東京都内で広大なギャラリーを構えるギャラリストの人と親しくさせてもらっている時期がありました。
自分が学生のときに感銘を受けたアーティストの展示を行なっていたギャラリーの仕掛け人と親しくさせてもらえた時期はとても光栄で幸運で、ギャラリーに足を運ぶ度に10代後半だった自分を思い出すことができるとても貴重なひとときでした。
Aさんというそのギャラリストは、アートへの深い造詣と世界的なコネクション、そして溢れんばかりの情熱と高い志を武器に、現在もロンドンやニューヨーク、バーゼルといった世界中の都市を飛び回り、多くのプロジェクトで積極的に活躍している人物です。
長女の誕生を機に仕事を増やしたことで、プロジェクトに割くことができる時間がなくなってしまった自分は途中抜けしてしまったのですが、いまから2年ほど前、そのAさんを中心に有志が集まり壮大なプロジェクトを進めていました。「アートで社会貢献」という大義を掲げて展開していたそのプロジェクトを通して、Aさんの温かい人柄や現代アートビジネスについて、また現代アートを仕事にして生活していくことの難しさなど、さまざまな興味深い話を聞かせてもらいました。
今回のコラムは、そのときAさんに聞いた話で一番印象に残っているエピソードについて書いていきたいと思います。
それは、世界各国のオークションに参加し、新旧さまざまなアーティストの作品を取り扱っているAさんが「どういう基準で作品を判断しているのか」を尋ねたときのことです。
Aさんはこういいました。「まず作品を目の当たりにした時に“よく分からない”、“理解できない”ものが気になりますね」と。
答えの意図がよくわからなかった自分はさらに聞きます。「それってどういうことですか?」
「つまるところ、遠い未来までをも見通した先見性のある一流アーティストの作品が、パッと見てすぐに理解できるはずがないから。作品が誕生してから、人々の生活様式や文化、価値観が多様に変化していく何十年、何百年という長い時間を経てもなお評価され続けていく一流の芸術作品が、製作されてすぐに理解されるはずないよね。だから自分は、作品を目の当たりにして、ウ~ン、これはなんだろう…ってなるのが気になるし、面白いんだよね。逆に、作品を見てすぐにアーティストの意向やコンセプトなどが分かっちゃう作品にはあんまり興味が持てないんですよ」と。
とかく難解とされる現代アートシーンの前線で活躍している人物が気になる作品が「よく分からないもの」ということは意外でしたが、詳しく話を聞くと、なるほど納得がいくものでした。
また、将来を見通し、導く先見性というものが創作物にとっていかに重要なことなのか思い知らされた瞬間でした。
物事の判断基準というものは何も現代アートシーンに限ったことではありません。自分も含め、身の回りにあるさまざまなハイプを見極める目を養いたいものです。