トリックやスポットのセレクションにセンスが光るディック・リゾ。ノンストップでフッテージをパンプアウトしてきた高感度スケーターのクイックインタビュー。
──DICK RIZZO
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Photos_Mike Heikkila
Special thanks_Kukunochi
VHSMAG(以下V): まずはスケートを始めた頃の話から。
ディック・リゾ(以下R): ニュージャージー北部のDrop Inというインドアパークの近くで育ったんだ。子供の頃は両親が兄弟と一緒にパークに連れて行ってくれたから、スケーターが滑る姿をよく見てた。それがきっかけでスケートに興味を持ったのかな。あとはRex-Plexセンターという場所にもスケートイベントを観に行ってた。10歳の頃に家の裏手の路地の草むらでスケートボードを見つけたんだ。きっと誰かが捨てたんだろう。それを使って兄弟や近所の仲間たちと順番で乗る練習をしてた。誰でも使えるように外の草むらに置きっぱなしにして。その年のクリスマスにデッキを買ってもらった感じだね。
V: 当時のニュージャージーのスケートシーンはどんな感じだったの? 一緒によく滑ってたスケーターは?
R: 当時のニュージャージー北部のシーンはかなり盛り上がってたと思う。スケートショップも何軒かあったし恵まれた環境だった。一緒にスケートして育った連中とは今でも仲良くしてるし。バギーをはじめとしたホーミーも12歳頃から今までずっと一緒に滑ってる。ジョシュ・ウィルソンやポール・ヤングも昔からの付き合いで一緒にスケートパークで滑った仲。14歳頃から特に仲良くなったんだ。
V: 本格的なスケートコミュニティに受け入れられたのは? 初めてのスポンサーはどこだったの?
R: ちゃんとしたスケートコミュニティの存在を最初に感じたのはDrop Inを通してかな。Drop Inはただのスケートパークじゃなくて、フルラインナップが揃ったショップが併設されてたんだ。PC、ソファやTVがあって、スケートビデオも見たい放題。ファミリーのような最高のヴァイブス。ちなみに初スポンサーはライアン・ブレナンが手掛けるSureShot Skateboardsというローカルブランド。
V: では影響を受けたスケーターは?
R: 若い頃に影響を受けたのは『New Thirsty』っていう、Popillsシリーズのジャスティン・ホワイトが手掛けたビデオ。リリースの何年も前からローカルスケーターの間で大きな話題になってて、発売されてからはそればかり観てた。この作品を通してストリートスケートのあり方を理解することができたと言っても過言じゃないくらい。その後に『Mind Field』がリリースされてかなりの衝撃を受けたね。
V: ニュージャージーのスケーターはド渋なスタイルの持ち主が多くてスポットの見方も独特な印象がある。ジャージースケーターの特性は何だと思う?
R: アメリカの北東部は夏が猛暑で冬が極寒。つまり天候が最悪なんだ。暑かったと思えば雪が降り積もって塩が撒かれる。だから路面が傷んですぐにガタガタになってしまう。だからニュージャージーには過酷な環境で滑りながら育つスケーターが多いってことかな。悪路に負けないっていうか。
V: Bronze 56Kにフックアップされたのは?
R: ジョシュがJP・ブレア、ザック・ボニームとブルックリンで一緒に住んでたんだ。ヤツらのアパートでハングアウトしてるうちにパット・マレーと出会った。Bronzeはパットとピーター・シドラウカスがジョークで始めたものなんだ。今じゃ大きなブランドに発展してるけどね。とにかくポールと一緒によく撮影してたんだけど、当時は何のビデオのためなのかまったく知らされてなかった。Habitatからデッキをもらってた頃だったけど予算の都合でキックアウト。そしてその直後にBronzeから“Solo Jazz”がリリースされたんだ。
V: “Solo Jazz”が公開されてHabitatから「戻ってこないか」って聞かれたのは有名な話だよね。その後はChocolateのフロウになったんだよね?
R: そうだね。“Solo Jazz”がリリースされた直後に当時のChocolateのチームマネージャーだったダニエル・ウィートリーから誘われたんだ。
V: リゾのようなイーストコーストのスケーターがChocolateの正式なチームにいたらイケてたのにね。Chocolateを去ったのは?
R: Chocolateは最高だったんだけどね。当時はHUFがLAに呼んだりしてくれたから、Chocolateのプロジェクトにも参加することができてた。オレをアマチームに昇格させる話もあったんだけど、Quasiのチャド・バウワーズから連絡があったんだ。まだブランド名がMother Collectiveだった頃の話。オレのスケーティングを気に入ってくれてチームに誘ってくれたんだ。オリジナルメンバーはジェイク・ジョンソン、ギルバート・クロケットにタイラー・ブレッドソー。ヤツらも大好きなスケーターだった。さらにはジョシュもチームに誘われたことを知って行くしかないと思ったってわけ。
V: Quasiのフルレングス『Mother』のパートはヤバかったね。イントロでいきなりボビートが登場したのには驚かされたけど、あれはどういう経緯で実現したの?
R: あれね(笑)。あれはポール・ヤングのおかげ。ヤツを通してストレッチ・アームストロングやボビートにハマったんだ。Zoo Yorkの『Mixtape』にもかなり影響を受けたから。あれは史上最高の作品だからね。イントロでボビートがシャウトアウトしてくれたのはかなりうれしいサプライズだった。
V: 『Mother』のパートで印象的なクリップは?
R: 全部かな(笑)。うそうそ。あのビデオは撮影期間が長かったから完成したときはマジでうれしかった。やっぱりラストトリックが一番印象的だったかな。ビデオのリリース数ヵ月前にメイクできて、やりたいことが全部撮れたような感じがしたから。それ以降は気持ちが楽になったのを覚えてるね。
V: 『Mother』の後もBronzeやHUFの作品が目白押しだったよね。マジでノンストップだった。モチベーションはどうやって保ってるの?
R: なんて言うか、今の生活はスケート一色なんだ。家にいる時間があったとしてもスケート以外にやりたいことなんて見つからないし。ツアーに出て、久しぶりに家に戻ると気分がリフレッシュされるから、そうやってモチベーションをキープできてるのかも。
V: ビデオパートを撮るときに心がけることは?
R: まずはやりたいトリックをリストアップして、タイムラインに沿って繋げてみる。実際に紙に書いたりはしないけど頭の中にトリックやスポットを思い浮かべてひとつずつ潰していく感じかな。
V: イケてると思うスケーターは?
R: ボビー・プーリオ、フレッド・ガル、クイム・カルドナ、Derm、ジャマール・ウィリアムス、アンソニー・パッパラード、キース・ハフナゲル、ディラン・リーダー、ブラッド・クローマー。Quasiのライダー全員、ジャーマン・ニエヴェス、デヴォン・コネル、リッキー・オヨラ、リッチ・アドラー、オースティン・カンフォウシュ、ボビー・ウォレスト…終わらないね(笑)。
V: HUFやBronzeで日本に何回か来てるよね。アメリカと比べて違うと思ったことは?
R: みんな知ってると思うけど日本でストリートスケートするのはマジで大変だってこと。音がうるさかったり器物損壊とかでみんな怒るんだよ。警察を呼ばれたら速攻現場に飛んでくるし。ツアーガイドは毎回大変だよね。そういうときはめちゃくちゃやってるオレらから離れるようにしてるから。ただスケートしてるだけなのにね。
V: 日本でカオスな事件に巻き込まれたことは?
R: 昨年11月のBronzeツアーの最後の夜に歩道のバンクスポットでスケートしてたら警官がわんさか集まってきたことがあった。ビリー・マクフィーリーが道路に立ってたら、警官に腕を掴まれてパトカーで連れて行かれたんだ。パスポートを携帯してなかったから不法滞在と見なされたんだよね。とにかく警察署に連れて行かれて、その後にオレたちのAirBnBにも来るって言うんだ。だからオレらはダッシュでAirBnBに戻って見られたらヤバいものがないか速攻で確認。だから最後の夜は大変だった(笑)。
V: (笑)。ちなみに最近はVansを履いてるよね。今はどんな感じなの?
R: HUFのシューズがなくなるとなると、知り合いがいるVansに行くのがベストだと思ったんだ。結果、そうして良かったと思うし今はいい感じだよ。
V: NYは新型コロナで大変そうだけど最近は何して過ごしてるの?
R: 最近ようやく規制がゆるくなってきたから、また撮影し始めてるね。
V: それが聞きたかった。それは何のプロジェクト? 今後の予定は?
R: Quasiのビデオ撮影だね。あとはHUFやVansのツアーが控えてる。まあ、楽しみにしててよ。
Dick Rizzo
@dickrizzo
1995年生まれ、ニュージャージー出身。クリエイティブな視点でトリックやスポットを捉え、RAWなスケーティングで人気を博す。スタイルと芸術点を重視するストリートスケーターの鑑。