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前代未聞のバンガーパート“HOPE TO DIE”を残したばかりのデーン・バーマン。世界中の話題をかっさらったエンダーを巡るバトルの裏側。
──DANE BURMAN

2020.10.16

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Photos_Kurt Hodge
Special thanks_Vans

VHSMAG(以下V): 今回リリースした“Hope to Die”パートはかなりヤバかったね…。でもその前に確認したいんだけど、たしか今年初めにも“Damn It All”パートを公開していたよね? 今回のパートは今年2本目ということ?

デーン・バーマン(以下D): 3本目だね。実はその間にもう1本パートがあったんだ。オーストラリアからジャック・オグレイディやリーヴァイ・ジャービスらが泊まりに来たときにビデオを作ったんだ。ヤツらが1、2ヵ月ほどアメリカに滞在していた間に撮ったもの。その中にも3分くらいのオレのパートが入っている。だから今年で3本目のパート。
 

オレはこういうスケートしかできないんだ

V: 1年に3本のパートとは激しいね。今回の“Hope to Die”パートの撮影期間は?

D: たぶん7、8ヵ月かな。ほとんどのフッテージは新型コロナウイルス騒動のなかで撮影したもの。学校や企業が閉鎖されている間にフィルミングを続けたんだ。だからやりやすかったね。街が空っぽだから週末を待つ必要もない。平日もずっとスケートができたから。

V: このようなバンガーだらけのパートの撮影のプロセスはどんな感じ?

D: オレはこういうスケートしかできないんだ。これまでのパートもこんな感じだし。こういうスケートが好きだし楽しいと思えるんだ。これがオレのスケートスタイルだから。パートに取り組む際は基本的に自分の得意なトリックのクオリティを上げて撮影するように心がけている。そういうトリックをひとつかふたつ収めたら、やってみたい新しいトリックや自分の苦手なトリックに取り掛かる感じ。あるいは、ちょっとしたスパイスになるような捻りを利かせたトリック。オレのパートには大抵、でかいレールでの50-50、5-0やFsフィーブルが入っている。まずそれらをベースにしてパートを組み立てていく。それ以外はドライブしながらスポットを探すことが多い。基本的に他の人があまり滑っていないスポットを攻めるようにしているから、ビデオを観て気に入ったスポットで撮るというわけにはいかないんだ。

V: バンガーばかりトライして燃え尽きることはないの? パートを出すときは前作を上回らなければならいプレッシャーもあると思うけど。

D: オレはただスケートが好きなんだ。これがオレのやりたいことだし、永遠にずっとスケートし続けたい。モチベーションが枯れることもない。ステアの段数を増やしたりトリックの難易度を高めることだけじゃなく、今までやったことのないトリックをトライするだけでもいい。いつもやっているトリックを、新しい方法で、あるいは新しいスポットでやるだけでもいい。自分が進化していると感じられればいいんだ。ストリートに出て自分を追い込むことができればうれしいと思っている。でもやっぱりエンダーをどうしようか考えていたときはストレスを感じた。あのときは燃え尽きそうになった。

V: 今回のパートの撮影前にヒザの怪我で2年半ほどスケートができなかった時期があったんだよね?

D: そうなんだ。2017年に仲間とバルセロナに行ったときに怪我をしたんだよね。ツアーの終盤にハンドレールをグラインドしようとしたんだけど、そのときにヒザをスラムしちゃって。それでヒザのすべてを断裂。後十字靱帯、半月板、膝蓋腱、膝蓋骨。基本的に前十字靱帯以外を全部やっちゃったんだ。復帰するのに2年以上かかったんだけど、その間は毎日痛みとの戦い。スケートをしに行っても、朝に縁石から降りただけでヒザが痛んでその日は終了。もう二度とスケートできないと思うこともあった。理学療法で医者に注射を打ってもらっていたんだけどね。コルチゾンの注射もしたしPRPの注射もした。でもどれも役に立たなかった。どの医者もどんな手術をすれば良くなるのか見当もついていなかった。もう八方塞がり。でも食生活を変えると少しずつ改善していったんだ。パンを食べるのをやめてグルテンを極力控えることで痛みも徐々に治まっていった。痛くなくなってからは「よし。この感覚を無駄にしたくない。全力でまたスケートに挑戦してみよう。絶対にやってやる」と思うようになった。“Damn It All”の撮影中はずっと痛みと戦っていたんだけど、最後の1、2ヵ月でようやく思うように動けるようになった。その間にメインのバンガーを10〜15カットくらい撮影したんだ。その後にオーストラリアの仲間とビデオを作って、さらに今回のパートが完成したってわけ。痛みのない状態を無駄にしないで動き続けた感じ。

 

スケートがオレの人生すべてなんだ

V: そこまでデーンを突き動かすモチベーションはどこから来ているの?

D: なんだろうね。他に何もないからじゃないかな。純粋にスケートが好きなんだ。オレにすべてを与えてくれたから。スケートがオレに親友を与えてくれた。人生のすべてのいい経験を与えてくれて世界中に連れて行ってくれた。生活ができているのもスケートのおかげ。スケートをしているから家賃も払えているわけだし。スケートがオレの人生すべてなんだ。

V: 前に「エリック・コストンに影響を受けた」って話していたことがあったけど、デーンとは対極のタイプのスケーターだよね。

D: 「影響を受けた」って言うと、その人と同じようなタイプのスケートスタイルになると思われがちだけどオレの場合は違う。オレはコストンのおかげで今のスタイルにたどり着くことができたんだ。ガキの頃にコストンのスケーティングに衝撃を受けてぶっ飛ばされた。それで「オレはヤツのようには絶対なれない。オレなりのスタイルを見つけないと」って思うようになった。スティービー・ウィリアムスとジョシュ・ケイリスにも影響を受けた。昔のLOVE PARKの映像が大好きだった。だから若い頃はスイッチばかりやっていたんだ。SsフリップやSsヒールばかりやっていたのもあのふたりの影響。でもフラットでやるのが限界だった。ステアでできても、レッジのコンボで使えるほどのスキルはオレにはなかったんだ。

V: でも今回のパートではスムースなノーズマニュアルのノーリーフリップアウトをラインでやっていたよね。

D: まあね。それくらいはできるけど…テクニカルなトリックをやっているとイライラしちゃうんだ。フルスピードで恐怖と戦っているほうが好きだね。

 

 

V: パートのタイトルの“Hope to Die”はBGMに使ったOrville Peckの曲名でもあるよね。どういう経緯であの曲を使ったの?

D: Orville Peckは若い頃にスケートをしていたんだ。Thrasherも読んでいたし、当時のスケーターをリスペクトしていた。そのひとりがジェイミー・トーマスだったんだ。そして最近、Orville PeckからジェイミーにDMが届いたんだよ。「ガキの頃に影響を与えてくれてありがとう。お礼を言いたい」って。オレはもともとOrville Peckの音楽が好きだった。そしてそのときにインスタグラムでお互いをフォローし合っていることに気づいたんだ。何度か連絡を取り合ったんだけど、かなりクールなヤツだった。それから今回のパートの撮影が始まったんだけど、朝一番スポットに向かう車の中でいつもヤツの音楽をかけて気合を入れていた。そしてある日、フィルマーのヴィニーが「Orville Peckの曲を使うのはどうだ?」って言ったんだ。そうやって今回の曲を使うことになった。ちなみにパートの公開のタイミングでZeroからヤツのデッキもリリースすることができたから最高だった。

V: 今回のパートはヒザの怪我から完全復帰してからの撮影だったんだよね? 撮影中はヒザが痛むことなくいい感じで進んだの?

D: 小さな怪我はいくつかあったけどね。尻を痛めてしまって1ヵ月スケートできなかった時期もあった。デンバーであるトリックを長時間トライしたんだけど、身体の同じ部分を何度も打ちつけちゃって…。尻が完全に腫れて、ヒザから下の足全体もあざで真っ青。その間は撮影できなかったけど、それ以外はいい感じだった。

 

 

V: パートに入れたかったけど断念したトリックは? 屋根のギャップのトレフリップはどうだったの?

D: あれはメイクしたかったね。実はあのスポットには2回通ったんだ。最初に行ったときは全トライ乗りゴケはしたんだけど。何度やってもすくわれたり、前かがみで重心がぶれたり、屋根から落ちたり。今回のパートで使ったフッテージはよく観ると着地したときに両足が揃っているんだけど、その衝撃でフロントウィールが屋根に刺さってしまった。屋根に穴が空いちゃったんだよ。それで前に吹っ飛んで屋根から落ちたんだ。それで2回目に戻ったときに鉄板を敷いて再トライ。何時間も粘ったけど、詰まったり、すくわれたり、前に吹っ飛んだりしてメイクできず。ダウンヒルのギャップだからうまく重心のバランスが取れなかったんだ。それに灼熱の地獄のような日だったから…。屋根の表面は硬いゴムなんだ。だから転んで滑ると皮膚が擦り切れて火傷してしまう。暑い日のバートランプの面と同じ。何度もスラムしたから前腕も尻も体中が擦り切れて火傷状態。涼しくなったらまたトライしてみようかな。

V: そんな感じで何度もバンガーをトライしているとき、頭の中はどうなっているの?

D: スケートを始めて27年経つけど、これまで簡単にできたトリックなんてひとつもなかった。オレは決して才能のあるスケーターではないんだ。自然に身についたトリックなんてひとつもない。初めてキックフリップをメイクするまで4年かかっているからね。最近の子は1週間でキックフリップを覚えるようだけどオレの場合は4年。当時はインターネットもなかったし、一緒に滑る仲間もいなかった。ずっとひとりで滑っていた。だからバンガーをメイクするのにいくら時間がかかっても「大変なのは今に始まったことじゃない」って思っている。楽にメイクできないからこそ価値があるわけだし。大変な思いがあるから意味がある。だからできるだけ粘ってメイクできるまでトライし続けるようにしている。

 

 

V: 撮れて一番うれしかったトリックは? やっぱりエンダーのステープルズセンターでの50-50?

D: あのエンダーはうれしかったね。また50−50だけど…。オレのパートは50-50が多いんだ。でも今回のエンダーは合計5年ほどかかっている。実は3、4本前のビデオパートからトライしているんだけど、毎回何かに邪魔され続けてきた。全部で10回ほど通っていると思う。今回ようやくメイクできて良かったよ。これまでの積み重ねがあるし何年もかけて試行錯誤してきたから、あのフッテージは特別だね。

V: メイクまでのプロセスはどんな感じだったの?

D: ステープルズセンターのオレがトライした側はなぜか警備員がすぐに出てくるんだ。ゆっくりトライできる時間があれば初日でメイクできたと思うけど、いつも5分でキックアウト。スポットに到着してステアを駆け上がり、速攻でトライしなければならない。様子を見ながらテンションを上げる時間すらない。初めてトライしたときはメイクできそうだったんだ。何度かヤバいスラムもあったけどね。あのスポットはレールからハバに乗る際にちょっとした隙間があるから、フロントトラックを少し上げてギャップをクリアしなければならない。何度かそのギャップにバックトラックが引っかかって前のめりでハバを滑り落ちて、最後のキンクでバックドロップを食らうんだ。あのスポットに通った最初の3、4回は毎回そういうスラムを食らっていた。

V: ヤバいね…。

D: 初めてトライしたのは『No Cash Value』のパートの撮影。でも何度もキックアウト。あのパートのために2回通ったんだったっけな。それで次は『Holy Stokes!』のパート。Volcomの仲間と行ったんだけど、そのときにミルトン・マルチネスもいた。オレがトライする間、ステアの上で警備員をブロックしてくれていたんだ。でも警備員にタックルされてミルトンは地面に押さえつけられて縛られてしまった。それで警察が来たんだけど「オマエらはただの警備員じゃないか。人を縛る権限はない」って(笑)。それで解放されたんだけど、あれは正気じゃなかったね。それからは警備がさらに厳しくなったから、ほとぼりが冷めるまで数年ほど待つことにしたんだ。それで“Damn It All”の撮影でまたトライしようと思ったんだけど、ヒザの具合が悪くてメイクできるイメージすらできなかった。スポットを見ているだけで気が滅入っちゃってね。当時はオーリーでレールに乗ることすらできない状態だったと思う。変にスラムしたら…。ミスってハバを走り降りるだけでヒザがおかしくなってしまうかもしれない。2回ほどトライしたけどメイクできる状態じゃなかった。

V: そしてようやく今回メイクできたわけだ。

D: そうだね。マジで良かった。あのスポットに戻ったときに「今ならできる」って行けそうな感じがしたんだ。マイク・バーネットに「写真を撮りに来ないか?」って連絡したよ。ヤツが来るってことはThrasherの撮影ってことだから。もう後戻りはできない。中途半端はなし。わざとそういう状況に自分を追い込んだんだ。でもいざトライするとレールがグラインドしない。四角いアルミだから引っかかるんだよ。何度50-50をかけても止まってしまう。それでハバに頭からダイブしてスラム。1日に5、6回トライするんだけど毎回そんな感じでキックアウトされる。翌日に戻ってワックスを塗りまくってトライしても状況は同じ。何度やってもグラインドしなくてキックアウト。そして次の週末に再チャレンジ。今回はトラックにコーパーを装着したらようやくグラインドするようになった。それで初めてレールをグラインドしてハバに飛び移ることができた。でもスピードが速すぎて最後のキンクでふっ飛ばされてスラム。そのときは着地地点のちょっと先にフェンスがあったんだ。当時はステイプルズセンターで新型コロナウイルスの検査をしていたから、誰も入れないようにフェンスで囲まれていたんだ。

 

 

V: たしかにフッテージを観るとフェンスがあるね。

D: グラインドして、ハバを降りて、着地して、フェンスにぶつかる前にパワースライドで止まれると思ったんだ。でもスピードが速すぎて着地したと同時にフェンスに激突。それで警備員が出てきてキックアウト。周りは「メイクじゃない?」って言ってくれたけど納得できるわけないよね。エンダーとして使えるわけがない。だから警備員の隙を見てスポットに戻ってフェンスを引きずりながら開けたんだ。だってやっと着地まで行けたんだから。すると「警察を呼ぶ」って。急いでステアを駆け上がったんだけど警察が到着。最後の最後で警察にキックアウトされたんだ。とりあえず形だけフェンスを閉じて、ちょっと離れた場所で30分ほど待機することにした。そして「ファック。走って戻って1トライだけやろう」って感じでフェンスをまた開けて、速攻でステアを上がって再トライ。そして2トライ目でメイクしてそのまま現場を離れた。あれはマジで時間がかかったよ。

V: 長かったね。マジでお疲れさま。でもひとつ気になったんだけど、メイクしたときにスポッターがいなかったよね。車に轢かれそうになっていなかった?

D: そうだね。あのときはスポッターのことなんて考えていなかった。そもそもあの通りは交通量が多くないんだ。それにみんな急いでいたからね。メイクしたときはオレと撮影部隊ふたりの3人だけ。メイクした後に仲間のスケーターが映っているけど、いつもはヤツがスポッターなんだ。ヤツもオレを追いかけてきてくれてはいたんだけど、ヤツが到着する前にトライしたから。もう少し早く着いていたら車が来ているって教えてくれただろうけど。
 

 

V: もう今年の後半だからSOTY争奪戦が始まるね。でもデーンはパート3本あるし。

D: まあ、でもこれからマジでヘビーなパートがどんどん出てくると思う。オレのパートなんて数週間で忘れ去られるかも。

V: あのエンダーは忘れられないでしょ。

D: どうだろうね。

V: ということで壮絶なバトルを乗り切って今年3本目のパートを無事にコンプリート。最後に言いたいことは?

D: まずZeroに感謝したい。そして家賃を払ってくれているLiquid Deathにも感謝。これは水のブランドなんだけど本当に美味しい。そして今回のインタビューをセットアップしてくれたVans。本当にいろいろ助けてもらっている。基本的にすべてのスポンサーとサポートしてくれるファンのみんな。彼らなしでは何もできないから。マジでありがとう。

 

Dane Burman
@daneburman

1987年生まれ、オーストラリア・シドニー出身。規格外のテラインで魅せる危険と隣合わせのスケーティングが最大の武器。スポンサーはZero、Vans、Liquid Deathなど。

 

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