Special columns written by skaters
スケート識者たちが執筆するスペシャルコラム
TAKUYA NAKAJIMA

2002年よりFESNの専属フィルマーとして活動後、
現在は都内の医療機関にて理学療法士として勤める
傍ら、某デジタル系会社に勤務するMr.魚眼レンズ。

第5回 : 逸脱することは悪くない

 年度も変わり一新した気持ちを表すかのように昔のファイルを整理していました。HDDの整理は実際の掃除とは違い、クリックを繰り返す作業です。しかし、実際の掃除と同じように昔の映像を見返したり、当時タイプしたテキストを読み返していては、まったく先に進みません。できるだけ何も考えずにクリックを繰り返すことが大事です。でも、どうしても毎回手をとめてしまうフォルダーがあります。それはHDD/nikon/写真倉庫/ okinawa/という場所に入っているフォルダーです。僕が初めて沖縄に行った時に撮影した写真のフォルダーです。

 その中にはこの写真の人が沢山映っています。今までに沢山のメディアで取り上げられてきたので知っている人は多いと思いますが、ドラボンこと宮城 豪(Heroin Skateboards所属)です。 当時は今よりも確立された知名度はなく、知る人ぞ知る変わったスケーターという立ち位置だったと思います。僕のイメージも『43-26』のロングレールやキンクレールのスラムのインパクトがとても強く残っていました。ものすごくスキルが高く、勢いのあるスケーターだと勝手に思い込んでいました。しかし、何度か彼を大会や撮影などで見かけると、異常なファッションスタイルと理解に苦しむトリックや行動、そしてなによりも極度の人見知りであり、とても想像していたスケーターとはかけ離れたものがありました。

 当時、僕が所属していたFESNでのビデオパートを撮るために、沖縄に10日間ほど滞在するという話があった時に「本当に大丈夫かな…」といった漠然とした不安があったのを覚えています。それは、カメラマンから見て撮影できるスケーターの要素を大きく逸脱しているところがあったからです。まずセッションに向かない、しづらいということです。彼の得意なスポットはとても偏っていて、彼以外のスケーターがトライしづらいということ、逆に他のスケーターがトライしているスポットでは、彼の良さを十分に表現するのが難しいということです。今考えるとそれが彼をここまで飛躍させた要因であると思います。しかし、当時の僕はカメラマンとして、より多くのフッテージを効率よく残すことを重視しすぎていたため、そんな不安を抱いていたのかもしれません。彼ひとりのために多くの機材と人員をかけて海を越え、沖縄に撮影しにいく必要があるのか?
 僕が彼の持っているポテンシャルに気づくのはずっと後のことです。

 彼の撮影を終えて作品ができあがり、周りの反応を肌で感じた時に初めて分かりました。他の人と逸脱することは間違ったことじゃない、ということです。しかし、そこには体力と知力、そして何よりも周りに押しつぶされない精神力が必要ということを学びました。
 当時、彼が提案してきた沢山クエスチョンマークのついたトリックを、あざ笑った僕が真剣に彼と向き合うようになった場所がOKINAWA、この写真のフォルダーはいつになっても整理できそうになりません。

 次回は具体的に彼の提案してきた不可思議なトリックや、偶然に生まれたミラクルトリックについてお話したいと思います。

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