今日は皆さんご存知、終戦の日である。
それに併せ(というか、単なる偶然の必然かは分からないが)、FESN.TVのTEST08 放送日でもある。
で、なぜ半ば無理やりにも見えるように話をつなげたかと言うと、すでに知っている人は知っている通り、FESN森田氏が手がけるLIBEからは、こんなDAME TEEも出ている。
いうまでも無く平和への意識が高いと言う事だと思う。
だが、平和と言うのは口で言うほど簡単なものではない事は現在の世の中を見ての通り。
このBLOGはあくまでもSK8に特化するべきなのかもしれないので、あまり政治色の強い(というほどでもないが)個人的見解等を述べる場所ではないのだろうが、このBLOGが始まる時にもすでに述べているとおり、個々個人のアイデンティティはその人のスケートにもおよそ反映されると思うので、あえてたまには少し述べさせてもらおうと思う。
で、話を戻すと、恒久的平和を望んだ時に求められる前提条件の一つとして、常日頃の日常生活において能動的に“相互理解”を求める事が重要である事は理解に難しくない。
と言う事は、単純に逆説的に“誤解”、“無理解”、が存在する限りは恒久的平和は永遠に訪れようが無いという事実を全ての人がしっかりと理解し、その理解に基づいた実生活を送らなくてはならないという事にもなる。
だが、なかなかそうもいかない事も世の中には多い。
勿論、退廃的な生き方を送っている人に関しては個人の問題なので別として、受動的ではなく能動的に物事を考察し想像力を働かせる意識、志の高い生活を送っていても“誤解”を生んでしまう事は世の中によくある。
回りくどくなったが、例えば、数回前のこのBLOGでの“森田VSチョッパー”のアップ後にもその様な事があったので俺自身が驚いた。
早い話、「チョッパーって、森田君と仲悪いの?」的な誤解である。
どこをどう読んでそう勘違いされたか個人的には正直理解に苦しむ(笑)。
だが、実際問題そう思ってしまった人がいたわけだから無視するわけにはいかない。
と言うのも、俺は通常BLOGを書くにあたり、断り書きが無い場合以外は、時間の許す限りは精査、推敲する事を心がけ“誤解”の無い文章になる事を目指している。
実際、その時々で違うが数十回読み直し、書き直している。
(ですが今回は今日中にアップしたいので、精査、推敲できていない事を先に述べておきます。)
となると、もはや“書く”というよりかは、文章を“創る”という意識で志高く書いているつもりだ。
同じく、逆に文章を読む時も、志高く筆者がどういう意図で一語一句を選んだかをより深く理解する為に、熟読するようにし理解に苦しめば何度でも読み直しているつもりだ。
そして、最終的に筆者の側の文筆能力の問題なのか、それとも俺の読解能力の問題なのか、に白黒をつけ、仮に筆者の側の文章自体に問題があったとした場合、その筆者なりに持ちえる能力の限界を目指した上での文章上の問題なのか、それとも単に志が低く精査推敲を怠った為に起こった文章上の問題なのかも切り分け判断し評価対象としている。
そんな意識で文章に取り組んでいるに関わらず、俺が文章で表現したい事の本質の理解を促せず、誤解を受けてしまった問題の本質はどこにあるのだろうか?
(先に述べたように、開き直りでなく、俺は自身に対しても、他人に対しても、同じように平等に、事実としてその個人の能力の限界値を超えた事を求めるようなナンセンスな事は目指していないので悪しからず)
この部分を紐解けないと恒久的平和は目指せるわけもない。
そんな気持ちで常に物事とむきあっているので、もし熟読を怠り自身のボキャブラリーで勝手に都合よく誤解して解釈されたなら、俺には責任はとれない。
例えば“森田VSチョッパー”の中で細かい所を説明しだすとキリが無いので一つ挙げるなら、正に起承転結で重要部分であろう“結”の部分で「とにかく、皆も一度、FESN.TVチェックしてみて下さい。」と締めくくっている。
“結”であるこの部分を読んで、俺と森田の仲が悪いと捉えられる理由が俺には分からない。
勿論、さらに補足すると俺なりの文章の整合性はまだまだあるが、この文章ですら熟読する気がない人には無意味になるのでこれ以上は補足しない。
それらの説得力があるであろう諸諸条件も含め、文章を総合的に読んで、本当に俺が森田の事を批判していると感じたのだろうか?
この答えは俺の個人的経験上の事実に照らし合わせると、これら誤解、無理解の大半は読み手が熟読していないが為に起きている場合が多い。
これは、勿論、俺の逆切れでも無ければ、ディスでもなんでもなく、経験上の統計的な事実だ。
話を少し戻し、うろ覚えな情報なのを前提で、例えば日本の教育では「多くの犠牲者を出した原子爆弾!!」なのに対して、アメリカの教育では「更なる犠牲者を減らす為に戦争を終結に導いた原子爆弾!!」とされていたらしい。
ここで問題なのは、どちらが正しいかと言う水掛け論にしかならない討論を繰り返してしまう思考停止とも言える論点である。
本当に重要なのは“どちらかの正否”ではなく、“最終的な目的”が“恒久的平和”である事をぶらさずに“相互理解”を目指す事である。
要は双方の立場に立った多角的視点で見ない限り、無用な水掛け論、負の連鎖が永遠に続くと言う事である。
年齢層が低いであろうスケーターに向けた文章にしてはトゥーマッチになってしまった感があるのでこの辺で終わりにするが、結論は俺も森田も平和を目指し望んでいるし、俺はそんな森田に対して、また勿論、スケート業界における森田の功績に対してもかなりの敬意を持っている。
滑り手としても大好きな一人だし、さらに言うなら、森田の評価が映像に関しての事ばかりな事に少し腹を立てているくらい、俺は森田のスケートのファンでもある。
なので、若い人には、俺の文章能力の不足で俺と森田が険悪な仲だと誤解させ嫌な気持ちにさせてしまったのなら、申し訳ないです。
が、もしかすると今回書いた様に誤解した側の捉え方に問題があったのかもしれません。
いずれにしても、もし平和を望んでいると口に出すのなら、真の事実はどこにあったのかと言う事を自己批判も含め考えてもらえるきっかけになれば、今回の俺の文章の一連の流れはプラス方向の物へと転じさせる事が出来るのではないでしょうか。
とにかく、俺も森田の絶大なる支持者の一人であり、ライバルでもあり、友人であるとも思っています。
と言う事で、そんな熱い森田が力を入れている本日のFESN.TV、皆さんも是非チェックしてみて下さい!!
(といいつつ、俺はライブでは見れませんが(笑)!!)