'90年代にNYに存在したアングラ臭漂うアートスペース、ALLEGED GALLERY。ゴンズやエド・テンプルトンをはじめとするさまざまなスケーターのアートピースを世に送り出したキュレーターのアーロン・ローズ。当時の活動を収録したドキュメンタリー映画『BEAUTIFUL LOSERS』の回顧展、“NOW & THEN”に合わせて来日した氏に'90年代を振り返ってもらった。
──AARON ROSE
[ JAPANESE / ENGLISH ]
Photo_Junpei Ishikawa
Special thanks_RVCA Japan
VHSMAG(以下V): まずアートの道に進もうと思ったきっかけを教えてください。
アーロン・ローズ(以下A): 実はアートを生業にしようと思ったことなんてなかったんだ。偶然というか事故だね。25年経った今も職業と思ってはいない。だって今でも昔と変わらず仲間とハングアウトしているだけだから。たしかにオレのやることにお金を払ってくれる人がいるわけだけど、戦略的な仕事と捉えたことは一度もない。そんな感じで進めていたらめちゃくちゃになっていたと思う。
V: '90年代にNYのLESでAlleged Galleryを運営していましたが、あのギャラリーはどういった経緯で始まったのですか?
A: 偶然の事故としか言いようがない。ラドローストリートに面した店舗を借りたんだ。家賃は月$400。オレはスケーターだし周りには絵を描くスケーターの仲間がたくさんいた。だからパーティを開いて彼らの作品を展示することにしたんだ。パーティをするだけの口実だったんだけどね。次第に絵が売れるようになって、アーティストの仲間もたくさんいたからギャラリーとして続けることにしたんだ。
V: 当時のNYはどのような感じでしたか?
A: 誰もアンダーグランドのアートにまったく興味を示さなかった。だからアンダーグランドカルチャーに傾倒する駆け出しのアーティストが作品を展示できるのはAlleged Galleryだけだった。スケートだけじゃなく、グラフィティ、ファッション、映像…。当時はアンダーグランドだったら何でも展示していた。そんなことができるのはAlleged Galleryしかなかったからね。
V: 当時はどのような生活をしていたのですか? すぐにギャラリーが軌道に乗ったわけじゃないですよね?
A: そうだね。ギャラリーの上に住んでいた。昼は別の仕事をしながらギャラリーを運営していた。ギャラリーを開けていたのは6pmから夜中まで。Max Fishというバーの隣りで営業時間も同じだった。だから基本的に夜に開いているギャラリーだった。
V: 初期の時代で大変だったのは?
A: まあ、最初は金が全然入ってこなかったから…。初めの2年は何も売れなかったんじゃないかな。昼に別の仕事をして夜にギャラリーでハングアウトしていただけだった。だから金銭的に厳しかったというのと、今思えばオレには何の知識もノウハウもなかった。Alleged Galleryを始めるまでギャラリーに足を運んだことすらなかったから、何をすればいいかまったくわかっていなかった。ギャラリーがどんな場所かも知らなかった。だから手探りの状態が続いたんだ。やりながら学ぶしかなかった。アーティストとやり取りをして、創作の進み具合を確認して、作品を管理して…。オレはギャラリーのオーナーとしてかなり無責任なタイプだったから。作品をなくしたこともあるし、上から描かれたり、グラフィティされたり、破損したり…。いろんなことがあった(笑)。
V: 大変そうですね(笑)。NYのスケーターがAlleged Galleryに出入りしていたのはわかりますが、ウエストコーストのスケーターとの繋がりはどうやって生まれたのですか?
A: たとえばエド・テンプルトンはトーマス・キャンベルを通して知り合った。トーマスがNYに来て展示をしたことがあったんだけど、彼と繋がったのもアンディ・ジェンキンスがきっかけだった。トーマスからこう言われたんだ。「エドのクローゼットはまだ誰も観たことがないペインティングであふれている。展示をしたほうがいい」って。そうしてエドに連絡したらNYに来ることになったんだ。作品をバンに積み込んでLAからアメリカ大陸を横断して来たんだ。基本的にすべて仲間の繋がりだね。
V: 今回のアートショーで展示しているマーク・ゴンザレスやトービン・イエランドもそうなんですね。
A: そう。トービンはクリス・ジョハンソンを通して知り合った。彼がAntiheroのグラフィックを手掛けるずっと前の話。マークはジェレミー・ヘンダーソンを通して。
V: NYのレジェンドですよね。
A: そうだね。ジェレミーは隣りに住んでいたんだ。ラドローとスタントンのコーナー。
V: 彼がクリエイティブなスケーターのハシリということはわかりますが、当時のNYのスケーターがジェレミー・ヘンダーソンのことをこぞってレジェンドと呼ぶのはなぜですか?
A: 昔のNYのスケートコミュニティは本当に小さなものだった。25人くらいしかいなかったんじゃないかな。そんな中でもジェレミーは特別なタイプだった。いろんなカルチャーにクロスオーバーしていたんだ。キース・ヘリングとも仲が良かったし、彼自身アーティストでShutといった初期のスケートブランドにも深く関わっていた。いろんな人が彼の家に泊まっていた。マークもそのひとりでNYに来る度にジェレミーの家にステイしていたんだ。最初、彼の隣りに越した頃はイヤなヤツだったけどね。オレのほうが年下だったこともあって…。「お前ら誰だ」って感じだった。仲良くなるまでそこそこ時間がかかった。
V: みんなそういう経験一度はしますよね(笑)。当時で印象的だった出来事は?
A: プロである必要がなかったから…自由だったことだね。あの頃は素晴らしく自由だった。責任なんてなかったからプロである必要なんてなかった。そうなるとクリエイティビティが唯一のモチベーションになる。有名になって、金も入って、プロになってしまうと何かが失われてしまうような気がする。ルールに従うことを要求されるから。
V: なるほど。ではギャラリーを維持するモチベーションはクリエイティビティだけだったんですね。
A: そう。あとは仲間の作品を見せたいという気持ち。メインストリームでは絶対に目にすることのできないものばかりだったから。アンダーグランドな会話をしたりアイデアを共有できる唯一の空間だった。オレたちは人気あるすべてのものに抗っていた。今の時代は「インスタで有名になりたい、人気者になりたい」と思う人間ばかりだけどね。オレたちの時代は「人気があるものなんてクソ食らえ。誰も見向きしないものこそリアルなんだ」ってな感じだった。
V: ドキュメンタリー映画『Beautiful Losers』(※美しきルーザーたち)のタイトルはそこから来ているんですね。アートの道を進んだのは偶然の事故だと言っていましたが、それによって影響を受けた人は世界中に後を絶たないと思います。当時を振り返っていかがですか?
A: アメリカは『Beautiful Losers』が高校のアートクラスで教材として使われているんだ。
V: それはすごい。
A: 公立の高校であのドキュメンタリー映画が流されているんだ。オレにとってはそれが最高の幸せだね。新しい世代の若者が学校であのドキュメンタリーを観て学んでいる。これでオレの活動が完了した感じがする。
V: 現代は人気者になりたい人だらけだと言いましたが、DIY精神は今でも大切にされていると思いますか?
A: どの時代にも例外はいるけど…基本的にどのカルチャーも振り子のようなものだと思うんだ。時代によって振り子が動く方向が違う。言ったり来たりするものだ。だからいつかまたDIY精神が重視される時代は戻ってくると思う。でも現代はDIY精神がおざなりになっていると感じる。それよりも成功することが重要視されていると思う。何をするにも成功することが優先。でもオレたちは結果よりもそのプロセス、ストーリー、成長すること…それが最大の魅力だった。成功はつまらない。成功したら嫌いなヤツともディナーに行かなければならなくなる。昔はそんなことしなくてもよかったのに。
V: では今回のアートショーで'90年代の活動を再訪した感想は?
A: 最高だと思う。当時の連中は今でも仲間だけど、会う機会はなかなかないし…。みんなそれぞれの世界でそれぞれの人生を送っている。みんな忙しいから会うことなんてないんだよ。今回のショーにみんなが参加してくれたのは、また一緒にハングアウトしたいと思ったからだと思う。
V: 今回のショーはRVCAが主催ですよね。
A: そうだね。Alleged Galleryを閉めてNYからLAに移った頃にRVCAのオーナーからANP Quarterlyというアート誌を作ってくれないかとオファーをもらったんだ。そしてエド・テンプルトンとブレンダン・ファウラーという仲間と引き受けることにした。もう12年になるかな。RVCAとはそういう繋がりだね。
V: 今回のショーのタイトルはNOW & THEN(※現在と過去)です。当時と比べて変わったと思うことは?
A: みんながプロになったことかな。今回のショーのセッティング中は会場が散らかり放題だった。周りから「大丈夫? 間に合う?」って心配されたけどオレは安心していた。だってみんな昔と違って今はプロなんだから。20年前ならそう思えなかっただろうけどね(笑)。
V: ではこれまでの活動で一番誇らしいことは?
A: 何も持っていなくても夢を追いかけることができると伝えられたこと。DIY精神の話に戻るけど、ギャラリーを始めたければ自宅のベッドルームで始めればいいじゃないか。レストランを始めたければ小さな空間を借りてブリトーでも何でも売ればいいじゃないか。小さく初めてもビジネスを成長させた例はいくらでもある。「『Beautiful Losers』を観てやりたければ何でもできると思えるようになった。投資家を見つける必要もないんだ」って言ってくれる人もいる。まずはやりたいことを始めればいい。正しいことをやってさえいればうまく行くはずだ。
アーロン・ローズ / Aaron Rose
@aaronroseofficial
1969年生まれ、オレゴン州ポートランド出身。1992年から2002年までNYでAlleged Galleryを運営し、ドキュメンタリー映画『Beautiful Losers』のディレクターとして知られる。現在はRVCAが刊行するアート誌、ANP Quarterlyを手がけている。