Interview by VHSMAG, Photos by Tomonori Taneda courtesy of Advance Marketing
VHSMAG(以下V): Blindに加入したきっかけを教えてください。
堀米雄斗(以下H): 2015年にアメリカでVolcomとBerricsのコンテストがあったんですが、その大会の後すぐに帰国するのはもったいないから、当時LAに住んでいたフィルマーの鷲見くんのところに泊まることができて「せっかくだから撮影しよう」ということになりました。その撮影時にミッキー・パパがいて、一緒に撮影をしていくうちに「デッキはどこがついてるの?」と聞かれて「日本のブランドがついてる」って言ったところ「Blindどう?」って向こうが聞いてきたから「好き」って即答して。最初はそこまでの話だったんだけど、その後もう1回一緒に撮影回って、結構難易度の高いトリックをメイクした時に、ミッキー・パパがBlindのチームマネージャーに推してくれて僕のことを気に入ってくれて、Blindに入ることになりました。
V: Blindにはどんなイメージを持ってたの?
H: テクニカル系ってイメージがありますね。ライダーはミッキー・パパとコーディ・マッケンタイア、TJ・ロジャースが好きですね。
V: 実際にそのチームの中に自分が入るようになってどう?
H: いや全然まだまだなので、彼らを超すくらいの勢いでがんばっていきたいと思っています。
V: Blindのウェルカムパートの前にBerricsからBangin!が公開されたけど、どういう経緯で撮影されたの?
H: 最初にロングレールでのFs 5-0をメイクしてたんですが、Blindのチームマネージャーから「The Skateboard Magの撮影でもう1回5-0をやってほしい」って連絡があり、撮影のためにアメリカに行きました。その時、時間が余ってたので「Bangin!の撮影もしない?」ってチームマネージャーが手配してくれて、それでBangin!の撮影ができることになりました。
堀米雄斗がフィーチャーされたBerricsの人気企画、Bangin!。
V: まず5-0の撮影があって、その後にBangin!だったんだね。
H: 服が青いときの映像は2回目に写真のために来たって感じですね。The Skateboard Magに使われてた写真は実際は後から撮ったもので、もうその前に1回メイクしてて。で、1回メイクしたときに「ヤバイから写真の撮影もしよう」って呼ばれて撮ったって感じです。最初にメイクした時はビデオだけで写真は撮ってなかったんです。
V: 何発くらいでメイクしたの?
H: 50-50をまず2回決めて、そっから5-0を1回ミスって、その後すんなりできました。
V: あそこでロブ・デューデックが50-50をやってたっていうのは知ってた?
H: 知ってました。
V: 何段だったの?
H: 20段です。
ロングレール撮影の舞台裏を収録したBerricsの企画、Process。
V: 日本人がアメリカの有名なスポットで、有名スケーターのトリックの上をいったって多分初めてのことだと思うんだけど、それについてはどう思う? あと、日本人がアメリカの有名なブランドのチームに正式に加入するってかなり久しぶりのことだと思うんだけど。
H: トリック自体はもう自分ができることを頑張ってやるって感じですけど「5-0があったらみんな注目するんじゃない? インパクトもあるから」っていうのはあって。で、頑張ってやりました。最初はだいたいフロウからみたいな感じなんですけど、あっちがうまくやってくれて…。僕も超びっくりしてて。でもBlindに入ってすごい良かったです。すごくブランド側が動いてくれてて、こっちが言ったことも大体やってくれるし、あっちからも話が来る感じなんで、今すごくいい状態ですね。だから鷲見くんとかに感謝ですね。
V: では、その5-0も収録されているBlindのウェルカムパートについて聞かせて。
H: ラストトリックのカーブが一番大変でした。あれが全部で6日間くらいかかってて。台湾にそれを決めるために行くみたいな感じで行って、ほぼ毎日それをやってたんですけど、1日3~4時間かけてもメイクできなくて。で、1回日本に帰ってきて、日本でもちょっと練習して。で、あの横浜のスポットに行った時は2回乗れたんですけど、すごくスケッチーでダメで。最終的に、次の次の日ぐらいに行って、そのときは30分くらいで乗れましたね。あのトリックが一番辛かったです。
V: テクニカルなトリックと、シンプルだけどデカいトリックってどっちが難しいの?
H: デカいほうが怖いですけど、テクニカルのほうが全然難しいですね。
V: ハンドレールとか入るときは怖い?
H: 怖いですね、最初のときは。慣れるまでは怖いです。
V: パート撮影で印象深い出来事があったら教えて。
H: アメリカで撮影している時に、自分ができるトリックはちょいちょいあったんですけど、過去に技をいろいろやられ過ぎてて、自分のトリックが全然できなかったっていうのが難しかったですね。
V: スポットで「この技もやられてる。あの技もやられてる」ってことでしょ?
H: それが一番難しかったですね。かなりトリックが絞られました。あと、結構頑張ったトリックとかでも、すでにやられていたりインスタとかで上げられちゃってたりとかするとすぐカットなんで、結構頑張ったトリックもカットされました。
V: パートのラフ版を観たけど、実はHollywood 16でBs 360もやってたよね。
H: あれはMooseがかなり前にやってるの知ってたんですけど、そのときはBlindのパート用って感じじゃなかったんで。
V: 出来上がったパートを初めて観た時どう思った?
H: 粗編と全然違くてびっくりしたんですけど、ちゃんと形になってて良かったです。でもトリック的にはまだまだできるんで、次頑張りたいと思います。今回も自分ができるトリックをもっとやりたかったんですけど、日本だとキックアウトが早いのでスポットがむずかしくて「アメリカであのときやってれば良かったな」っていうのが結構ありますね。
BerricsのNext New Wave企画の一環として公開されたBlindのウェルカムパート。
V: 今回の撮影期間は?
H: 最初はアメリカで鷲見くんと撮った映像で出すって感じだったんですけど、Blind側のオファーでちゃんとしたフルパートで出すってことになって、日本とかでも撮ることになりました。撮影期間は半年くらいだったと思います。撮影ばかりですごい辛かったです。鷲見くんと撮影しているときはあんま練習とかもしてなくてメイクできない時とかも結構あって、すごい辛かったです。本当に毎日撮影で、スポットとかも見てみないとわからないから、行ってみるとイメージと違かったりとかで、すごい辛かったです(笑)。
V: パート公開後の周りの反響は?
H: 「パートやばかったよ」とかいうのは結構ありましたね。パークとか行くと、たまに知らない人に「パートやばかったですね」とか言われます。
V: アメリカ滞在中、食事の不便はなかった?
H: 住んでるところの近くに日本スーパーがあって、鷲見くんとよく自炊していましたね。野菜炒めばっか食べてました(笑)。
V: アメリカと日本でスケートの撮影の違う点などあったら教えて。
H: 日本はあまり学校の中とかスポットはないんですけど、LAは土日とかは学校の中がメインみたいな感じで、すごくいっぱいスポットがありますね。そして怒られないですけど、たまに警察が来ちゃうと切符を切られちゃう感じです。でも、厳しいところはすごく厳しいですね。LAのダウンタウンとかはすごく厳しいです。
V: 言葉の壁ってどうだった?
H: なんとか適当にフィーリングで頑張ったって感じですね。「明日どこいく?」とか「なに食べたい?」とか「疲れてる?」とか「どこのスポットに行く?」とか簡単な質問だけだったんで大丈夫でした。ミッキー・パパの家にいた時は鷲見くんがいなかったんですが、みんなオープンな感じなんでうまく行けましたね。
V: やっぱり今後はアメリカを拠点に活動していくの?
H: はい。Blindのパートも出て、ちょっとだけ存在を知られてきたと思うんで、今行きたいんですけど…。でもアメリカで活躍したいと思っています。高校を卒業してからあっちに留学とか頑張って住んで活動していきたいです。住むとしたらLAのサンタモニカとかが一番いいですね。ミッキー・パパがサンタモニカに住んでるんですけど、ストーナーパークとかに5分で行けたり、コートハウスにも3分で行けたりとか、すごくいい場所なんです。
V: アメリカで一緒に動くのは?
H: Blindのライダーが多いですね、撮影とかで。フィルマーはBlindとかPlan Bとかを撮影しているマイク・アルデイプと動いています。
V: ところで、Blindのチームマネージャーのビル・ウェイスって昔、すっぽんぽんでバーチカルで540やってたの知ってる?(笑)
H: 知ってます(笑)。すごく良くしてくれる人です。
V: 影響を受けたスケーターは?
H: 日本だと池田幸太さんとか戸枝義明さん、海外だとシェーン・オニールとか好きですね。
V: 話は変わって、この間のREAL TOUGHNESSはどうだった?
H: すごいイベントで緊張しました。セクションはちょっとアプローチが短かったですね。
V: ストリートで作品を残すこととコンテストで結果を残すことって違うものだと思う?
H: 撮影だと自分のベストな状態で出したいし、自分超えできるぐらいのパートをつくりたいですね。コンテストは自分のできることをやるって感じです。
V: スケートがオリンピックになることについてどう思う?
H: いいと思います。とくにオリンピックは意識してないですけど、出れたらいいなって感じです。
V: 自分が思うプロスケーター像とは?
H: みんなから憧れられる存在、みんなが目指す存在っていうか、そんな感じになりたいです。プロデッキを出すためにアメリカに住んで活動していきたいです。それで人に知られて、もっとヤバい認められるパートをつくってコンテストも頑張りたいです。
V: では、今後Blindでやりたいことを聞かせてください。
H: 9月にBlindのジャパンツアーがあるんで、日本のいろんなところにツアーで一緒に回れたらいいですね。
V: では最後にひとことお願いします。
H: 最近、コンテスト目指して頑張っている人が多いので、それ以外にもストリートとかで撮影したパートも観たいですね!
日本のスケートシーンの次世代をリードする17歳。Blindのオフィシャルチームに飛び級で加入した逸材にして、国内外のコンテストで素晴らしい成績を残している。
blindskateboards.com