Special columns written by skaters
スケート識者たちが執筆するスペシャルコラム
YOSHIHIRO “DESHI” OHMOTO

弟子の愛称で慕わられ、carharttのグローバルライダーとして活躍する大本芳大。 旅とドトールと読書をこよなく愛する吟遊詩人。 “我以外はすべて師匠なり”が座右の銘。

第9回 : 歓迎の響き賑わしく

 僕が音楽というものに興味をもちはじめたのは小学5年生くらいのとき。当時、姉が大好きだったユニコーンに一緒になってハマっていた。6年生くらいになると、ユニコーン以外のいろいろなアーティストを聴くようになっていった。trf、安室奈美恵、Mr.Children、スピッツ、L-R、シャ乱Q ─。
 今思えば、当時は小室哲哉を筆頭に、いわゆるJPopがかなり盛り上がっていた気がする。ミリオンセラーが連発される中でも、篠原涼子の“いとしさとせつなさとこころづよさと”という曲が大好きで、爆音ヘビロテで聴きまくり、毎日ガチあがりしていた。当時はまだ声変わりしていなかったので、その曲を完璧に歌いあげることができ、給食の時間にはその曲に合わせて踊りながら歌いまくっていた。そんな切なさオンリーの僕は、女子たちからいつも冷たい視線を浴びせられていた。
 中学では、クラスから数人合唱会の選抜が選ばれることになり、なんと僕はその選抜メンバーに選ばれた。中学のころなんかは思春期で、調子づきたいざかり。なんとなく「音楽の授業で真面目に歌う」という行為はちょっとダサいみたいな認識が僕の周りの男子にはあったようだ。ただ、僕はそんなこと気にしない。大声で、がっつり歌っていた。歌うときもスタイルを入れる。目を見開き、ときに目を細め、リズムに合わせて前後に身体を揺らす。歌自体はけっして上手いとは言えないが、おそらくそのスタイルが音楽の先生に認められたようだ。
 中学卒業前の音楽祭のときには、クラス代表としてソロパートを任された。全校生徒の前でしかも大ホールにて。かなり緊張したが、思い切り歌った。歌い終えたときは、今までに経験したことない爽快感を味わった。

 何年か前の引越しのさいに、そのときのビデオテープがでてきた。「これはやばい」と、すぐさまフィルマーの南 勝己氏にそのテープを渡した。そのころの勝己氏は『Night Prowler』というスケートビデオの制作を終盤に迎えていた。そして勝己氏は、そのとき渡した映像をうまく料理してくれたようだ。

 渋谷にあるArktzという老舗スケートショップの店員を長年務めている、水沢洋二から聞いた話。
 その日も彼は、いつもと変わらず店番をしていた。そこになんと、レジェンドスケーターのダニー・ウェイがひとりでフラッと来店してきたらしい。ダニー・ウェイは店内のモニターに流れていたスケートビデオをじーっと見ていた。そのとき流れていたのが、そのころ発売したての『Night Prowler』だったそう。そしてちょうど、僕のパートが流れ出した。ダニー・ウェイは真剣に僕のパートを見てくれていたらしい。そして僕のパートを見終わったとき、小声でボソッとこう言い放ったという。「Nice Singer…」。
 僕はダニー・ウェイから褒められた。スケートではなく、歌を。これも、篠原涼子のおかげかもしれない。

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