影を心掛けた。ほぼビデオカメラマンの福ちゃん(福永貴之)とタイマンだったよ。身近に有能なビデオカメラマンはたくさんいるけど、みんな個々にレーベルやブランドを抱えているから頼むことができず、最初はビデオカメラマンがいない状況だった。でも昔から一緒にスケートや虫捕りをしている福ちゃんが「撮りたい」って言ってくれて。福ちゃんはこのパートを機会に撮り始めたっていう、まさに撮影環境はゼロからのスタートだったね。撮影はひとりではできないから本当に感謝だね。そういった部分でもチーム編成は大事だと再確認させられた。個人で動いたけど、ひとりじゃ形にはできないね。
V: 撮影中に怪我などさまざまな障害があったと思います。一番大変だったことは何ですか?
N: 今回の撮影はできることを優先して撮影していたから怪我もほとんどなく順調だったんだけど、終盤の、ラストトリック撮影前夜に膝をやっちゃったね。ティーザーで公開しているんだけど、橋の鉄柵からトランスファーのテールスライドの着地でミスっちゃって膝を捻挫した。それで1ヵ月休養したね。
V: では撮影を重ねてもっともうれしかったことは何ですか?
N: んー……メイクした時はいつも嬉しい! あとは自分のために仲間が快く協力してくれたことで完成できたし、関わってくれたみんなの気持ちがなにより嬉しい。
V: ゲストスケーターのフッテージが数カット入っているけど、この面子を選んだ理由は?
N: 昔から時間を共有してきた親友に出てもらったよ。Expressionからチームメイトのおっくん、オレはShelterからもサポートされているし親交の深い神戸からもひとりお願いしたくてヒデキング、StrushやVivo、Expressionにも所属しているカズ2、そして最後に尊敬できる弟子であり親友であるTBPRのシンペイだね。関西を代表すると言っても過言ではない陣営に援護してもらったんだよね。Expression、Strush、TBPR、Vivoというファミリーの融合を意識した。これはオレにしかできないんじゃないかな。
V: では使用楽曲について聞かせてください。
N: ビートメイカーのYakkleにビートを提供してもらって、Shing02とSpin Master A-1、謎のラッパーのV-1さんが参加しているね(笑)。当初はShing02に「ラップしてくれ」ってお願いしたんだけど、「自分でもラップした方がいいよ。とりあえず録ってみなよ!」って話になって。彼はいつもチャレンジさせてくるからね。最終的にShing02のラップ、Spin Master A-1がスクラッチで参加してくれて、NorikiyoやEmi Mariaのビートメイカーとしても知られるNao the Laizaがマスタリングしてくれたんだ。この組み合わせもオレにしかできないんじゃないかな。Shing02とは以前、DorcusでTシャツやデッキのコラボレーションをしていたんだけど、アイテムだけのリリースじゃみんなに気持ちや想いが深いところまで伝わらないと思っていて、いつかラップでもコラボレーションして気持ちを伝えることができたらなと考えていたんだよね。Shing02との作品は”Hold on to your Dreams”と題していて「夢を持ち続け好きなことをやり続けよう」というメッセージがこもっています。曲のタイトルは“Veni(sic)”だけどね(笑)。Shing02が命名。宝だね。
スケート歴25周年を記念してExpressionからリリースされたShing02とのコラボデッキのアド。
V: 40歳でパートを制作したことはスケートキャリアのひとつの区切りとなったと思います。これまでの活動を振り返って、一番印象に残っていること、思い出深いことを教えてください。
N: これまで27年スケートしてきたけど、海外にスケートしに行ったことが最高だったかな。Zoo Yorkのライダーをしている時に行ったNYの生活は一生の思い出だし、今でもオリジナルのZooファミリーとは繋がっているからね。今回のパートの名前のタグはすべてZoo Yorkの創立者であるイーライ・ゲスナーが書いてくれたものなんだ。もうあのスタイルは書かないって言っていたけど、「ヴェニスは昔からの友人だから書くよ」って言ってくれた。震えたね。サンディエゴで3ヵ月生活した時に仲良くなった友人とも最近Facebookを通じて20年ぶりにコンタクトがとれたよ。スケートボードひとつで世界がひとつになれるんだって感覚を肌で感じられた。スケートボードに感謝! 最高だ。
1999年に訪れたNYにて。イーライ・ゲスナー、ロザリオ・ドーソン、ハロルド・ハンター、ジェフ・パン、アンソニー・コレアなど、そうそうたる面子とのスナップショット。
これまでのスケートキャリアの中で出演してきた国内外のスケートビデオの数々。
V: 歳を重ねてようやく理解できたことなどありますか?
N: 自分はただただスケートが好きなんだなと思いました。今更スポンサーを獲得しようとしているわけでもないし、レベルやスキルもないのに、今でもパートの制作に打ち込むんだからね。まぁ、自分が好きなんだろうね。オレを見て! 的な(笑)。これからもKick and Pushです! でももう怪我はできないな。これ以上両親に心配はかけられない。
V: では最後に一言お願いします。
N: アラフォーの鈍さ、重さ、適当さ、エゴを堪能してくださいね! 私の友人はふたり、大きな病と闘っている。白血病と闘っているチュウと悪性リンパ腫と闘っているカッキー、彼らの復活を願いこのパートを捧げる!
1974年12月17日生まれ。’90年代半ばにスケートチームSantを立ち上げ、ハンドレールに果敢に挑むスタイルで関西のスケートシーンを牽引。現在はExpressionの一員、Dorcus Top Breeding Systemのディレクター、関西スケーターの頼れる兄貴として活動中。