ジャパニーズの目覚ましい快進撃のニュースが飛び交う今日この頃、同じ日本人としてうれしい限りでございます。それぞれの得意なフィールドで、思う存分暴れてほしい。
そんな爽快なヴァイブスと暑さ真っ盛りのタイミングでひとつ。いまからおよそ30年近く前、ひとりの日本人がスケートボードの本場アメリカで孤軍奮闘していたのをご存知でしょうか? スケートボードひとつだけを武器に、単身カリフォルニアへ渡り目覚ましい活躍を果たした元祖神風特攻隊長。その名も、桜木英生(Hideo)。当時の日本人としては規格外なサイズ感とスーパーテクを持ち合わせ、狭き門であった(SNSもインターネットも普及してなかった時代)スケートコミュニティへの道をスキルで切り拓いたパイオニア。SMAをはじめ、数多くのUS直スポンサーを'90年代前半に受けていた稀有な存在。
そもそも英語もまったく話せないティーンがアメリカのスケートコミュニティにいきなりウェルカムされたきっかけは? 素朴な疑問をかなり前に桜木氏に問いかけたところ、アンサーは至ってシンプルなものでした。1991年にリリースされたSimsのビデオ『The 2nd Coming』のエンドロールでのスラム(アンディ・ロイとかも出てる作品)。当時では超絶ジャンボサイズなダートギャップでレイトショービット乗りゴケの後頭部落ち。これがかなりウケたというか、あのダニー・ウェイも思わず「オーマイガー!」と唸ったとか唸らなかったとか。なにしろこの映像がきっかけとなり、とんでもない神風野郎がやってきたと巷の語り草となり、当時すでに有名であったフランク・ヒラタなどを介してスケートコミュニティへリンクアップしたということです。もちろんただのインパクト勝負でかまってくれるようなお国柄ではないので、スキルやパーソナリティという裏付けがあったからこそ。
世界を股にかけて活躍する日本人スケーターの道標、そして活動の土台を人知れず(?)築いてくれていたパイセンスケーターがいたことを、みなさんにも「知ってほし〜の♡」
─KE
SIMS『The 2nd Coming』(91年)4:03〜4:11。
SMA『El Numero Tres』('93年)でのミニパート。
『Thrasher Video #3』('94年)でのカオス登場。
XYZのビデオ('95年)。1:38〜2:10がHideoパート。