—-Facebook Kizan supportより—-
日頃より柿沼鬼山へのあたたかいご支援と応援、ありがとうございます。
さて本日3月20日は、柿沼鬼山の誕生日です。彼の45回目の誕生日に、
柿沼本人よりメッセージが届きました。
長文です。ぜひお読みください。
暦の上では、桜の花咲く春風の季節を迎えます。
皆さん、おはようございます。柿沼喜残です。
大変ご無沙汰しております。
現在、僕は約4ヶ月間、入院生活を送っております。
去年の12月、友人を訪ねて行ったオーストラリアで、
(これはお医者さんのカルテに記載されていたストーリーですが)精神的疾患が原因となる行動で大怪我となり、
約1ヶ月間、意識不明の状態でした。
怪我の経緯、具体的な行動の内容については、僕自身、全く記憶がありません。
オーストラリアにいたはずが、日本の大学病院でかすかに意識が戻りました。
これまでの人生にはない、初めての大怪我、身体中に装具を着けられた自分、
病院のベッドに到るいきさつ、現実の受容、混乱する頭でいくら考えても、全身の痛みは消えず、
初めは自分が今どこにいるのかさえ、全く分かりませんでした。
看護師さんが日本人である事、そして、家族の献身的なお見舞いのお陰で、
漸く自分の状況が分かる様にはなりましたが、朦朧とする意識と激痛との格闘は続きました。
意識不明のまま年を越し、2ヵ月間に渡り、3回にも及ぶ大手術を経て、点滴などの装具が少しずつ外れ、
意識がしっかりと戻って来ましたが、身体中の痛みが強くなるだけで、
現実を受け入れる事がなかなか出来ませんでした。
2月に入り、激痛と言える様な痛みは少しずつ減りはしましたが、慢性的な鈍痛に変化しただけで、
痛み自体が消える事はありませんでした。
その後、大学病院での治療を終えて、寝たきりの状態から自分の力で動ける様になるために、
3月初めからリハビリ専門の病院に転院し、現在は少しずつリハビリを続けている毎日です。
退院出来たとしても、車椅子生活となることは免れません。
脊髄損傷という大怪我により、下半身が思う様に動かせず、身体中の部位に支障が出ています。
これまでの人生、これまでの生活とは全く違う道を歩んでいかなくてはなりません。
今の自分の気持ちを端的に表すなら、オリンピックではなく、パラリンピックが気になる、
今日この頃です。
入院生活が長いので、インターネット系の情報は全く途絶えています。
時折面会に来てくれる、実の兄から、たくさんの友人達が、
色々行動してくれているという事を耳にしました。
「皆さん、本当に本当に、有り難う御座います。」
今、僕の置かれた立場、家族やたくさんの友達たちの事、自分自身の身体の事、今後の事。
意識不明の12月から先月中までは、自分の身体の事ばかり考えていました。
眠れないほどの痛みがずっと続いていたり、寝たきりの生活で気持ち的な不安と焦燥感に囚われ、
ひたすら病室の天井だけを見上げている毎日。
死んだ方がましだと、何度も思いました。
未だに痛みは消えません。
特に下半身は、麻痺から来る激痛もあります。
しかし、意識がはっきりと戻って来て、家族や兄の存在の有り難さ、自分を取り巻く友人達の言動などを聞かされ、
大人として、男として、そして一人の人間として、身も世もなく、情けないほど泣きました。
担当の看護師さんに心配されるほど、涙が溢れて、止まりませんでした。
現在リハビリの真っ最中ですが、関節が固まってしまっているため、自分で靴を履いたり、
一人で車椅子に乗り移る事も出来ません。
ほぼ寝たきりの状態が続いています。
それでも、ほんの少しずつではありますが、快方に向かっています。
退院出来たとしても、障害は残りますので、以前の様なフットワークでは動けません。
脊髄損傷という大重体、全身に大怪我をしましたが、
奇跡的に右腕だけは損傷がありませんでしたので、書道のアートワークは続けていく所存です。
この場をお借りして、ご迷惑をお掛けしたたくさんの皆さんに、全身全霊の魂を込めて、深謝致します。
本当に済みませんでした。
そしてまた重ねて、ご心配をお掛けしたたくさんの皆さんに、全身全霊の魂を込めて、深謝致します。
本当に有り難う御座いました。
これまでもそうでしたが、僕は書く事が好きで、それしか考えられない、不器用な男です。
今現在は、拾った命の新しいスタートを切るために、病院で毎日リハビリをしていますが、
歩けなくなる事は間違いないと思われます。
足が動かせないなら、残された右腕で、ひたむきに、謙虚に、何より真面目に、
尚更書の道を歩んで行くしかないと考えています。
今後は、アートフォームとしての書道を軸とし、カリグラフィ・デザインの追究に力を注ぎ、
精一杯書道を続けて、アートの力で、皆さんに元気な姿をお見せして行く所存です。
これからも何卒、宜しくお願い申し上げます。
平成29年3月20日
喜残 謹書