10年前、オレはいったい何をしていたのだろう。Sbを作っていたな。20年前というと、やっぱりSbを作っていた。だいぶ遡ってもスケボーマガジンをつくっていたんだなと気づく。
雑誌業界では、「10年続けることができたら大したもの。創刊はできても、それを続けるのは大変だ」と言われている。専門誌は特に大変だとも。実際、オレもスノボーマガジンのセンパイやサーフィンマガジンの人によく言われたものだった。そしてセンパイのスノーマガジンはいつのまにか休刊になっていたし、サーフィンマガジンは会社ごとぶっ飛んでしまった。
こうやってある程度まで長くやってきて、「大したもの」だという実感は一切ないし、それだけの権威になれてもいないし、ひたすらやってきただけというのが本当のところ。ただ、やってきた甲斐があって、スケーターの変遷やスポットレコードと今でも言われるトリック写真ががっちりとページにアーカイブされている。そして、Sbがセレクトしページにした写真たちが、その後の各フォトグラファーの写真集に収録されるくらい、間違いがないグラビアをつくってきたと言える。よくわからないが続けてみるものだ…というのはよくわかっている。崩壊したりぶっ飛んだり投げ出してしまうより、続けていることの方が100倍難易度が高いし、よくわからないが大したものだという感じ。
前置きが長くなったが、長くなった分、今から言うことは説得力があると思っていただけたら幸いだ。池袋はマンチーズな魔界村にあるスケボーショップ、Highsoxが10周年を迎えたという。ありがたいことに、そういうのもSbを作っていると、ビジュアルイメージで直接知ることができる。Highsoxのイケてる広告にガツンと書いてあった。データを受け取ったとき、心の中でつぶやくように「おめでとうございます」とそのビジュアルを眺めた。まだマンチーズというショップに会長? オーナー? 社長? の宮内氏が立っていた頃にお邪魔するようになって、それからインディペンデントしてHighsoxというまったくフレッシュなスケボーショップが誕生して、こうして10年ひと昔。その間にオリジナルのスケボーショップならではのいろいろなエピックなことがあり、涙あり笑いありスラムありメイクあり、出ていったり入ってきたり、出たり入ったり、入れたり出したりの出来事があったと思う。それこそ小説1冊になるだろう。
Sbはそんな小説の遠い読者のようなものだけれど、10年ひと昔を眺めてきた。そして、続けていること、いつ行ってもそこにショップがあって、ドアが開いてて、スケボーが待っているというのは、ささやかだけど簡単なことではない、素晴らしいことなんだなって思う。そして、もっと素晴らしいのは、屋号とも言うべき、ショップのアイコンデザインが10年経っても古臭くないこと。オーセンティックにいいものであること。10年前のスケーターも、この10年間プッシュし続けているスケーターも、今まさにドアを開けたスケーターも、みんなそれぞれに(いいな)と感じられるアイコンデザインだということ。なんならログと物語が積み重なって、よりよく見えてしまうアイコンデザインだということ。そして、今やオレ的には、ハイソックスと聞くと、カリーム・アヴドール・ジャバーではなく、ジョン・カーディエルでもなく、池袋のスケボーショップHighsoxを真っ先に連想してしまうくらいになっていること。これが10年ひと昔、キープ・オン・プッシングしてきた実績だ。そういう感慨を込めてページになったビジュアルを眺めつつ、改めて「10年、おめでとうございます」と思った次第。
次のひと昔も、実はあっという間だったりする。それまで、日本が沈没していませんように。
—Senichiro Ozawa(Sb Skateboard Journal)