通算43号目になるSbの新刊が出来上がりました。22年やってきて43冊が少ないか多いのかよくわかりません。ただ、その前の2001年頃まで編集長をやらせてもらっていたWHEEL Magazine(これもスケボー専門誌)が、季刊(年4冊)、隔月刊(年6冊)、そして最終年には月間(年12冊)リリースして粉々に散った過去があります。その経験があったので、日本でスケボーマガジンを定期刊行する場合は、カルチャーががっちりばっちりの米誌のようにラッシュする月刊誌ではなく、やってくるのが忘れた頃すぎる年1回でもなく、年2回がベターだという思いに至り、創刊以来そのペースでやってきています。
2002年創刊なので、この定期的な発行スパン、そして35mmのタテイチ写真がノートリでレイアウトできるサイズをはじき出した最初のスケボーマガジンだったと言えます。実は、個人的には初期のSbにおける、特集や企画でページを選別しないで1冊まるっとスケボーとその残像を写真と文字だけで綴った感じが好きだったりします。確か当時、1冊まるっとスケートボードっていう表題だけで、あとは好き勝手にページを続けていました。
それで月日は経ち、紆余曲折やら時流の変化などがあって、前述のWHEEL Magazineの経験(会社都合で儲からないなら廃刊や!)だってあるので、毎号「これが最終号だとしても悔やまない」という気持ちで作ってきました。気づいたら23年目。そして初期の頃にピンピンだった中島壮一朗はブランドのCEOになり、清水 葵はアーティストになり、アメさんは編集長になりって感じでみんな実り多き人生をプッシュしていました。
当時頻繁に見たクレジットや業界関係者で、今はその名を聞かなくなってしまったかたもいれば、逆にさらなる円熟味を迎え多方面で活躍されてる方もいました。そんな中でSbはどうかというと、はっきりいって、ひたすら街を流すように時代をクルーズしている感じです。ジャーナリズムじゃなくてジャーニーにかぎりなく近いジャーナル(記録)をしている感じです。ニュース記事というより紀行文です。だから、WHEELやSb初期の読者だったスケーターの息子さんがついにはSbの今のグラビアに登場する…なんていうことも頻発しはじめています。これもまたジャーナルのいい部分、後効きがハンパないところです。
だいぶ文字数を書いてますが、タイトルからの本題に一向に近づいていません。強制的に軌道修正します。メトロに乗っていると、夏休みや冬休みにちなんで、ポケモンやワンピースなどの人気アニメのスタンプラリーが実施されています。各駅や要所でキャラのスタンプを集めていくやつです。Pokémon GOはその先のコンテンツだったんだと気づきました。それで、メトロでスタンプラリーのポスターを見るたびに、(スケート撮影って少しスタンプラリーなところがあるのかな)とひとりで考えたりしたものでした。名うてのスケーターが都内有数のストリートスポットのレコードを更新していく。それが写真(グラビア)となってページに発表される。そうなると、悔しくて地団駄踏んだり、すげーと感嘆したり、さらなるスポットを求めてシークに勤しんだりと、ある(過剰)反応が起こる。そうやって伝説的なスポットが生まれ、都市伝説的なスケーターのエピソードが囁かれていく。Sbはスケボーマガジンですが、ストリートスポット・トリックのスタンプラリー台帳のジャーナルパートでもあるのかもしれない。そんなふうに考えて、ニヤけながらメトロに乗っています。キッズ向けのキャラものスタンプラリーのポスター見て(子連れではなく)ひとりでニヤけているオヤジを目の当たりにしたら勘ぐられることでしょう。(あいつ、もしかしてオヤジのくせにひとりでポケモンのスタンプラリーする気か?)なんて具合に。まあ、すれ違っただけの人にどう思われようが関係ないのですけどね。
それで、今号のSbのグラビアですが村井カイトくんたちのSTUMP BOYSたちがソウルで数々のメイクをしてくれました。その全貌は彼らが今後発表する映像作品で堪能していただくとして、Sbではその一部のスタンプをグラビアページに綴りました。戸倉タイホウくんはじめ素晴らしいグラビアです。いわば、メトロを飛び出して異国のソウルでのスタンプラリーです。しかもそれは、STAMP(スタンプ)ではなく、STUMP(きりかぶ・こんせき)です。都市部の通常ワールドではいたって迷惑? 障害? のようなサウンドを、最高に心地良いBGMに感じるスケーターたちのスタンプをジャーナルしたグラビア。スタンプラリーのようなスタンプジャーナル、それがSb 1冊だったりします。ぜひ手にとって見ていただけたら幸いです。
—Senichiro Ozawa (Sb Skateboard Journal)