真実はいつか明らかにしなくてはならない。かつて敢行した、モスクワから香港までの10,000kmに及ぶ列車の旅。最初から最後まで、すべての道中を列車で移動できたのはわずか4名だけだった。北京から西安までの寝台チケットと座席チケットが売り切れだったため、オレたちに残されたのは3つのオプション。空路で向かう、西安行きを止める、もしくは立ち乗りチケットの購入。「夜通し13時間も列車で立っていられない」とクルーの半数が空路を選び、残るオレたち4名が立ち乗りチケットを購入。立ち乗りといっても、そんなに悪くないだろう? 床に座ればいいじゃないか。
フィルマーのパトリック・ウォールナーは、陸路で大陸を横断するというコンセプトに忠実に旅を進めたかったのだろう。そのほうがドキュメンタリーとして絵になることも熟知していた。それが彼のモチベーションだったと思う。一方、立ち乗りを選んだオレたちのモチベーションといえば、金欠、そして兵馬俑(世界八番目の不思議)を見たいという気持ちからだった。この時点では、誰もこれからどのような試練が待ち受けているのか知る由もなかった。
列車は主に寝台車輌で構成され、加えて食堂車と座席車輌が2台。ちなみに立ち乗りチケットは売り切れになることがない。需要があれば、無限に売り続けるシステムとなっている。しかも、立つことができるのは2台の座席車輌のみ。さらに、チケット売り場では、真剣な顔で「乗り込むことができなければ、それはあんたたちの責任よ」と言われた。料金は$10くらいだったと思う。
プラットホームに到着して思ったことは“予想を超えた地獄になるだろう”ということ。まずは東京のラッシュアワー時の満員電車を想像してほしい。満員の車輌に無理やり自分を押しこみ、人をかき分けて奥へと進んで自分の場所を見つける。そんな感じだ。いや、それ以上だ。もうこれ以上乗ることなどできないほど超満員列車の中で、オレたちは思った。「5時間後、オレたちはどうなっているんだ(笑)」。しゃがむことすらできず、自分のバッグの上に座るスペースすらないじゃないか。
列車が出発すると、後悔の念と、このような最悪な状況に追いやられたという純粋な興奮が入り混じって押し寄せてきた。こんな状況では、翌日スケートできるかどうかもわからない。同行していたロシア人ジャーナリストのキリルは「立ち乗りなんて聞いたことがない! こんなに最悪なオプションはロシアにだってないぞ!」と昇天寸前。幸運なことに、オレたちはアルコール度数56%のウォッカとビールを持ち込んでいた。この状況に耐えるには、酒をたらふく飲んでつぶれるしかない。ウォッカとビールが空になると、人混みを乗り越え食堂車に向かい、ワインを数本購入。酒に頼るオレたちと比べると、現地人はクリエイティブだ。座席の下にスペースを確保したり、乗客同士重なり合って寝たりしている。赤ん坊はビニール袋にウンコをしながら泣き叫び、車内はいろんな匂いが交じり合っている。空気はどんよりと重く、陰鬱な湿度を保っている。変な病気にかかっても何の不思議もない。
アニマルズの“グッド・タイムス”をアカペラで歌ったのと(現地人の乗客はみんな楽しんでいたはず)、気分が悪くなった場合にプリングルスの容器にオレのゲロが入りきるか考えたこと以外、何も覚えていない。バナナ売りのカートが後頭部にぶつかり、乗客の足元で目を覚ました。オマエ、マジか? 誰がこんな状況でバナナなんか買うんだよ? ここは地獄だぞ! そもそも、この人混みの中、そのカートで前に進めると思ってんのか?
夜が明け、まだ酔っ払いながら立ち上がる…。終点まであと4時間。酔いで頭が働かないまま、オレは赤ん坊と会話をして時間を過ぎるのを待った(オレが言うことを復唱するだけだが)。酒を飲まなかった2名はインフルエンザにかかり、翌週ダウン。酒に溺れたオレたち2名は奇跡的にも元気に地獄を切り抜けることができた。
列車を後にする前に、オレはどうしてもトイレを確認しておきたかった。その光景も凄まじいものだった。カップ麺のような下痢便をトイレいっぱいに入れ、よくシェイクしてかき混ぜたような感じとでも言おうか。壁中、クソまみれ。クソのような体験だったが、楽しかったぜ!