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CLOSER ISSUE 01(翻訳記事第1弾)
──LOUIE LOPEZ INTERVIEW

2022.11.14

 

 Quartersnacksは同メディアの企画「Quote of the Week(今週の名言)」で印象的な言葉を紹介したことがあった。「オレの好きなスケーターはルイ・ロペスで、2番目に好きなスケーターは歳をとったルイ・ロペスだ」。
 その頃のルイは19歳。プロに転向しConverseに加入したばかり。Flipの『Extremely Sorry』(2009年)で紹介された少年は経験を積み、やがて長いラインやクリエイティブにハンドレールなどのヘビースポットを攻略する素晴らしいスケーターへと成長した。そして生産性がトレードマークとなり、20代前半にはオールラウンドなスキルを持つプロのひとりとして知られるようになる。2019年にはロペスの名前を冠したシグネチャーシューズをリリースし、かねてから噂されていたFucking Awesomeへの移籍が現実に。頭はずっとスキンヘッド。少年の頃と比べると身長も30cmほど伸びている。新たなボードスポンサーと彼自身の生産性のおかげで、2020年はルイのキャリアの新しいステージとなった。
 現在27歳のルイ・ロペスは、多くに愛されるスケーターであり続けている。この時点で人生の半分以上もスポットライトを浴び続けているわけだが、その少年時代、そして彼にとって最も重要であるビデオパートについて話を聞いてみた。

 

 

「彼のパートはすべてさすがのクオリティ。美しすぎて感動してしまうほど」

 

CLOSER(以下C): ルイがスケートを始めたのは5歳の頃で、当時は多くの家庭にビデオカメラが普及してたよね。両親は初めてスケートをした頃の映像を撮ったりしてた?

ルイ・ロペス(以下L): 撮ってたね。両親はいつもオレを撮影してたから。初めてスケートパークに行ったときの映像もある。怖くてずっとパークの外で滑ってたんだ。当時はまだ6歳だったけどパークに入りたくなかった。「まだパークに入りたくない」って思った。「ダサいヤツと思われるから」って。ただひたすら外の縁石で遊んでたよ。その縁石にデッキをぶつけて、トリックをやっているつもりになって。縁石にトラックをちょこっとかけて、「ママ、グラインドできた!」って言って。何かを初めてやったときの映像を振り返るのは楽しいね。まあ、それはグラインドなんかじゃなかったけど、当時のオレは達成感でいっぱいだった(笑)。

C: 日頃から両親がスケートを応援してくれてることをいろんなインタビューで話してるよね。両親の出会いやルイが生まれた頃の話を聞かせて。

L: 父の名前はルイ・ロペス・シニアでグアテマラ生まれ。少し大きくなってからカリフォルニアに引っ越してきた。母の名前はジェシカでLAのエコーパーク育ち。ふたりが出会ったのは高校生の頃で、オレが生まれたのは母が18歳のとき。そんな感じ。

C: 今も両親と仲がいいの?

L: そうだね。実家の向かいに住んでるし。複合体のようなもの。実家の裏にいとことその家族、さらにその裏におばあちゃんがいる。みんなで家族を支えてるんだよ。大家族のような感じ。退屈したり誰かと話したくなったら母親に会うようにしてる(笑)。いい感じだよ。

C: 「複合体」とはおもしろい表現だね。一族が近所を取り仕切っているというゴッドファーザー的な印象を受ける。ずっとホーソーンを離れない理由は?

L: 離れようと考えてはいるんだけどね。もう27歳でずっと同じ場所にいるから。ここ2、3年はそうでもないけど、その前はツアーばかりだった。ツアーから戻って、1週間ほど家で過ごしてまたツアー。ツアーから戻って家族とゆっくり過ごせるのはいいよね。でもそろそろ新しい生活を始めるタイミングかなって。

C: 子供の頃からスポットライトを浴びてるけど、それが大人になってネガティブに働くかもしれないと考えたことはある? 中には子供の頃のイメージを払拭できないスケーターもいるよね。

L: 子供から大人に移行する頃、もう若くはないけど物事を理解しようとする10代の数年は少し厄介な時期だよね。でもその時期を乗り越えると、また違った面白さがある。もっとチャンスが広がるし、身体に力がついてトリックに高さもでる。新しいスタートだよね。スポットに行ってバンプ・トゥ・バーにも対応できる。「あれを超えるのは無理だ」と思いながら座って見てるだけのフェーズが終わるんだ。オレにとっては最高だよ。おもしろいことに昔の映像を観ると、そのトリックをやってたのはその場所でそれしかできなかったからなんだ。たとえばレッジが高すぎたりしてね。『Extremely Sorry』でボードスライドからノーリービッグスピンフリップをするクリップがある。あれはレールが高くてボードスライドしかできなかったから。年齢を重ねるとスイッチスタンスに磨きをかけたり、しっかりテールを弾くようになる。まあ、身体が大きくなって、たかが2年ほどだけど確実に新鮮だよ。今はどのバンプ・トゥ・バーがまだ高く感じるか検証中だね。

 

C: ルイはつねに映像を撮りまくってるけど、特にここ2、3年の生産性はヤバいよね。凄まじいペースでビデオパートを制作してるけど、それに対して思うことは?

L: 正直、スケートするときは集中したいんだ。もちろん楽しむためにスケートするわけだけど、「もう少ししたらビデオパートを出すんだ」と考えながら滑るのはいいよね。そういう最終的な目標があるのが好きなんだ。メロウな感じで滑りに行って、何もないところから積み重ねていく。いきなりスタートからストレスを感じるのではなく、撮影を重ねてストレスの時期が終わる頃に特定のクリップが必要だと思えるようなやり方。オレはエンダーを撮るのも最後のほうなんだ。まさにラストスパート。エンダーは最後じゃないと撮れない。まず楽しんで滑りながらラインを撮って、最後の数ヵ月はただひたすら身体を張ることに専念する感じ(笑)。

C: ルイ的に連続して完璧なパートを残したスケーターは?

L: 何人かいるね。一番はディラン・リーダー。彼のパートはすべてさすがのクオリティ。美しすぎて感動してしまうほど。見てて飽きないし、考えさせられるし、インスピレーションを与えてくれる。AVEが残してきたものもクオリティの高いものばかり。一緒にスケートしながら、年齢を重ねてもなおスケートに向き合う姿、セルフケアをしっかりしながら一生懸命取り組んでる姿を見てるから。あの人はずっと現場で戦ってるんだ。オレが本当に好きなのは、年齢を重ねてもなお、人を驚かせることができるスケーター。衰えることがないんだ。

C: 20代半ばまでパートを出し続けてきたペースを考えると、今後そのペースを維持するという意味でプレッシャーを感じることはある?

L: いや。「やりすぎかな?」と思うことはあるけど。量より質というやつだよね。でも同時に「若くて体力があるうちは、とにかくがんばれ。今のうちに全部出し切っとけよ」とも思う。歳をとれば、もっと大変になってペースダウンする時期が来るだろうから。それは周知の事実。でも若くて調子がいいうちは、それを維持しようと思う。

C: プロスケーターのビデオパートに対する責任について、キャリアを通じてどのような変化があったと思う?

L: その人次第だと思う。年に2回ビデオパートを出す人もいれば、2年に1回パートを出す人もいる。その人次第。1年に1回出すんだったら、かなりヤバいパートじゃないとダメだね(笑)。
 それに若い頃と考え方は違うし。『Extremely Sorry』の撮影期間は5、6年だった。中には公開直後でも「かなり昔のクリップだな」と思う映像があった。でも今はすぐに映像が公開されるからすべてが最新でいいよね。まあ、どっちでもいいけど、たまにしかパートを出さないとプレッシャーになるし、周りからかなりヤバいパートを期待されると思う。

C: FA加入でルイ・ロペスの第3章が始まったように感じる。ここ数年の映像を観ると、肉体的にも完全に成長しきった感じがするね。

L: ずっと変化が必要だと思ってたけど、Flipを辞めるにもきちんとした方法でけじめをつけたかったんだ。彼らはオレの残りの契約期間、つまりあと2年チームに残れないかと聞いてきた。そうすればデッキをちゃんと売って計画的に物事を進めることができるから。オレたちは今も良好な関係。ずっと一緒にやってきたんだから、悪縁で終わらせたくなかった。いろいろいい経験をさせてもらって感謝してるよ。そしてそれから少しして、ジェイソン・ディルから電話があって話がまとまったんだ。スムースだった。うれしかったよ。Flipを辞めると発表したその日のうちに電話がかかってきたんだから。「よし、やろうぜ」みたいな感じだった。

C: FAのデビュービデオ“The Louie Lopez”は、チームに加入して1年ほどした2020年に公開されたよね。短くて良質だった。あれはどちらかというとランダムにクリップをまとめたものだったの?

L: あれはテキサスやオクラホマとか最初のツアーで撮ったクリップ。ビデオプロジェクト用に撮ったものじゃなかった。でもそれがいいんだ。どうなるかわからないけど、ベニー(・マグリナオ)がクリップを料理してすごいものを作ってくれるのは間違いない。素晴らしいものができるのを把握しながら全力を尽くせるのは最高だよ。オレは今までとはまったく違う、もっと「今の」スケートを見せたい。ベニーは信頼できるし、確実にヤバいものを作ってくれる。

 

C: そして半年も経たないうちに2ndシグネチャーシューズが出て“The Louie Lopez II”も公開されたよね。

L ひとつのプロジェクトに執着しないようにしてるんだ。毎日滑って、撮影して、できるだけ多くのクリップをゲットする。その中でビデオパートに使われないものが出てくるけど、そういうクリップでも使う場所はあるはず。Converse CONSの『Seize the Seconds』のパートを撮影したとき、未使用クリップがかなりあったからそれを使う場所を探したんだ。そのアイデアをベニーとメンバーに伝えたら、快く引き受けてくれて。まったく新しいビデオを作ることになった。

 

C: そのふたつのパートをひとつにまとめて『Dancing on Thin Ice』に収録する考えはなかったの?

L: FAが出すものの多くは計画的じゃないんだ。映像が揃った人が好きなときに何か出したり、ビデオに取り組んでたりする。大きなチームだから、数人ずつ焦点を当てることが多い。でも『Dancing on Thin Ice』はまったく別の代物。あんなビデオを作る予定はなかった。あのようなビデオがFAから出たのは初めてだけど、それがいいんだ。すべてが突発的。誰も「撮影しろ。締め切りはいついつだ」なんて言わない。そういうふうになったらヤバいことになりそうだけどね。すごいビデオが完成すると思う。締め切りを設けるようになっても、みんなその準備はできてるし。

 

C: 『Seize the Seconds』は、ルイの1年の締めくくりとなった。ヒールフリップからBsウォールライドというエンダーについて教えてもらえる? バンプ・トゥ・バーはもちろんのこと、バンク・トゥ・ウォールでも滅多に見ないトリックだよね。

L “West End”(2017年)で同じ場所でキックフリップのウォールライドをやってるんだ。そして『Seize the Seconds』のエンダーを考えてるときに、ヒールフリップのアイデアが浮かんだってわけ。あのスポットは結構近いんだ。何回かヒールフリップを回して、ウォールをヒットしてるうちにいけると思った。案の定、1時間ちょいでメイクできた。
 ほっとしたね。あれが最後に撮ったクリップ。これが撮れてなかったらFsフィーブルのトランスファーがエンダーになるはずだった。でもこれはThrasherのカバーになったんだ。パートはThrasherのカバーが出た後だったから何か違うサプライズを用意しなければならなかった。もしもエンダーがすでに世に出てるカバーのトリックだったらガッカリするだろうし。どちらにせよ、そのカバートリックはパートの最後のほうに来るのはわかってた。やっぱりカバートリック以外を最後に持ってこないと。


 

C: あのエンダーは、これから起きることを予期させてくれるようなものだった。あれ以来、ウォールライドにハマってるよね。

L: ただウォールライドが好きなんだ。だからあまり見たことのない新しい動きを考えようと思ってる。

C: “Days of Grace”にもいろんなヴァリエーションがあったね。このときはFAのフルパートを撮ろうという意図はあったの?

L: そうだね。フルパートと言えるもので、1曲、または数曲使って、もっと一般的なビデオパートの方式にしたかった。『Seize the Seconds』用に撮影したもので気に入った映像がかなりあったんだけど使われなかった。まあ、作品に合う合わないがあるから。でもそれを無駄にしたくなかったから、いい感じの作品にしようと思って撮影を始めたんだ。だからすでにそれなりの量のクリップがあった。そして最後の部分をきっちり撮影して、最終的にちゃんと締まる作品にしたんだ。

C: 新しいパートの土台として持ち越せる映像があるのは、さぞ気持ちいいだろうね。

L: でもいつもそんな感じだと思う。クリップがゼロになることはないし。中にはゼロの人もいるかもしれないけど、たいていの場合、使われなかったクリップがあるはず。すべてのクリップが使われるわけじゃないのは理解してるけど、何時間もかけてゲットしたトリックが日の目を見ることがないのはつらい。だから「これを出すにはどうすればいいのか」と考えるようになるんだ。

C: 編集にはどの程度関わってるの?

L: かなり関わってるよ。トリックが使われる場所とかどれを使うとか。すべて口出すわけじゃないけど、「試写会で観るから好きにやって」というタイプじゃない。自分が思い描くように見せたいんだ。パート制作はふたりの目線で進めるのがベストだと思う。リズムに乗って自分の滑りが見えてくると、これは違うんじゃないかと思えるようになる。少なくともオレはそんな感じで進めてる。撮影を始めて半年も経つと、「よし、これとこれに集中しよう」とか「これが多すぎる」とか思うようになる。そうやっていろんなトリックを組み込んでいくんだ。

C: FAの旗艦店のオープンに合わせて冬のNYに行ってたよね。AVEのグリーンベンチがトンプキンスに置かれる前に滑ったことはあった?

L: いや、あれが初めてだった。大きなトラックで運ばれてくるのを見るのはクレイジーだった。カリフォルニアからNYまで運ばれてきたんだけど、実は2、3日遅れだったんだ。このベンチが主役になったのもおもしろいけど、かなりアイコン的だよね。早く滑ってみたいと思った。とにかくあのベンチを見て、Ss Bsノーズブラントスライドがどれだけヤバいのか確認したかった(FAの“Dancing on Thin Ice”のAVEのエンダー)。実際に見たらマジでヤバかった。完璧なベンチだろうと思う人が多いと思うけど。いやいや、あのベンチが現場に登場したとき、誰もが「高いし長い…」と言ってた。AVEには感心するね(笑)。

C: ルイはメロウな性格だけど素晴らしいキャリアを積んできた。しかもまだ27歳。若くして成功した人が道を踏み外すことが多いけど、ここまで真っ直ぐやってこれた理由は何だと思う?

L: 幸いなことに、つねにスケートに夢中でいられたこと。スケートに飽きたり楽しくなくなったりすると、他のことに目が行ってしまい、自分がやろうとしていることや、スポンサーへの愛情などを見失ってしまうんだと思う。今現在も、何年もスケートをやっていても、朝起きて一番にやりたいことがスケート。それができてることに感謝してる。「続ける」「向上する」「進歩する」というモチベーションを持ち続けることが大切だと思う。ある意味、人を驚かせようと努力すること。ただできる範囲のことをやっただけとは思いたくないんだ。だからこそ夢中になれるし、飽きることがない。だから毎日、ライアン・リーと一緒に撮影してる。ヤツはオレの親友のひとりだ。オレたちはいいリズムでやってるし、プレッシャーもない。スポットも熟知してるし、アイデアもくれる。本当に助かってるよ。オレはただ生産的でありたい。何か取り組んでることがないと、サボってるような気がしちゃうから。

 

 

問い合わせ
closerskateboarding.com / @closerskateboarding
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