先程、ここVHSMAGのVideo Archivesにて公開された作品『Silent White』(’01)をより楽しむ方法! ってことで、誰にも頼まれてないけど当時の時代背景の説明をちょっぴり。
この作品は、東京は世田谷を拠点に活動していたビデオプロダクション“Three’s Film Works”によるもの。祖師谷公園ローカルであった西垣マサ(当時は中根マサ)を筆頭に、駒沢ロコの飯島修志&伊藤タクの3名によって編成。故に、Three’s Film Worksだったと記憶しております(違ってたらドンマイ)。当時は米国の水準に近づけ追い越せって具合に、世田谷スケーターを中心に連日連夜爆撮が行われておりました。某学院を発電機+投光器でライトアップしたり、TMCにカステラやクオーターが設置されるなどしたイカれた時代。スクーターでTMCカステラをライトアップって荒業も、20年前は標準装備。
出演しているスケーターは主に東京ローカルで、埼玉、神奈川、千葉と関東近郊もフォローアップ。当時はまだ上京して活動拠点を東京に移すスケーターがほとんどいなかったのに加えて、潤沢な資金がなかった駆け出しのビデオプロダクションだったこともその理由。今となっては貴重な、現在もスケートシーンに関わる人たちの若かりし頃のフッテージが拝めるところも見どころ。Metropiaセグメントで楽曲を担当したのは、権正純一の中学のパイセンで元IKBスケーターのK-Bomb。韓国ツアーをきっかけに、当時は未知数だったソウル・スケートシーンとの邂逅。マサの能動的なアプローチにより実現した両国の文化交流は、Three’s Film Worksがメイクした大きな功績のひとつ。自分も今と同様(進化してない!)フィルマー不足により駆り出されるスタイルで、末席ながら韓国ツアーに参加させてもらいました。これがいろいろな意味合いにおいて伝説的なツアーだったと記憶しております(詳しくはすでに廃刊となったWARP 2001年頃号を参照)。特筆すべきは、この作品が国産スケートビデオとしては実に初となる、“ウルトラフィッシュアイレンズ”を用いたということ。Ultra Fish Eye Lensって聞き慣れないレンズを日本で最初にゲッツして映像作品に落とし込んだのは、他でもないマサ率いるThree’s Film Works。
とまあ、いろんなアングルから実験的な作品だったわけですが、10数年ぶりに目を通してド肝を抜かれたのが、渋谷109でのデミのクリップに映り込んでいるフォトグラファー(わかる人にはわかるドープな人)。
ちなみにスノーボードビデオみたいなタイトルの意味は存じておりません。どなたか知っている方がおりましたら、伝書鳩にてご教示ください(バード!?)。
─KE