Special columns written by skaters
スケート識者たちが執筆するスペシャルコラム
YOSHIHIRO “DESHI” OHMOTO

弟子の愛称で慕わられ、carharttのグローバルライダーとして活躍する大本芳大。 旅とドトールと読書をこよなく愛する吟遊詩人。 “我以外はすべて師匠なり”が座右の銘。

第23回:師匠

 僕のあだ名は「弟子」である。このあだ名になってから、かれこれ13年くらいになる。本名は大本芳大(おおもとよしひろ)だが、スケーター仲間から本名で呼ばれることはあまりない。何人からは「よし」と呼ばれるが、そう呼ばれると、なぜだかちょっぴり恥ずかしい。僕にとっては「弟子」というあだ名の方が、本名より自然な感覚になっているのかもしれない。最近は年下のスケーターと接することが圧倒的に多くなってきているから、「弟子くん」と呼ばれる。ときには、「弟子さん」なんて呼ばれ方もする。もうそれが普通になってしまっているが、よくよく考えると「弟子」に“くん”や“さん”が付くなんてありえない。先日、スケートのキッズスクールに参加させてもらった時なんか、キッズスケーターから「弟子先生」っと呼ばれた。「うっ…お願いだから先生はやめて」っと笑ってしまった。もう呼ばれ方がめちゃくちゃになってきている。本当に「我以外皆師匠」状態。

 ところで、初めて出会うスケーターに今でもこんな質問をよく受ける。「弟子くんって、なんで弟子って言われてるんですか?」 以前、VHSMAGでインタビューしていただいた時も、この質問を受けた。

 そう。僕にはちゃんと師匠がいる。
 当時高校生だった僕は、師匠と出会い、師匠のローカル池袋で毎日スケートするようになった。師匠のスケートスタイルは本当にかっこよく、僕は師匠からたくさんのことを学ばせてもらった。ウォールライド、ウォーリー、ノーコンプライなどの、僕が今でも大好きなトリックはすべて師匠が教えてくれた。リッキー・オヨラやマット・リーズンをこよなく愛していた師匠から、イーストコーストのスケートスタイルのかっこよさを直々に教えてもらった。

 毎日、池袋にある弁当屋のバイトを終え、その後朝まで師匠とスケートするのが最高に刺激的で楽しかった。最初は軽い気持ちで弟子志願した僕だが、この頃から師匠のことを本気で“師匠”と思うようになっていった。

 この頃の僕は師匠の本性をまだ知らなかった。ただただ、クールでいけてる人だと思っていた。がしかし、実は僕の師匠は、とんでもない変人だということを後に知ることになる。

 池袋へ通うようになってから数ヵ月が経ったある日、僕は池袋の先輩スケーターの家に遊びに行った。そこで、その先輩スケーターから「弟子さぁ、このビデオ見たことある? 多分びっくりするよ」と、池袋のローカルスケートビデオを見せてもらった。

 僕はそのビデオのワンシーンを見て、開いた口がふさがらなくなってしまった。
 そのビデオのワンシーンに師匠が出ていた。
 なんとそのワンシーンで、師匠は原宿表参道のダウンヒルを全裸で下っていた。

 「なんだこれは? オレはとんでもない人の弟子になってしまっている…」と驚愕した。

 後日、師匠に会った時に、先日見たビデオのことを伝えた。
 「師匠って、あんな人だったんですね?」

 すると、師匠は照れ臭そうにこう言った。
 「オレやばいだろ? おまえもあれくらいできるようになれよ」

 僕は即答した。「いや、無理っす…」

 でも、僕はそんなイカレた師匠にさらに引き込まれて行った。

 ある日、僕はいつもと変わらず、池袋でスケートしていた。そしたら、師匠がいつもと少し違う真剣な表情で現れた。スケボーも持っていない。

 「あれ? 今日スケボーしないんですか?」 僕がそう尋ねると師匠が「うん…」と頷いた。

 「よしひろ。ちょっと話がある」

 えっ? 何!?

 そして、師匠から突然こう告げられた。
 「オレ、スケボー辞めるから…よしひろ今までありがとな」

 「え? マジすか?」

 僕は動揺し、号泣してしまった。師匠の前で泣きまくった。そして師匠は多くを語らず、普段いつも呑んでいた「赤玉」という謎のワイン瓶を片手に去って行った。

 僕は心から悲しんだ。それくらい、師匠が大好きだった。

 1週間くらい本気で落ち込み、池袋にも行かなかった。で、久しぶりに池袋へスケートしに行った。
 そしたら、そこに師匠がいた。しかもスケボーしていた。

 「おう! よしひろ! やっぱりスケボー楽しいな!」

 「えっ? 師匠、スケボー辞めたんじゃないんすか?」

 「えっ? 辞めないよ。ポッポー!」とニタニタしていた。

 やられた。ムカつくぜ。完全に騙された。このクソ師匠が…。

 だが、僕は心から安心し、また泣きそうになった。
 池袋で滑るようになってから数年が経ったころ、僕は突然病気になってしまい、入院してしまった。
 入院病棟で毎日暇していた時、師匠がひとりでお見舞いに来てくれた。

 「よしひろ! 久しぶり」

 そのころは、師匠はあまり池袋に来なくなってきたころで、しばらく会っていなかった。だから、すごく嬉しかった。で、普段本など読まない師匠は、僕に手土産として赤川次郎の小説を持ってきてくれた。

 「なんかよくわかんねぇけど、これ」

 ちょっと照れ臭くなった。師匠も照れていた。
 帰り際、入院病棟のエレベーターまで師匠を送り、師匠がエレベーターに乗り込んだ。

 「今日はありがとうございました。また退院したら連絡しますね」と最後に師匠に挨拶すると、師匠は何も言わずニタニタしている。悪い顔だった。

 エレベーターの扉が閉まる瞬間、師匠がナース室めがけて大声で叫んだ。

 「よしひろが看護婦さんと、ヤリたいって言ってますよ〜!!!」

 バタン‼

 扉が閉まった。
 突然の出来事で、何が何だかわからなかった。ナース室にいる看護婦さんも目が点になっていた。

 チキショー…またやられた。残りの入院生活、どんな顔で生活すればいいのか。

 僕はベットにもどり横になった。怒りをとおりこして、呆れた。「やっぱりクソ師匠だな…」とさっき師匠からもらった小説を手にした。
 すると、本の隙間に1枚のメモが挟まっていた。

 そこには、幼稚園児くらいの字で、
 「よしひろ。また病気治ったら一緒にスケボーしような」と書かれていた。涙がこぼれた。

 師匠とはもう何年も会っていない。お互い連絡先もしらない。今どこで何をしているのだろう。

 「師匠! 弟子は元気にやってますよ。あなたの弟子になれて本当よかったです」

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