Takahiro Morita
Takahiro Morita
森田貴宏
1975年生まれ 東京中野に拠点を置くスケートボード映像プロダクション「FESN (far east skate network)」を主宰。'95年からFESNとして数々のビデオ作品を発表し、その独創的なプロダクションスタイルから国内だけでなく世界中のフォロワーを持つ。'70年代後期アメリカ西海岸でサーフィンの流れをスケートボードにいち早く取り入れた伝説のチーム「ZEPHYR」を継承するボードメイカー「Z SKATES」の日本支部「TOKYO Z BOYS」のメンバーとしてキャリアスタート。'90年代はストリートを中心に日本各地で行われるコンペティション、デモンストレーションに参加しながら自身のビデオ制作を中心に活動。現在は自身のスケートをさらに進化させるべく、乗るボード自体をデザイン、制作する本格的なスピードクルーザーショップ「FESN laboratory」を経営する傍ら自身のクルーザースケーティングを広めるべく各地でデモンストレーション活動を行っている。
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OPSB / NEW ALBUM!!

皆様お元気でしょうか?

久しぶりの雨に神経痛持ちの僕は少し翻弄されながらも、今日も今日のするべく仕事をし、先程終わらせました。

ということで、今回の熱烈投稿通信この度は、僕の中野の仲間達の紹介をしたいと思います。

その名も!!

「OPSB / ONE PEACE SESSION BAND」です。

今をときめくスケーターで構成されたOPSBのメンバー達。

左から吉田良晴、後藤リュウノシン、ポンチの3人。

中でも左端の吉田(良く晴れること)良晴と、僕、森田貴宏との出会いは中々オツなものであったことを今でも良く覚えていまス。

今回はそのOPSBの起点となった人物、吉田(良く晴れること)良晴の話をしようと思いまス。

↑吉田(良く晴れる)良晴氏

彼との出会いは97年。

同年、僕がFESNとして発表したスケートビデオ「東西南北」を出して少し時間が経ってからだったと思う。

今から考えるとあの時期位から僕を取り巻く環境が目紛しく変わってきたように思う。

これが昔出したビデオ「東西南北」のジャケ。(Ackyジャケットデザインありがと!)

では、何が変わってきたか?

それはね、、、僕の地元「中野」に大量の若者達が各地方から住みに来たりしたんでス。

みんな各地方で僕が作った「東西南北」を見てくれてたらしく、どうせ東京に出るなら「中野」に行こう!ってなってくれたらしい。

専門学校などが多くある土壌的理由から、多くの地方出身の若いスケーター達がここ「中野」を目指して来てくれた。

でも中には「中野」には来たが、上手く馴染めず近所のスーパーで働くだけの者、近所には住んだけど、遠目で中野サンプラザを見るだけの者も居たことを知っている。

反面、僕を含めたオリジナルの「中野」ローカルスケーター達は、ちょうどその頃いろいろあった。

くだらないゴタゴタで本来仲が良いはずの仲間達がスケートに集まらなくなった。

スケートを止める者、他所で続ける者、旅に出る者。

その中でも僕は旅に出る者だった。地元が何やらつまらなくなり、刺激を求めて旅に出る。

そうして日本中、旅を続けていた僕がたまに地元へ帰ると、そこには見知らぬスケーター達が沢山居る。

昔ながらの仲間は消え、新しい顔ぶれ達が揃う。その新しい顔ぶれは皆、どこか僕に対してギコチなかった。

そうして僕はさらに地元で滑ることをしなくなった。

あれだけ毎日居た「中野サンプラザ」にもほとんど行かなくなったくらいの時期、その前述した良く晴れる男、吉田良晴が「中野」に現れたのである。

その頃、僕は1人でビリヤードにハマっていて地元に居る間は、ほとんどスケートせずに1人でビリヤードにハマる日々。

いつものようにFATBROSにいると、そこへ遊びに来た青年から声をかけられる。それこそが今のOPSBを作った男。

通称良く晴れる男、吉田良晴だった。

「森田君ですよね?今度一緒にスケートしましょうよ!」良く晴れる男、良晴氏は満面の笑顔で僕に語ってきた。

しかしマイペースな僕はそんな彼をスケートではなく、その当時ハマっていたビリヤードに誘い込む。

スケートボードをやる気満々の男を、ビリヤードへと連れ出してしまうのであった。(ゴメンヨ良晴氏)

案外玉突きが「イケルクチ」の良晴氏を今度は「中野」で見つける度に玉突き場へと誘い出す。

かれこれ何回行ったかな? 結構一緒に遊ぶ機会も増え親交も深まってきた位の時、僕にBSチャンネルのテレビ取材の話が舞い込んできた。

「森田さんが撮影している姿を取材したい」とのこと。

そのときタマタマ僕の1番近くに居たスケーターこそ彼だったのである。

モンド総合研究所 〜SANPO-X 森田貴宏 3 (1997年)

↑その時のテレビ映像がこれ!

実はこの時撮影したタイミングが僕と吉田(良く晴れる)良晴氏が初めて一緒にスケートする記念すべき日だった。(00:22~00:45らへん)

映像にもあるが、何度も何度もF/Sスミスグラインドをトライする若かりし日の良晴氏。おまけに僕も長髪で若い、、、(笑)

結局メイクはなかったが、彼のスピリットは僕に伝わった。それ以来僕は、彼をビリヤードメイトだけでなく、スケートも一緒にするようになっていった。

スケートボードで生活する夢を胸に、故郷である青森県三沢市から僕の住む東京「中野」に来た良晴氏。

「中野」に住み着いた若い世代のスケーターの中で、唯1人僕に向かって「スケートしましょうよ!」と全身で誘ってきた男。

長い年月、ここ「中野」でFATBROSのライダーになることを望み続け、他店からのスポンサーの誘いを断り、一途に目標を追い、ゲットした良晴氏。

2004年には共に旅行したヨーロッパで、僕達は共に世界一のオーリーを見て、世界一のジョイントもキメた。

僕達は何よりも世界最高と呼ばれるモノが見たくて、世界最高と呼ばれるモノを知りたかった。

次には、僕達が世界最高になってやるっていう夢を見続け、諦めずに「今」も己を鍛え続ける。

僕達はお互い「今」もやり続けている。

彼は「今」、音楽をやっている。

彼自身のスケートへの情熱、そしてスケートからのインスピレーションを全て彼自身の音楽へと注ぎ込む。

楽器をやり始めたのはOPSBメンバーの中でも極端に遅い。

だけども、彼の持ち前の努力でスキルは埋まり、その音楽センスは他を凌駕する。

↑吉田(良く晴れる)良晴氏の笛を吹く勇姿

先日彼らOPSBの2ndアルバムが発表された。待ちに待った2ndアルバム。前作からの真価が問われるモノは常に今だ。

だけど本当に素晴らしいアルバムになっている。ここ最近聞いた中ではダントツのヘヴィーローテーションアルバムだと思う。

この場を借りて、ここを覗くみんなに紹介したいのでス。(僕も御恥ずかしながら声だけ参加させて頂いた。)

(僕とサボの声がウルサかったらゴメンナサイね、、、)

 

そして先週末、6月7日にはアルバムリリースパーティーも「中野ヘヴィーシックゼロ」にて行われた。

結成当初から彼ら全員を知る僕にとっては特に素晴らしいライブだった。ライブを見ながらいろんな思いがこみ上げた。

そしてFESNとしてはその模様を撮りました。皆様に早く見てもらいたくてダッシュで作りました。

この映像の続きも後々、皆様にお届けします。

それではどうぞ御覧下さい。

OPSB NEW ALBUM “WHEELS ON DENPA” RELEASE video01

(ライブに来てくれた皆さん、僕とサボの声がウルサかったらゴメンナサイね、、、)

↑映像の最後には明後日「中野」で行われるMAGENTA skateboards / Soleil Levantの試写会告知も入っています。

OPSBのアルバムからインスピレーションされた世界観、MAGENTAの仲間と共に海を越え、世界に向けて発信される。

まだまだ本番はこれから!!

ステージはこれからさらにデカくなる!!

とりあえずヨッチャン、ゴッサン、ポンチ。

アルバムリリースおめでとう!!

これからもお互い一生懸命頑張ろう!!

そしてここまで読んでくれた皆様、どうもありがとうございました!!

次は明後日6月13日(木)「中野ゼロホール」にて『MAGENTA skateboards / Soleil Levant』の試写会でお会いしましょうぜ!

では!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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