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VANSによるスケート番組LOVELETTERS TO SKATEBOARDINGの日本特集が公開された。本番組を制作したSIX STAIRのリック・チャノスキとバディ・ニコルズがLOVELETTERSの10年を振り返る。
──GROSSO FOREVER: SIX STAIR

2021.07.05

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Portrait_Yoshiro Higai
Special thanks_Vans

 彼らのインタビューをお届けする前に、まず説明しなければならないことがある。このインタビューが録音されたのは2019年11月10日。Vansによるスケート番組Loveletters to Skateboardingの日本特集のためにSix Stairとジェフ・グロッソが来日し、同年11月1日から10日間かけて取材を敢行した。2020年7月に予定されていた東京オリンピックに公開を合わせ、日本のスケートコミュニティにもシーンを築いてきた先人たちの存在があることを知らせることがこの特集の裏テーマ。要は競技としてのスケートボードだけでなく、その文化や歴史に目を向けるきっかけを作りたかったということ。それがグロッソの強い願いだった。
 しかしグロッソが他界、さらにはパンデミックによってオリンピックが延期。お蔵入りという最悪の可能性も頭をよぎったが、オリンピックに合わせて公開するというグロッソの意向を尊重してようやく日の目を見ることに。ということで、Lovelettersの日本特集に登場するスケーターの取材が行われたのは約1年8ヵ月前。それを念頭に置いて、本番組とインタビューをチェックいただければ幸いだ。
 なお、以下に続くインタビューは取材ツアーの最終日、成田空港へと向かうロケバスの中で行われた。当初はグロッソもインタビューに参加するはずだったのだが、前夜に飲みすぎて重度の二日酔い。嘔吐を必死に我慢しながらほぼ気絶状態。一言も発することができなかったが、しっかりと彼の姿がそこにあることを想像しながらインタビューを読み進めてほしい。
 GROSSO FOREVER.

 

 

VHSMAG(以下V): リック・チャノスキとバディ・ニコルズ、ふたりがSix Stairを始めたんだよね。どんな感じでスタートしたの?

バディ・ニコルズ(以下B): オレがNYでテレビの仕事をしていて、リックが街に引っ越してきたんだ。ふたりとも映像の仕事をしていた。オレの仕事は小さなものばかりだったけど、リックはオレよりも経験が豊富だった。最初は別々に仕事をしていたんだけど、一緒にテレビ局で働き始めたんだ。いい仕事だと思ったからね。ふたりとも映像作品を作っていてSuper 8での撮影が好きだったんだけど、それをするには最低でもふたりの人間が必要だったんだ。ひとりは音やインタビューなどを収録するビデオ撮影担当、そしてもうひとりがフィルム撮影の担当。それが1999年のこと。それでチームを組んで1回限りの撮影を行うことになった。いろんなプールを滑りまくって撮影しまくった。しばらくはそのスタイルで撮影を続けていたんだけど、何本か作品を撮ってからピーター・ヒューイットを通じてAntiheroの面々と出会ってね。そして2000年に『Tent City』を撮影して、2004年にリリース…。そうやって活動を続けてきた感じかな。

リック・チャノスキ(以下R): おい、オレらの最高の歴史を飛ばしすぎだよ。まずふたりが出会ったのは1990年。場所はテキサスのダラス、ジェフ・フィリップスのスケートパークだった。それが最初の出会い。バディはポートランドから、オレはペンシルバニアから来ていた。お互い別々の旅だった。ジェフ・フィリップスのスケートパークには最高のランプがあったからどうしても行きたかったんだ。2週間ほどバディと一緒にテキサスで楽しい時間を過ごしたのかな。お互い仲間がいたからみんなでアパートを借りたんだ。それから数年してNYに引っ越したら、そこにまたバディがいて。「やべぇ! バディだ!」って感じだった。だからオレたちはスケートで繋がった仲。ふたりともスケートが大好きで、早くからそれを記録することに興味を持っていた。それでバディがあるプロジェクトのアイデアを思いついたんだ。お互いSuper 8に夢中だった。オレたちには共通点がたくさんあったんだよ。

オレたちはスケートに対する情熱でストーリーテリングのアイデアを確立

V: これまでに手掛けた作品のなかで一番印象に残っているものは?

B: 今までで一番印象に残っているのは、Super 8で撮影したデビュー作『Fruit of the Vine』。フィルムが現像されてラフエディットをまとめたときのことは忘れられない。撮影したフィルムを箱に入れて保管しながら7週間のロードトリップを敢行したんだけど、最後まで1本も紛失しなかった。全部現像することができたんだ。そしてニューヨーク大学の近所にある薬局で現像してもらってね。フィルムが90本、ビデオもかなりの量あった。

R: まずは手始めにトレーラーを作ったんだ。それが最初の一歩だった。

B: そうだね。まず現像するために薬局に行ったんだ。最初はフィルムを20本持っていったのかな。というのも自分たちがちゃんと撮影できるか確認するために、まずコンセプトを撮影しに出掛けたんだ。ふたりで実験的に旅に出て、何本もフィルムを撮影して、いくつかインタビューを撮って、戻ってきてから編集してみた。今でもはっきり覚えている。プールを20軒ほど滑ったんじゃないかな。この作品のアイデアとしては、プールに到着してフェンスを飛び越え、プールを掃除し、乾かし、スケートをするという一連のショットを組み合わせるというもの。そうやって作品をまとめたんだ。それまでにも作品を作ったことはあったけど...。

R: 決められたコンセプトに沿って段階的に撮影したのはそのときが初めてだった。旅から戻って映像をまとめて、音楽や現場音を合わせていく。そしてナレーションを入れたら「ドキュメンタリーを観てるみたい!」ってなって。National Geographicみたいなドキュメンタリーを作りたかった。素材を組み合わせてすべてが上手くいくなんて信じられなかったくらい。あれはヤバかった。これまで誰も思いつかないような抽象的なコンセプトを形にすることができた。すべてSuper 8のフィルム。オレたちはスケートに対する情熱でストーリーテリングのアイデアを確立したんだ。そうやってすべてが始まった。今も20数年前とあまり変わっていないね。

B: ああ、薬物中毒みたいなもんだよ。あのハイな状態をつねに追い求めている。スケートの場合は初めてのグラインドのようなもの。その感覚をずっとに追い求めているんだ。

 

V: Loveletters to Skateboardingはどうやって始まったの?

R: オレたちに起こったすべてのことがきっかけでスタートした。オレたちの映像作品やプロジェクト、これまでに行ってきたすべてのことはすべて偶然の産物だった。すべてスケートボードを通して自然に形になったものばかりなんだ。計画されたものは何もない。壮大なアイデアがあったわけでもない。Lovelettersのような番組をやるとも思ってもいなかった。ただやりたいことを貫いてきただけ。どうなっていてもおかしくなかったと思う。広告代理店でクソみたいな仕事をしていたかもしれない。これまでいろんな仕事をしてきたけど、いつもファストフード店でチーズバーガーを作るほうがましだと思って生きてきた。そしてようやくやりがいのある仕事に出会うことができた。オレたちは自分たちが手掛けるプロジェクトや関わる人間を完全に信頼している。つねに全力。これだけはずっと変わらない。だからVansから番組制作の依頼を受けたときはマジでラッキーだと思った。グロッソはストーリーを語るのが上手いし歴史家でもあるから、Vans的にヤツと一緒に仕事をしたいということだった。話がおもしろいし、みんなに愛されている。そうして「こいつとやっていこう!」ってことになったんだ。

B: 以前、グロッソのためにミッドトップのシューズが再発されたけど、当初のVansは「はたしてミッドトップが売れるかわからない」って心配していた。そこでグロッソがミッドトップの売り方や、なぜそれがクールなのかを説明するビデオを作ったんだ。それがグロッソらしくてめちゃくちゃおもしろかったんだよ。

R: あれはジェイミー・ハートのアイデアだったっけ?

B: たしかそうだったと思う。それでVansの連中がグロッソの動画を観て、「ヤバい、おもしろい。こいつ最高じゃないか!」ってなって。あれは生まれ持った才能だよね。

R: マジで最高だった。ということでその動画は大成功。「複雑なマーケティングなんて必要ない。グロッソにシューズの魅力を語らせればいい」ってVansを確信させることができたんだ。

B: おもしろいのは、Vansはこの番組を始めた10年前にグロッソにNine Clubのようなことをやらせたかったんだ。グロッソとスケーターとのトークショー。そうしてVansから電話がかかってきて「グロッソと番組を作らないか?」って。もちろん二つ返事でオファーを受けたよ。

R: 当時は必死だったってこともあるけど。

B: まあね。ていうか今も必死だけど。今のオレたちの仕事を見ればわかるだろ?

R: Vansのオフィスでこのプロジェクトについて話すだけでワクワクしていたよ。

B: そしてオレたちをグロッソに紹介してくれたんだ。グロッソと会ってすぐに意気投合。ヤツはオレたちのことを知らなかった。ラモナで一緒に滑ったことはあったけどお互いのことは知らなかった。会話をしたこともなかった。ということである日の午後、一緒に過ごしてみて「やってみようか」ということになって。そうやって手探りで番組を始めた感じ。

R: VansがNYにHouse of Vansをオープンすることになって、グランドオープニングのイベントでVansのライダーが集結することになったんだ。そして「Lovelettersの番組でオープニングを盛り上げてくれ。自分のやり方でやってみてくれ」ってことになって。ジェイミー・ハートが番組の発案者だったけど、オレたちを信じてくれた人が他にふたりいた。Vansのスタッフであるジャレッド・アベとスティーブ・ザイツォフ。彼らがいつもオレたちを信じてバックアップしてくれた。100%信じてくれた。そんなわけで、インタビューとスケートを組み合わせた番組を作ることになった。それが唯一オレたちが得意なことだから。

B: でもグロッソが番組をキックオフするはずだったのに、緊張していたのか週末中ずっとオレたちを避けていたんだ。本人はやりたくなかったみたい。だからみんなでグロッソを追い込むことにして…。

R: それで“Who is Jeff Grosso?(ジェフ・グロッソて誰?)”っていう動画を公開した。スティーブ・キャバレロ、AVE、ジェフ・ロウリーにジェイソン・ディル…みんなおもしろいことを言ってくれたよ。

 

B: それが10年前。それでグロッソが「番組のタイトルを思いついた。バカバカしいかもしれないけど…。“Loveletters to Skateboarding(スケートボードへのラブレター)”」って。

R: 最初のエピソードでグロッソは「おい、文句なしだ。最初のラブレターの相手は絶対にスティーブ・オルソン」って言っていた。初めはかなりシンプルな内容だったんだ。スティーブは近所に住んでいて仲良いからすぐに電話して実現した。初期の尺は5分くらいだったかな?

B: 3分半とか4分。徐々に5分になっていった。

R: 結構なペースで長くなっていったような気がする。番組の進化を振り返るとおもしろいね。さっきも言ったように計画なんてなかったから。VansでもAntiheroでも、いつも最小限の計画性で最大限に何かが起きてきたという感じ。そうやって成長してきた。

V: 番組をさらに深く、さらに長くしようとしたきっかけは?

B: 5~6シーズンは5~8分程度だった。だから最初の40〜50回はかなり短かった。ひとつの小さなテーマを取り上げていた感じ。そして最初に長編にしたのは、音楽とスケートをテーマにした“Skate Rock”のエピソード。これが24分。Lovelettersの長編はこれが初めて。スケーターが聴いている音楽についてのミニドキュメンタリーのようなもの。そして本当に長くなったのはシーズン7だったと思う。Vansはいつもフォーマットを変えるんだ。例えば「全部まとめて納品してくれ。同じ日にリリースするから」とか。

 

R: Lovelettersがスタートしたのは、VansがTVチャンネルを始めようとしたからなんだ。いろんなフェーズがあったよ。番組が始まってからインスタグラムとかも登場して環境が変わっていった。だからこの番組の進化は、Vansがどのようにスケーターと繋がり、どのように公開のタイミングを計るのがベストなのかを模索していたことに後押しされたようなもの。一度にリリースする、6週間ごとにリリースする、隔週でリリースする、2部構成にする、1部構成にするという感じで、Vansはベストな方法を模索していたんだ。そしてオレたちは彼らのフォーマットに従うようにしてきたってわけ。

B: シーズン7では「6エピソード必要だけど、すべて2部構成にしよう。ひとつのエピソードを8分ほどのパートに分けてくれ」って。結果的に12エピソードになるんだけど、そのときから長編を作るようになったのかな。2部構成ということでひとつのテーマが最低15分になる。

R: 実はもっと長くしたかったんだけど、誰も15分の番組なんて集中して観てくれないと思ったんだ。だから2部構成になった。当時はまだ手探り。Lovelettersを改めて観てみると、シーズンごとに進化しているのがわかると思う。

B: 番組が始った頃と比べて大きく変わったのは、今はいろんなアーカイブがオンラインにあふれていること。Lovelettersは情報収集サイトと言っても過言ではない。特に年配のスケーターは昔のスケートビデオを観るのが好きなはず。でも昔のコンテストを観るのは好きだとしても、1987年とかの1時間もあるコンテストビデオを観る人はなかなかいない。また古いスケートビデオも誰も最後までは観ないだろう。だからこの番組はそういったさまざまな作品のベストな部分をインターネット上のあらゆる場所から集めて、10分間のエピソードとしてまとめているんだ。番組が長くなるのは、より多くの情報を拾えるようになったから。

R: 振り返るとマジで成長したと思う。もう10年になるからね。この10年の間にメディアやコミュニケーションの方法も大きく変わった。より多くの人にも貢献してもらえるようになった。

V: テーマのアイデアが枯れることはないの?

B: いや、いろんな人が連絡してきてアイデアが届くから。「これをやっていないなんて信じられない」っていうようなネタがよく出てくるんだよ。'80年代のスケーターのベストショットやフッテージを集めてコラージュするだけでも楽しいし。それにグロッソは物事に対しておもしろい視点を持っている。ヤツは特異なタイプのスケーターだし、グロッソの時代には変わったものの見方をする人があまりいないんだ。真面目すぎたり、記憶力が悪かったり。まったく何も考えていない人もいる。グロッソは今でも毎日スケートのことを考えている。四六時中だよ。

初めてコーピングをヒットした人物と話すことができるなんて最高だ

V: グロッソが番組の司会をしていることを良く思わない人がいるって昨夜呑みながら本人が言ってたけど…。まあ、嫉妬なのかな。周りからそういう話を聞いたことは?

B: まあ、そういう声はグロッソほど聞こえてこないけど想像はできるね…。でも日本でたくさんの人がグロッソと一緒に写真を撮りたがっていただろ。みんな古い世代のレジェンドをリスペクトしてくれている。50歳になってもまだスケートブランドのTシャツを着ているヤツがいることを喜んでくれている。それにグロッソはいろんなスケーターに興味があるんだ。たしかに「なんでグロッソなんだ? 他にも適任がいるだろう」という声があるのもわかる。でもグロッソは偶然にも'80年代のスケートシーン、そして'70年代のファンであるがゆえにその時代のスポークスマンになった。グロッソは'70年代終わりの話が一番好きなんだ。ダレル・ミラーや誰も覚えていないような昔のプロの話。だからグロッソの同世代のプロたちは「なんでこいつなんだ? なぜグロッソなんだ」と思うかもしれない。でもヤツは自分で立候補したわけじゃない。偶然そうなっただけ。それにグロッソはいつもこう言っている。「オレはボスじゃない。オレは誰にも求められない、くだらない主張をしているだけ」って。

R: グロッソが適任なんだ。ただそれだけ。取材に出掛けて「ここで何の話をすればいいんだ? 名前も知らないヤツと50-50の話をするって? どういうこと?」って意味不明のシチュエーションはこれまでたくさんあった。でも腰を下ろして会話が始まると「ヤバい。マジでおもしろい」って毎回思うんだ。自分たちの仕事が本当の意味で何なのか理解するまでしばらく時間がかかったと思う。取材を通して自分たちの居心地のいい場所を飛び出した頃に理解できるようになったような気がする。たとえば「どうすればいいんだ? ジェフ・ロウリーに何を聞けばいいんだ?」って具合。当時はオレたちとジェフ・ロウリーに共通点がさほどないように思えたから。無理強いはできないし、わからないことを装おうとも思わない。でも取材を続けるごとにスケートボードの歴史はまだ若いということを実感する。だってそうだろ? スケートの進化をこの目で見ることができているんだから。ガキの頃と今を見てみろよ。こんなに急激に進化して、こんなに何度も自滅と再生を繰り返したものなんて存在するだろうか。しかもそれは同時多発的に世界中で起きている。マジでワクワクする。初めてコーピングをヒットした人物と話すことができるなんて最高だ。そして初めてレールやレッジをヒットした人…。そんな人と話していると「すべて繋がっている。スケーターに違いなんて何もない」って思えるんだ。

B: 最初はふたりともスケートの歴史なんて興味なかった。グロッソは昔から歴史に傾倒していたけど、ヤツはスケートシーンの中心で育ったから。シーンの出来事すべてを見てきたから、ずっとスケートの大ファンだった。リックとオレはスケートの歴史に関する仕事をやりたいとは思っていなかった。取材を通していろんな人と会い、毎日のようにスケートの話をしているうちに興味を持つようになったんだよ。それにもちろんスケートが番組のテーマだけど、これはひとつのメタファーに過ぎない。スケートのような身近なものを通して歴史に興味を持つようになって、「ヤバい。オレたちには素晴らしい歴史がある。オレたちは最高なものの一部なんだ」って思えるようになってもらいたい。そしてスケートだけでなく、「オレはコミュニティの一員だ。オレの街は素晴らしい」って感じで他のものの歴史にも興味を持つようになるかもしれない。より良い未来を作るために過去を振り返ることに興味を持ってもらえればと思っている。過去を知れば知るほど、未来への準備ができるだろ?

R: 歴史はマジでおもしろい。何の歴史でもそう。物事がどのように進化してきたかを見ることができる。特に世界中を旅すると、各地で同じようなことが起きていることがわかってますますおもしろくなってくる。'90年代の中国のストリートスケーターたちも同じことを言っていたよ。そしてそれぞれのシーンに、アートワーク、音楽、文章、雑誌、フォトグラファー、ビデオなど、スケートボードに関わるいろんなものが存在する。本当にクールなコミュニティだよ。完璧な政府のようなもの。スケートパーク建設やDIY活動。これはすべて自治的なもの。スケーターは物事を生み出す。完璧な自治体を作り出している。自分たちで管理し、自分たちで成長していく。みんながお互いに面倒を見合っている。

V: スケートコミュニティはスケーターで完結できるっていうことだね。

B: スケートボードは物理的に世界を移動する術ではなく、仲間と一緒に世界を移動する方法でもあるんだ。トライブと一緒に…。

R: そう、それだ。トライブなんだ。

V: ではLoveletteresで一番やりがいを感じることは?

B: オレの場合は、作品が完成するのをこの目で見られること。ひとつのアイデアから始まって、それがどんな方向に進んでいくかわからない。そして最終的に「ヤバいものが完成した」って思える。そうやって作品が残されていく。世界中を旅することができる。自分の手と頭を使って何かを作ること自体、やりがいがある。何かを作り出すことができるんだから。何もないところから何かを生み出すことができる。スケートと同じだよ。

R: ひとつのエピソードを完成させて公開することで「やり遂げた。語るべきストーリーが完成した」って思えること。でもそれは鳥の巣箱を作ったり、車道を舗装したりするのと同じこと。その達成感は誰にでもわかる。本当にやりがいを感じるのは、あちこちを旅して出会った人から「Lovelettersを観てる」と声をかけられること。ようやくそういった言葉をよく耳にするようになった。そしてこの番組が彼らにとって重要な意味があることを教えられる。オレたちにはファンがいるんだ。クレイジーだよ。

V: 世界中にファンがいるね。

R: 今はみんなLovelettersを知ってくれているから。それが一番うれしい。こうなるまでに時間がかかったし、特にそうなることを気にしたり望んだりしたこともなかった。これはひとつひとつのエピソードをきちんと世に送り出すことができた結果。オレたちは洞窟のような場所で仕事をしているから。ほとんどずっとバディとふたり。ひとりっきりの部屋で編集して作品を世に送り出す。孤独な作業だよ。時々、気が狂いそうになる。でも最終的に評価されて感想を聞くことができる。そうやって報われるんだ。

V: それがモチベーションになっているんだね。

R: そうだね。そして番組の成長そのもの。アシスタントとしてブラッドリー(・ウィームス)を迎えてスタジオにライブラリーを作ったり。スケートの歴史や映像作品が詰まったハードディスクを見たり。日本で一緒にバンで移動したダイコンからZineをもらったり、Lovelettersをやっていることを知っているからこそシークレットスポットに連れて行ってくれたり。信じられないようなことの連続だ。この仕事がなかったら何をしたらいいかわからない。他の仕事なんてできるわけがない。そしてこの仕事は自分自身を宣伝するのが目的でもない。オレたちが旅をするのは自分たちの活動を見せびらかすためじゃない。ストーリーを伝えるために、できる限りの光をスケーターに当てているんだ。本当にやりがいのある仕事だよ。

B: ああ、楽しいよね。他の誰も注目していないスケーターや人物にスポットライトを当てるのはオレたちにとって大きなやりがいだね。'80年代に活躍した人。50-50を発明した人。コンテストで初めて特定のトリックをやった人。フェイキーロックとか、ボードスライドとか。このような出来事があったことをみんなに伝えたいんだ。海外で取材する度にインタビューを受けた人たちは「すげぇな。アメリカから来てオレたちのシーンについて知ろうとしているなんて」って言ってくれる。通常、スケートクルーがアメリカから来た場合、みんなトリックを撮影するだけだろ? 現地のスポットという資源を利用するだけ。ギブではなくテイクするだけ。でも現地のほとんどのスケーターは快くスポットを案内してくれる。もちろん世界のトップスケーターが自分たちのスポットでヤバいことをするのを見られると刺激になるかもしれない。オレたちはその方程式の一部に過ぎない。オレたちは若い世代のスケーターたちに、自分や自分のクルーだけでなく、もっと大きな存在の一部であることを知ってもらうために活動している。オレたちの仕事はちっぽけなものだけど、スケートが好きすぎるから自分の役割を果たすことができて満足できる。スケートのためにポジティブなことができるのは素晴らしいことだよ。

R: これは一生ものだからね。いつでもLovelettersを見返すことができる。スケートを深く掘り下げたいと思えば、クリックひとつで多くを知ることができる。こんな活動はこれまで誰もやってこなかったし、今も誰もやっていない。そしてこの先も誰もやらないと思う。オレたちは大したことをやっているわけじゃない。ただインタビューや写真、映像を収集してまとめているだけ。

V: 膨大な量のアーカイブだよね。

R: まあね。自分たちが年を取って長い間この仕事を続けてきたことを考えると、スケートボードに貢献できていることを誇りに思えるようになっているかも。だってスケートは世界で一番イケてるものだから。それは間違いない。昨日の小さなコトラとの会話、ランス・マウンテンとの会話…。世界中のどこでもインタビューの本質は同じ。あまりの純粋さに涙が出てくることもある。誰もが同じ感覚に突き動かされている。個性と表現。それはアートだ。そしてこの奇妙なアートフォームは比較的新しい。これはコミュニティであり、トライブである。T19のメンバーと話したときも、Jesseのグラフィティアートを見ただけですべてが繋がっていることがわかる。Haroshiがデッキを接着して彫刻を作っている。そんなものを見ていると涙が出てきそうになる。まるで聖地に行くようなものだよ。人はメッカとかに行って、より高次の力を信じることで興奮する。オレたちにとってはそれがスケートボード。そしてスケーターが作るものが、寺院、教会、モスク、シナゴーグのような存在。オレたちだけのものなんだ。それくらい重要なんだよ。

V: 言わば信仰のようなものだよね。

R: まさに。それと同じくらい重要なことなんだ。そして一番イケてることは、そのすべてが自分たちの手で作ったものであり、歴史を辿ることができるということ。オレたちはまだ生きている。スケートを最初に始めた人たちもまだ生きている。スケートはテクノロジーにもインターネットにも壊されなかった。オリンピック競技になってもびくともしない。スケートはタフすぎるんだ。ある時、オレが最近のスケートについて愚痴っていたら、ジュリアン・ストレンジャーが「いや、どの時代のストリートにも変わらずヒジを割って血を流している連中がいるんだ」って言うんだ。それに勝るものなんて存在しないよな。

V: では最後にふたりが取材するときに聞く定番の質問を。スケートボードはふたりに何を与えてくれた?

B: オレたちがいつも人に聞く質問だね。改めてそう聞かれると…。スケートが与えてくれたものについて考えるのは難しいね。だって11歳で自分のやりたいことを選べるようになってから、スケートがオレの人生のほとんどの部分を占めてきたから。思い出やこれまで生きてきた人生、旅した場所、住んでいた場所、出会った人々…。オレが経験したほとんどは、すべてスケートボードに関係している。昨日もコトラが滑っているのを見て「この子がスケートを続ければ、次の30年、40年は最高に素晴らしい人生になるだろう」と思った。あの子がスケートボードを通してどんな素晴らしいことを達成できるか想像もつかない。世界を20周して、何千人もの人と出会って、たくさんの楽しい時間を過ごすことになるんだ。それにスケーターは社会の主流から外れて生きることができる。リックが言ったようにスケートコミュニティは自治的なんだよ。普通の人の生活と違うところで生きている。自分のやり方でやることができる。スケートはオレにそんな生き方を与えてくれた。すべてを与えてくれた。月並みだけど本当だ。スケートなしでは何もできない。すべてのことがスケートに何らかの影響を受けているから。

R: たしかにそうだな。オレのなかでスケートから来ていないものは何もない。スケートしかしてこなかったから。幼い頃に心を奪われたんだ。すべてがスケートに帰結する。その深さを表現するのは難しいね。スケーターであれば説明しなくてもわかるはずだ。願わくばスケートに感謝し、それがどれほどイケてるものか認識してほしい。時間とともにさらに魅力が増していくから。50代になった今でも変わらず最高。20歳の若者と一緒にいてもそこにはほとんど隔たりがない。共通点だらけ。マジでヤバいと思う。だからこそスケートは信仰や宗教のようなものだと思うんだ。人が世界に求めているもののすべてが詰まっている。スケートは究極だ。オレたちはスケーターとしてそういう感覚を手に入れることができて本当に幸運だと思う。

 

 そして本インタビューの収録日から約5ヵ月後、2020年3月31日にグロッソが急逝。その数時間前の本人のインスタグラムには愛息オリバーと楽しそうに踊る姿が投稿されていたばかり。グロッソの訃報が信じられないとばかりに、世界中のスケーターが追悼の意を表明することとなった。以下はグロッソがこの世を去った後に、リック、バディ、そして今回のLovelettersのビデオグラファーを務めたブラッドリー・ウィームスに改めて行ったミニインタビュー。Lovelettersクルーから、故ジェフ・グロッソに捧げるメッセージ。

 

V: グロッソが他界するなんて誰も想像すらしていなかった。グロッソと過ごしたなかで忘れられない出来事は?

R: 数え切れないよ。安っぽく聞こえるかもしれないけど、グロッソが誰かにインタビューをする度に自分のグルーヴを見つけて人と繋がっていく様子を見ながら楽しんでいた。取材対象の家にお邪魔して、撮影の準備をして、撮影を始めるという姿は、時に少しぎこちなく滑稽でもあった。でも毎回、素晴らしい会話になっていたよ。

ブラッドリー・ウィームス(以下BW): グロッソがオレのために初めて作ってくれたサンドイッチが先に思い浮かんだけど、パリで看板にタグを描こうとしていた子供を手で支えていたことを思い出したよ。グロッソも子供も両方うれしそうだった。しかもこれは14時間に及ぶ撮影の後、夜11時に5時間かけてリヨンに向かう直前のこと(クリス・ファナーに感謝)、さらにフランス料理を腹いっぱい食べた後のこと。 

B: ある特定の出来事ではなく、グロッソと一緒に旅をしたときの雰囲気を伝えたいと思う。ヤツと一緒にLovelettersの取材で世界を回れたのは素晴らしい経験だった。多くの人がグロッソに会いたがって、挨拶したり、ハイタッチや写真撮影を求めたりしていた。グロッソはいつも喜んで挨拶していたよ。それがスケートのイケてるところだね。みんなグロッソが大好きだった。FESNの森田だって、自分や日本のスケーターにとってグロッソがどれだけ大切な存在であるかを語ってくれた。信じられなかったよ。

V: グロッソの言葉で忘れられないものは?

R: 何を言ったか正確には覚えていないけど、Rant and Raveのエピソードはヤバい言葉だらけだったね。

 

BW: あまりにも多すぎる。忘れちゃったことはたくさんあるけど、ふとした瞬間に思い出すことがある。グロスマンは永遠だ。

B: 忘れられないのはグロッソがスケートの話をしているときの真剣な表情。'70年代のヒーローたちに会うと泣いてしまうこともあったんだ。スコット・フォス(Bones Brigadeのオリジナルメンバー)のインタビューでは、グロッソが彼をカメラの前で紹介しているときに声を詰まらせながら泣いちゃって…(笑)。ヤツにとって神のような存在を前にして感情的になったんだよ。

V: グロッソはスケートやLovelettersを通じて多くの人に感動を与えてきたわけだけど、彼が若い世代に残したレガシーは何だと思う?

R: 誠実さと、スケーターもそうでない人も含めて人が共感できるアイデアを伝える才能。ヤツは物事を要約するのが得意だったけど、同時に新しい意見やアイデアで議論を広げることもできた。Lovelettersはこれからも多くの人に観られ続けると思う。グロッソのような人間はなかなか忘れられないから。

BW: 他の人はどうかわからないけど、グロッソ(リックとバディも含めて)は興味のある人のために精選したスケートの歴史を残してくれた。これらの情報をどう活用するかは人それぞれだけど、もしまだ歴史に興味がないのであれば、この番組こそそのきっかけになると思う。一生分の資料を手にすることになるのだから。

B: そうだね...。グロッソが残したLovelettersが少し立ち止まるきっかけになって、スケートの素晴らしさを思い出すためのものであってほしいと思う。世界中のスケーター、毎日スケートのために生きている人たち、スケートコミュニティで育ち、スケートの一部となっている人間全員が、たまに立ち止まって、スケートの素晴らしさについて考えるきっかけとなってほしい。そしてオレたちが経験してきたことを、これから生まれてくる子供たちが経験できるように環境を整えるきっかけになってほしい。より多くの若い女の子がスケートに触れることができるように、他に何も持っていない子供たちがスケートできるように、同性愛者や貧しい子供たちがスケートを広めることができるように。

V: グロッソがスケートやLovelettersで大切にしていたことは?

R: 繰り返しになるけど誠実さ。ヤツは自分が正しくても間違っていても、わからなくても、すべてを議論すべきテーマとして考えていた。

BW: グロッソの考えを代弁することはできないけど、「本気で楽しむ」ことが大事だということ。その方法は人それぞれだけど絶対にネガティブにならないように。それと好き嫌いは別にして、先人たちについて知っておくべきであり、尊敬すべきだと思う。グロッソが言うように、完全に新しいものなんて存在しないんだから。

B: グロッソは何よりもスタイルを大切にしていた。スタイルとは、フロントサイドエアーでタックニーすること…ではなく、時に足の間でグラブできるほどの自信を持つことであり、スケートが楽しすぎてそんなこと気にしないことでもある。

V: 今後、誰かがグロッソの役を引き継いてLovelettersが続いていく可能性は?

R: あくまでもオレの希望だけど、Lovelettersのブックとグロッソのドキュメンタリーはリリースしたい。でもこの先、Lovelettersが続いていくのを想像するのは難しいかな。

BW: グロッソは唯一無二の存在だから。オレはこれまでのLovelettersのエピソードを振り返って、現存するアーカイブの保存に努めたいと思う。この11シーズンで記録された情報がたくさんあるから。

B: いくつかアイデアはあるけど…まだまだ伝えるべきストーリーはある。

V: では最後に、グロッソにメッセージを。

R: グロッソのバカ野郎!

BW: オレも「グロッソのバカ野郎!」かな。でも「ありがとう」と付け加えたい。残念ながら世界的に大変な状況下での言葉となってしまうけど、なんて素晴らしい人生だっただろう。さあ、スラッピーでもしようぜ。

B: 多くの人にインスピレーションを与え、最後までオープンマインドで学び続けてくれたことに感謝しかない。

 

 


Six Stair
@sixstair

リック・チャノスキ(左)とバディ・ノコルズ(右)が主宰する、ロサンゼルスを拠点とするビデオプロダクション。代表作は『Fruit of the Vine』、『Deathbowl to Downtown』、Antiheroの作品群、Loveletters to Skateboardingなど。

 

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