Thrasherといえば説明不要のスケーターズ・バイブル。30年以上にわたりスケートボードシーンをキャプチャーし続けている権威あるスケートメディア。数ヵ月前には、掘米雄斗が日本人としては初の快挙となる大々的なフィーチャー記事で巷を騒がせたばかり。そんなThrasherに、20年近く前に見開きのポスターで登場した日本人スケーターがいたことはご存知でしょうか?
それは1999年の5月号。Japan特集なる記事内にて、DJ Chackalarmこと権正純一がまさかの見開きゲット(しかも縦)。加えてちょうど雑誌のセンター部分に配置されており、ホチキスを外すとポスターになるといった扱い。かの有名なThrasherフォントの下にご丁寧にJAPAN、そしてJUNICHI GONSHOとフルネーム付き。これには「おったまげた〜」。
今となってはスタート地点の記憶は定かではないのですが、コトの成り行きはこんな感じ。都内で遭遇した外国人スケーターが、Thrasherの仕事で来日中でJapan特集を組んでいるから撮影に協力して欲しいと。彼はフランキーと名乗り、東海岸はフィラデルフィアから派遣されてきたとのこと。当時自分は雑誌の編集&ライターの仕事をしていたので、Thrasherも含めスケートメディアには精通していたほうだと思っていたけど、フランキーなんてクレジットは見たことも聞いたこともない。東海岸の写真はライアン・ジーとかディミトリー・エリヤスケヴィッチとかが主に撮影していたはずなので、フランキーって誰? しかも、当時は自分も若かったけどあからさまに年下に見えたことで「こいつは偽物だ!」と判断。ひとまずJ-PHONE(古ッ!)の番号を渡して解散。その翌日から狂ったように電話攻撃がはじまったのです。フランキーのステイ先からの番号が表示(もしくは非通知って文字だったかも)されるたびにスルー。自分たちも『Del Son Terra』というビデオの撮影に忙しかったタイミングだけに、“偽フォトグラファー”にかまっている暇はないと。そうこうするうちに1週間ぐらい経ち、Japan特集だなんだって話はなくとも半日ぐらい撮影に同行してもらってもいいか、ってノリで権ちゃんをはじめ数名と合流し撮影へ。その晩は横浜・みなとみらい近辺のスポットを数ヵ所周りお開き。「Thrasher出るの楽しみにしてるよ」と少し皮肉まじりな言葉とともに最後のハグ。
それから半年ぐらい経ち、渋谷のタワレコの洋書コーナーでThrasherを広げると「オ〜マイガ〜…」あの晩フランキーが這いつくばって撮影した写真が目に飛び込んできたのです。
「ご、ごめんよフランキー…」orz
─KE
権正純一本人所有のThrasher 1999 May Issueより。