STORE
VHSMAG · VHSMIX vol.31 by YUNGJINNN

POPULAR

手付かず

2024.12.13

MOMIJI

2024.12.16

ADIDAS SKATEBOARDING /// SSTR TOUR

2024.12.13

TEPPEN KABUKICHO

2024.12.17

HEITOR DA SILVA / ヘイター・ダシルヴァ

2024.12.13

SKATE SHOP VIDEO AWARDS - 昭和99年スケーターの休日

2024.12.18

KENTO NAMEKAWA / 滑川絢斗

2024.12.18

HIGHSOX / ハイソックス

2024.12.12
  • X-girl

SKATE SHOP VIDEO AWARDS 2024
SKATE SHOP VIDEO AWARDS 2023 SKATE SHOP VIDEO AWARDS 2022
MIXXA - VANS

UKを拠点に独自の美的センスで世界へと手を広げるスケートブランドYARDSALEのファウンダー、ダニエル・クレイテム。新作『YS 3』の公開を控える昨年10月末に敢行されたインタビューをチェック。
──DANIEL KREITEM / ダニエル・クレイテム

2024.01.29

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Photo courtesy of Yardsale
Special thanks_Prov Distribution

VHSMAG(以下V): まずは簡単な自己紹介からお願いします。

ダニエル・クレイテム(以下D): スケートは10か11歳の頃からやっていたけど、本格的にハマったのは15か16歳の頃。サウスバンクに毎日のように通っていた、放課後や週末にね。いろんなスタイルや有名スケーター、尊敬するローカルプロがミックスされていたんだ。クールなことや何をすべきかを学べる場所だった。だからサウスバンクのおかげで今の自分があるし、スケートについての考え方や感じ方を教えてくれて本当に感謝している。そしてサウスバンクにいたことで、Slam City Skatesで働いていたたくさんのスタッフに出会った。親友のパディ・ジョーンズとジェイコブ・ソイヤーもそう。ヤツらのおかげで初めてスケートショップで働くようになったし、スケートで何かできないかと考え始めた頃だったから本当にいいタイミングだった。というのもその頃は小売業の仕事や他の会社の副業に追われ、自分の人生に必要なことをしているという実感がなかったから。だからスケートショップで働き始めたことで、スケートで何かやりたい、他とは違うものを作りたい、コミュニティに自分の考え方や自分がクールだと思うものを持ち込むことができると気づくことができた。特にあの頃はスケートシーンがつまらないと感じていたから。

V: それはいつ頃?

D: Yardsaleを始めようと思ったのは2012年頃だったと思う。最初は「服やビデオを作ったらクールだろうな」という感じだった。そこから1年間かけて従兄弟と一緒にデザインをしたんだ。ロゴデザインも服のデザインも未経験だった。でもなんとなくビジョンはあったから、その1年間は何度もやり取りして、夕方から彼の家に行って、夜遅くまでロゴや使えるイメージについて考えていたね。

V: Yardsaleを始める前は、スケートの撮影をしていたんだよね?

D: でも基本的にフィルマーになろうと思ったことは一度もないんだ。仲間を撮ったり、サウスバンクで知り合った人たちを撮ったりしていたら、周りから撮ってほしいと言われるようになったんだ。まあ、リスペクトするスケーターから「フィルミングが上手い」とか「キミの作品が好きだ」とか言われるとその気になってしまうよね。

V: 当時のイギリスのシーンはどんな感じだったの? アメリカのスケーターと地元のスケーターのどちらをフォローしていたの?

D: 両方だよ。変な感じがするけどね。スケーターは世界のどこに住んでいても、アメリカのスケートビデオを観て育つから。大きな影響力を持っていて、手の届かない存在。そしてサウスバンクのような場所でスケートを始めると、ロンドンのビデオに登場する連中を見て、ヤツらがより身近な存在になり、ローリー・ミラネスやチャーリー・ヤング、ジョーイ・プレッセイのようなスケーターをリスペクトするようになるんだ。Landscape、初代Palace、そしてBlueprintのライダーたちの拠点でもあった。最高だったけど、そんななかでアメリカが大きな影響を及ぼしていたから不思議だ。あっちにはディラン・リーダー、ヒース・カーチャート、アンドリュー・レイノルズのようなスケーターがいたから。でもロンドンでは、現地のスケーターを実際に見ることができる。それが何よりもヤバかった。それにロンドンには独自のスタイルがある。Yardsaleを始めたのも、撮影を始めたのも、このようなスタイルになったのも、その原因の50%は当時のロンドンのスケートビデオの雰囲気が嫌だったからなんだ。 ロンドンのスケートビデオを観ていると、いつも退屈に感じていた。全部がそうじゃないけどね。今のYardsaleのスタイルを形成した作品もあるから。Yardsaleを始めた理由の残りの50%は、そういうものが嫌で変えたかったからなんだ。

V: Yadrsaleという名前の由来は? 「Yardsale」はイギリスの言葉じゃなくてアメリカの言葉だよね?

D: まず名前ありきじゃなかったから。優先されるのは美的センス。そしてビジョン、ビデオや服の見え方。それからしばらくして、頭に浮かんだ名前を書くようになった。それらを書き留めて、デザイナーに送ったら、それをロゴにしてくれたんだ。それが今もよく使うスクリプトロゴになったんだ。名前の意味はブランドに影響しないと思うからあまりこだわらなかった。Chocolate Skateboardsと聞いてチョコバーを連想するスケーターなんていないだろ? むしろヤツらのビデオの美的センス、その名前で作られた世界観のことを連想するはずだ。

V: Yardsaleを始めた初期の時期はどんな感じだった?

D: もしオレらが多額の資金を投入した大きな企業であれば今頃とっくに終わっていたと思う。最初の3年間がオレらの美学を作り上げたんだ。今もそうだけど、本当に仲のいい仲間と一緒にスケートトリップに出て、自分たちが見つけたクールだと思うスポットを1日中滑るんだ。そしてそれは、オレとカーティス・パールがまだ誰も滑ったことのないスポットを探したり、みんながお互いを知っていたから一緒に気持ちよくセッションすることに集中していた3年だったと思う。 今の時代、ブランドを立ち上げるときは他のチームからライダーを選ぶことが多い。でもそんな感じだと、ライダー同士が一緒に滑ったことがないから違和感があるんだ。すでにキャリアがあったり、自分のプロジェクトをやっていたりするようなスケーターだから、最初からチームとして一緒に成長しているわけじゃない。だから最初の3年間は本当に重要だった。文字通り、スケートに対して情熱を持ち続けている仲間たちが集まって、その時点でできる最もユニークなことをやろうとしていたんだから。

V: Yardsaleの人気が出てきたと感じた瞬間は?

D: 正直に言うと、最初に作ったビデオは今振り返っても当時の周りの作品とまったく違っていたからとても重要だった。Alien Workshop、Palace、Polarを除けば、どのスケートカンパニーも同じようなことをやっていた。それ以外は同じ退屈な従来のフォーマットを踏襲していたんだ。最初のビデオが出たとき、ロンドンでプレミアを開催したのを覚えている。かなり好評だった。あまりに斬新だったから、みんなロンドン産であることに驚いていた。 後半はLAで撮影したんだけど、前半のロンドンの部分の雰囲気が従来のものと全然違ったんだ。それに一緒にリリースした服も斬新だった。当時はSlam City Skatesで働いていて、すでにTシャツがたくさん売れていた。おそらく2016年に初めてアパレルの本格的なコレクションを作ったと思う。 自宅で仲間とパソコンを確認しながら最初のラインがどれくらい売れるか不安だったことを今でも覚えている。そして販売がスタートした途端、その売れ行きの良さに大騒ぎになった。ベッドルームで、ただパソコンの前に座って数字が上がっていくのを見ながら「ヤベぇ!」って圧倒されていたよ。


 

V: 後援者や出資者はいなかったの?

D: いなかった。最初のTシャツは父親に1,500ポンド借りて作ったんだ。そこから先は、取引ショップからの入金や前金などに頼ることになる。大企業のように資金が潤沢にあるわけではなかったから大変だったけどね。でも他社から出資の申し出はあったんだ。何社かとミーティングをしたけど、Yardsaleのかなりのパーセンテージを買い取りたいという会社ばかりだったから断ったんだよ。まあ、世界的なスケートカンパニーになるために必要なオファーだったはずなんだけどね。でも自分のパーセンテージを失いたくなかったから、そんなことは絶対にしたくなかった。オーガニックな形で成長させたいと思っているブランドを誰かにコントロールされることは絶対に嫌だった。それにいつも恐れていたから。

V: 賢い決断だね。

D: 間違いない。正直なところ、振り返ってみるとマジで大変だった。週7日働いている。夜中に目が覚めて「クソ。今日はあれをやれなかった」とか「あのライダーと1週間も話してない。ヤツは大丈夫かな」とか考えるんだ。絶え間ない仕事だ。ブランドを運営しながら、同時に家族を養っているようなもの。だから会社の経営をしながらライダーやスタッフの面倒を見ている年老いた父親のような気分だよ。そのおかげでいつも元気でいられるんだ。

 

V: Yardsaleは美的センスが独特だよね。どこからインスピレーションを得ているの?

D: オレはいつも服に夢中だった。スケートするときも、着ているものがしっくり来なければ調子が悪くなる。自分が心地良いと感じる服を着ているとスケートが調子良くなるから不思議だよね。だからシューズや服装が大きな部分を占めている。インスピレーションとしては、'90年代、時には2000年代のファッション。10代後半にLAの古着屋に行きまくったときの感覚。ロンドンでは手に入らないような服を見て「どうしてロンドンでは誰もこんなものを着ないんだ? やばいだろ」って。だからLAに行って古着屋で大量に服を買って、ロンドンに持って帰ってきて「よし、このパーカーのこの部分を使おう」っていう感じ。だからLAと'90年代のスケートシーンのミックスかな。

V: 音楽のミックスも手掛けているよね。

D: ああ、スケートにおける音楽はオレにとって大きな存在だった。今もそうだけど。スケートビデオで音楽が良くなかったら観ないし。周りに同じ音楽の趣味を持ちながら新しい音楽を探すことに前向きな連中がたくさんいるからいい感じ。LAにいる仲間も音楽の趣味がいいんだ。ヤツらから新しい音楽を教えてもらって、一度気に入った音を聴き始めると夢中になり、さらに深く潜り込んでいくものだと思う。音楽はかなり重要だよ。


 

V: ちなみにYardsaleにはシグネチャーデッキがないよね?

D: それも『YS 3』が公開されたら変わる。というのも、このビデオでプロになってもおかしくないレベルのライダーが何人かいることが明らかになるから。だからもう少しでリリースされる。チームにプロがいることは、スケートカンパニーを運営する上で、特に若い世代にとってはとても重要なことだと感じているからね。これまでプロがいなかったのは、オレが慎重だからなんだ。アメリカでプロになれるレベルでない限り、プロにはしたくない。わかるだろ? プロになるには、それに相応しいビデオパートが必要だ。
 

V: サイナン・コスタがチームに加入したね。

D: Yardsaleのライダーはみんな、オレが若い頃に発掘した才能ばかりなんだ。スポンサーがない連中ばかりだから誇りに思っている。カイル・ウィルソン、チャーリー・バーチ、ジュリアン・キムラ、サム・シタエブもYardsaleのライダーだった。だからサイナンのようにキャリアのあるスケーターを迎えるのは大きな決断だった。でもずっとヤツのスケートが好きだったし、1年半ほど前から服を送っていたんだ。 ヤツがYardsaleの服を着てるIGクリップを見る度に「ヤバすぎるくらい似合っている」と思っていたし。ヤツを迎えることは理にかなっている。ただ当時のヤツにはボードスポンサーがあったから、それ以上深入りするのを我慢していたんだ。でもヤツに会うためにリスボンに行って一緒に滑ったんだ。すぐに打ち解けることができた。クルーと自然と一体になっていた。あとは素晴らしいスキルの持ち主だし、テクニカルなレッジスケーターである点も気に入っている。

V: Yardsaleのライダーはみんなスタイルが違うからビデオを観るのが楽しいよね。今年はブランド設立10周年で『YS 3』のビデオもあるね。

D: つい最近、周りに言われるまで10周年だとは知らなかったんだ。ヤバいよね。『YS 3』の制作を始めたのは1年半ほど前。“YS UK”をリリースした直後で、当時はロックダウンでUKでしか滑れなかった。でもこのビデオが公開されたときにもうフルレングスは作りたくないと思ったんだ。 だから今後は旅に出るたびにツアービデオを制作する計画だった。アテネに行って、帰ってきて、またオレの悪い癖が出てきて…。「ダメだ。ちゃんとした作品を作らねぇと」って。後で振り返って、誇りを感じ、高揚し、時代を超えて残る作品を作る必要がある。単なる2週間の旅の記録ではなく、1年半の活動が見られる作品。それに3部作の作品にするのもいいと思ったんだ。さらにチームはこれまでで最高の状態だったから、本当に特別なものを作ることができると思っていた。


 

V: 撮影はどうだった?

D: スケートビデオの撮影は、Yardsaleの運営でやることがたくさんあるから個人的には今まで以上に大変になった。それにあのような作品を撮るには、適切な人材が必要なんだ。誰も使わないようなカメラを使うから、たとえば誰かのフィッシュアイのクリップをもらうわけにもいかない。誰もが使っているカメラで撮影し、それを送ってもらって使うことはできない。フィッシュアイのクリップはほとんどオレ自身が撮っている。フルタイムでブランドを経営しなければならないのに、世界で数人しか使っていないカメラを使っているから難しいんだよ。ブランドを経営する必要がなくビデオを撮ることだけが仕事だったら、半年で完成しただろうね。今回の作品は主に、オレらが行ったヨーロッパツアーと、UKの奇妙な街やイングランド北部、誰も行ったことがないような場所など、オレらが本当にいいと思えるクリップを中心に構成されている。Googleで見つけたスポットや自分の町で見つけたスポットを送ってくれる人がUK中にいて、いつも本当に助かっている。

V: これまでの作品と何か違うことを取り入れたりした?

D: 以前のビデオと同じことを繰り返したくないんだ。つねに新鮮で独特の美的センスが感じられるようにしたい。前のビデオでやったことを繰り返すとつまらなくなるだけだから。だから今回は音楽と映像からわかるように、間違いなく違う美学がある。あとはよりヤバいスケーティングが多いと思う。

ビデオや服は絶対に妥協しない

V: 妥協なしだよね。Yardsaleを運営する上で絶対に譲れないことは?

D: 妥協できる部分が少ないからオレの人生はストレスが多いんだ。一番はスケートビデオ、音楽、そして美学。ビデオや服は絶対に妥協しない。マジでセンスのいい仲間が何人かいるし、グラフィックの多くを手掛ける素晴らしいアーティストもいる。信頼できる仲間がいるから今は仕事を任せられるようになった。ブランドの運営を手伝ってくれるチャーリーには、この2年間本当に助けられた。ヤツがいなかったら間違いなく終わっていただろうね(笑)。今は信頼できるチームがいる。みんなやるべきことを理解している。オレらは新卒からランダムに人を雇っているわけではない。履歴書から誰かを採用するわけでもない。Yardsaleのスタッフはみんな自分の役割を果たすために厳選されている。だから信頼できるんだ。だから妥協と上手く付き合えているかも。少しずつ妥協することを覚えているかもしれない。人生を楽しみたいのであれば、そうしなければならない。そうでなければ、ずっとストレスが溜まっていくだけだから(笑)。でもね、オレの周りにはいいチームがいる。それが一番大事なことだ。

V: では今後の予定は?

D: 近い将来にコラボが予定されているけど、基本的にコラボは理にかなったものだけと決めているんだ。たとえばSergio Tacchiniのように、オレらが本当に気に入ったアイテムとビデオを作るための予算と自由を与えてくれるようなコラボしかしない。今やYardsaleは世界中で展開している。クールでブランドを理解してくれるショップで取り扱い続けられるようにしたいし、世界中の行く先々で撮影を続けられるようにしたい。それにチームはまだ若い。今回の『YS 3』で魅せたスキルがあって、そのほとんどが23歳以下だとしたら、次のビデオはもっとクレイジーになるかもしれない。だから今やっていることを維持し、成長し続けるだけだよ。

Daniel Kreitem
@yardsale_xxx | @dankreitem

ロンドン出身。フィルマー、Slam City Skatesスタッフを経て2013年にYardsaleを発足。独特の美的センスで従来のロンドンの美学から脱却して人気を博す。

  • ゑ | Evisen Skateboards
  • VANTAN