早いもので2015年。「そういえば20年前なにやってたんだっけ」なんて振り返ってみると、1995年は個人的にも世の中的にもいろいろな意味でメモリアルな年だったので、自分でも驚くほど克明に当時の出来事を覚えています。
'95年にリリースされたスケートビデオはといいますと、World Industriesの『20 Shot Sequence』、Toy Machineの『Heavy Metal』、etniesの『High 5』などが巷を騒がせていました。
一方で、ニューヨークのSupremeからは『A Love Supreme』という作品が公開。ポップなナンバーと進化の一途をだどるトリック重視なビデオが主流だったのに対して『A Love Supreme』のそれは、気怠いジャズに(後にコルトレーンと知る)16mmで撮影されたモノクロ映像、ほぼ全編スロー再生動画という真逆のアプローチに、違和感を覚えなかったといえば嘘になります。当時スケート仲間たちと「ライディングはかっこいいけど、関係ない映像多くねぇ?」と、いかにもティーンらしい、作品の真意を理解することなく無駄に批評しあったことを記憶しております。
そんな『A Love Supreme』に翻弄された東洋のキッズ(僕らのことですが)の受け止め方はさておき、肝心な作品に出演していたスケーターたち(同じく当時はキッズ)は完成した『A Love Supreme』を見て、果たしてどのように感じていたのでしょうか?
これは作品のリリースからずっと後になってSupremeのライダーから聞いた話なのですが、当時『A Love Supreme』を見たスケーターの多くが、かなりの不快感を示したそうです。なんでも、スケートの映像うんぬんはさておき、ベロチューしているカットをどういう理由か男同士だと勘違いしたそうです。「オレたちはファゲットじゃねぇ!」ってことだと思いますが、時代背景(ハーコーなイメージを保つ事が必要だった'90年代中頃)を考えると、同じスケーターとして理解できなくもないなと。とかく、見てくれを気にするティーンにとっては…。
ともあれ、後に『A Love Supreme』がいかに時代の先を捉えたエキセントリックな作品だったのかという評価は、現在のSupremeのブランド力や、作品を手がけたトーマス・キャンベルの活躍がなによりも雄弁に語っているのでここでは割愛させてもらいますが、スポーツ色やパンク要素が強かったスケートカルチャーに、漠然ではありますが、都会的なライフスタイルやアートといった洗練された要素が取り込まれる“きっかけ”のひとつとなった、メモリアルな作品だったことには間違いありません。当然、作品に参加したスケーターたちもまた、今となってはスケート史に残る名作にその名を刻むことができたことを誇らしげに感じていることは想像に難しくありません。
最後に余談ではありますが、作品内でスケシューを放り投げて電灯に引っ掛けるシーンがあるのですが、これを実家の前の電線で実践したところ、近所でちょっとした騒動に発展してしまったというのはここだけの話です。
--KE