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ハードコアバンドSTRUGGLE FOR PRIDEのフロントマン、今里が語るスケートボードとVIOLENT GRIND。競技としてのスケートボードが注目を集める時代だからこそ、スケートカルチャーの深いところに目を向けてみたい。
──IMAZATO

2019.02.18

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Photos: Nobuo Iseki, Special thanks: bar moonshine

VHSMAG(以下V): まずはスケートの出会いから聞かせてください。

今里(以下I): 小学3、4年生くらいですね。最初は誰かからもらってきたような板が家にあったんですけど、スケートを始めたのとほぼ同時くらいにセント・メリーズっていうインターナショナルスクールのヤツらと遊んでいて、そいつらがスケートをやってたんですよ。それがきっかけですかね。近所の子供たちが集まってサッカーやったり野球やったりするのと同じノリで。僕の場合はそれがたまたまスケートボードだったってだけです。

V: ’80年代半ば頃の話ですよね。当時は蒲田で滑ってたって過去のインタビューで読んだことがあります。

I: そうですね。蒲田にThe Surfっていうサーフショップがあって、そこによく板を買いに行ってました。2ヵ月くらいかかったんですけど、そこでVansのカスタムオーダーもできたんですよ。ソールからアッパーまで全部好きにカスタムできる。当時はみんなそこにVansをオーダーしに来てたっていうのはありましたね。

V: スポンサーとかはされてなかったんですか?

I: まだ子供だからそんなに新しい板とか買えないじゃないですか。それで店にたまってる人たちが乗り古した板をくれたりしていました。だからスポンサーって言うと語弊があるんですけど、めちゃくちゃ良くしてもらってました。

V: 当時はジャンプランプを電車に乗せて、蒲田まで運んで滑ってたって本当ですか?

I: 蒲田だけじゃなく逗子マリーナにもジャンプランプを持っていってましたね(笑)。みんなでAnimal Chinみたいに板に乗っけて改札を通して…。当時は目黒から蒲田に行く電車があったんですけど、それに乗せて行ってました。まだ子供だから許されたんじゃないですかね(笑)。

V: ハンパないですね(笑)。当時は家の近所にマービーズっていうパークがあったんですよね?

I: そう、もともとガソリンスタンドだったんですけど、レジの場所がスケートショップになってて、外にミニランプがあるっていうお店でした。当時、セントメリーのヤツらとそのお店を環八辺りで探しているときに、星野正純くんっていう人が「ねえねえ! マービーズって知ってる?」みたいな感じで話しかけてきて…。「ちょうど探してるんすよ」って返したら「じゃあ、一緒に行こうよ」って。それで連れてってもらったんですよね。その頃はまだミニランプがなくて。ミニランプを作るのも手伝いました。今でも覚えてるのが、ミニランプができてからコンクリにしようってことになったんですよ。それで木で作ったミニランプにみんなでコンクリを塗ったんですよね。当然、そんなもん剥がれてくるじゃないですか。「あ、違えんだ…」みたいな(笑)。

V: 当時、影響を受けたスケーターは誰ですか?

I: ビル・ダンフォースとリッキー・バーンズ。そのふたりですね。

そんなものこの世に存在するなんて思ってなかった

V: では当時、下北にあったViolent Grindに行き始めたのはいつ頃だったんですか?

I: マービーズの一件で星野くんと仲良くなって、彼はすごく面倒見のいい人でいろんな所に連れて行ってくれたんですよ。スケートもめちゃくちゃ上手くてほとんど乗ってない板を譲ってくれたり。当時はThrasherがSkate Rockシリーズをやり始めて、カセットテープがリリースされていたんですけど『A Blast From the Past and Present』っていうVHSのビデオが出たんですよ。それにThrasherのカメラマンのMoFoがやってるDrunk Injunsっていうバンドが出てたんですけど、そのTシャツをいきなり星野くんが着てて。そんなものこの世に存在するなんて思ってなかったから「それ何スか!?」って聞いたら「Violent Grindに売ってんだよね」って。それで買いに行ったのが初めて。たぶんViolent Grindがオープンしてすぐくらいの話ですね。

V: ということは、たぶん'87年頃ということですよね。

I: だったかな…? Violent Grindのオープン日は知ってるんですけど。オレの誕生日と一緒なんですよ(笑)。

V: どんな店だったんですか? 大阪でもSOBのナオトさんがViolent Grindをやってたことは知ってるんですけど、一度も行けたことがなくて…。

I: 結構、特殊なお店でしたね。比率的にはレコード屋にスケートボードが置いてあるって感じ。そこでしか手に入れられないようなものしか置いてない。たまってる人たちも特殊な人たちが多かったんで(笑)。

V: 当時は今みたいにスケートが広く受け入れられていなくて、特にコアなショップは敷居が高くて入りづらかった印象がありますけど…。

I: 正直言って、敷居は低くはなかったと思います(笑)。場所が2階だしドアが閉まっててそこに付いてる窓もステッカーが埋め尽くしてるから中が見えないんですよ。オレがいた頃は一番奥にレジ、左側に板とかレコードが置いてある感じ。ConverseのAll Starも1,000円、板も6〜7,000円くらい。オーナーのクロさんがアメリカで直接買い付けしてたから、ほぼ儲けなしで売ってたんじゃないですかね。「いらっしゃいませ」って挨拶なんてもちろんないし、店内にはバンドやってる人やスケーターがたまってて。当時は1歳上でもだいぶ怖かったから。でも欲しいものがあるからしょうがなく行くみたいな。ドアを開けて、店の中にいる間はずっと緊張。欲しいものだけ買って外に出るという(笑)。

V: そんなViolent Grindにどうやって受け入れられたんですか?

I: 星野くんがクロさんと仲良かったから。たまたま高校に入った年の12月にひとりで行ったときにいきなりクロさんが話しかけてくれて。「星野と来てるヤツだよね。バイトしない?」って。そして、その日からバイトをするっていう…(笑)。

V: 速攻ですね…(笑)。当時はスケシン(SK8Thing)さんもViolent Grindでバイトしてたって噂を聞いたことがあります。

I: シンくんはオレの前なんですよ。たぶんですけどタイミング的にはシンくんが辞めてオレが入った感じだと思うんですよね。

V: 当時の生活はどんな感じだったんですか?

I: とりあえず全然家に帰らない子供だったから、人の家を泊まり歩いたりしてたんですけど。一般的な16歳がする生活とは違ってたとは思いますね。Violent Grindで夜8時まで働いて、クロさんに連れられて朝まで遊んで、店で寝て昼からまた働くみたいな(笑)。だからそこで価値観を養うことができたんですよ。すごく恵まれてたと思いますね。オレが子供だったからかもしれないですけど、当時はお金を払っていた記憶がないんです。周りの年上の人たちが面倒を見てくれたっていうのはありましたね。すべてにおいて(笑)。

V: 良いことも悪いことも…ですね(笑)。これも噂で申し訳ないんですけど、当時は万引きした人の説教部屋があったって本当ですか?

I: ああ、なんかそうっぽいですよね。どうなんだろう。オレはちょっとよくわからないです(笑)。

V: では生活の中心だったViolent Grindから学んだことはありますか?

I: オレが行く前にViolent Grindでたまってた人たちが、とりあえずめちゃくちゃかっこよくて。それこそキミドリの石黒くんとか、Dread Yankeesっていうハードコアバンドの山下くんとか。Violent Grindは音楽やってる人とかスケートやってる人とかいろんな人が混在してたから。年はあんまり変わらないんですけど、すごく輝いて見えてめちゃくちゃかっこよかったっていう。ああいうふうになりたいなって、ずっと今でも思ってて。仲間に入れてもらいたくてずっと憧れてたから。全体の数で言ったらメインストリームじゃないから、そのタイプの人は少数派だと思うんですよ。数の多いメインストリームが悪いわけではないですけど、少数派でいることに何の抵抗も感じなくなったというか、「数なんて関係ねぇな」って思えるようになりました。

V: Violent Grindで価値観が完全に固まったんですね。

I: そうですね。たとえばトラブルが起きても最終的にはクロさんが守ってくれてたから。自分が当時のクロさんの年齢になって思ったんですけど、オレに同じことはできないですね。すごいことをやってくれてたんだなって実感したんですよ。オレみたいなその辺の子供を拾って働かせてくれて、世話してくれて。周りの人もいろんなことを教えてくれて。Violent Grindは家であり学校だった。今の価値観は全部Violent Grindで身につけました。

V: 音楽に興味を持つようになった経緯はどんな感じだったんですか?

I: チャートものしか聴かないような人でしたけど兄貴が音楽好きだったんですよ。その影響もあると思うけど、セントメリーのヤツらとスケートしてたら、突然ひとりが髪の毛を半分剃って、ネルシャツを焼いて、ラジカセを担いで現れたんですよ。「アメリカではこうらしいよ」って。そうやってある日、みんないきなりパンクになった感じでしたね(笑)。でも何を聴いていいかわからない。そこでThrasherの音楽ページに載ってるバンドのレコードやテープを海外に行く友達に頼んだり、テープをダビングしてもらったり。それで日本の小さなレコード屋にも置いてることを知って、子供5人くらいで買いに行ってました。

V: 子供の頃は周りの仲間の影響で音楽とかファッションに目覚めるもんですよね。

I: そう、本格的に音楽を聴き出した中学1年生くらいの頃に決定的な出来事があって。マービーズに行ったときに、セントメリーからオレらより3歳くらい年上のスキンヘッズの軍団が来ててその中にセスっていう人がいたんですよ。坊主でVansとMA-1という思い切りな格好してる人で、その人のMA-1に「AGAINST RACISM(※人種差別反対)」ってマジックで書いてあったりして。リアルタイムでそういうのに遭遇するのが初めてだったからそれが衝撃で…。

V: そうして'90年代初めにSTRUGGLE FOR PRIDEを始めるわけですけど、そのきっかけが「遊び尽くして暇してたから」というのは本当ですか?

I: 完全にそうですね。楽しいことを全部やっちゃってて、しかもそれがハードに行きだした時期でもあったんで…「暇だからバンドでもやる?」みたいな。音楽が大好きで「バンドやろうよ! いつかなにかになってやる」みたいな感じは皆無。どうしようもない暇つぶしの選択肢ですね(笑)。

V: スケートと音楽に共通点はあると思いますか?

I: ないんじゃないですかね。全部こじつけだと思う(笑)。

V: (笑)。でも「暇つぶし」とは言ってもバンドとしての立ち位置が確立されたわけじゃないですか。活動的にはどんな感じだったんですか?

I: 幼馴染ふたりとバンドを始めたんですけど、オレ以外のメンバーはもともとバンドを組んでたりもしたんですよ。それでライブをやって友達もたくさん来てくれて。でも自分たちが思ってたのとちょっと違うような出来事も起きちゃったりもして。それはそれで楽しかったし幸せだったんですけど、「こういうのがやりたかったんではないよね」ということになって。いろんな意味でハードになりすぎちゃったというか。最初に3回くらいライブをやって、その後8年くらい間が空くんですよ。その間はみんなでスタジオも入ってたりもしてたけど、いわゆる目標があって始めたものじゃないから。みんなで集まってバンドをやってる時点で、それが答えだったりするから。周りの友達が来てくれて遊ぶのをただひたすら続けてるという…。Violent Grindにいた頃から「これがずっと続けばいいな」って思ってて、それが達成できたというか周りの人たちが実現させてくれているんで…。ありがたいですね。

V: 『YOU BARK WE BITE』、『CUT YOUR THROAT』、『WE STRUGGLE FOR ALL OUR PRIDE.』と2枚のアルバムと1枚のEPをリリースされてますが、そのすべてにカヒミ・カリィさんが参加してますよね? 勝手なイメージですけど、ストリートとカヒミさんとの接点があまりないような気がして…。どんな経緯でカヒミさんが参加するようになったんですか?

I: カヒミさんはかなりストリートですけどね(笑)。だいぶラフですし許容範囲がバカでかい。あの人は最高な人です。

V: バンドを始めてから知り合ったんですか?

I: もともとたまってたクラブが一緒だったんですよ。でもオレたちは毛色が違ったんで当時は接点があまりなかったんですけど、共通の知り合いも多かったんで。そしてアルバムを作ることになったときに声をかけさせたもらった感じですね。

V: 新しいアルバムに関してはNYまで録りに行ったんですよね? そこに誠実さを感じるんですけど…。

I: いや、ただ単に会いに行きたかっただけだから。それを誠実と言っていいものか…(笑)。

V: 今里さんは音楽に関してもハードコアだけじゃなくてレゲエのセレクターもされてますし、スケートはもちろん他のカルチャーにも精通していますよね。新作の『WE STRUGGLE FOR ALL OUR PRIDE.』でもいろんなジャンルの音楽が混在して絡み合っている印象を受けました。それもViolent Grindで培った価値観の延長なんですかね?

I: オレは好きなものに区別をつけられないんですよ。好きなものと嫌いなもの、興味があるものとないものしかないから。そこまで細かく考えられないっていう。

「YOU CAN BUY FASHION BUT YOU CAN'T BUY STYLE(※ファッションは買えてもスタイルは金では買えない)」

V: なるほど。ではずっと東京をベースに活動してきて、昔と今のシーンを比べて失われたもの、または進化したと感じることはありますか?

I: 失い続けてるという感覚はずっとあります。個人レベルで言ったら好きな人がいなくなっちゃうとか…。そういうのはこれからずっと続いていくから。大瀧くんが一昨年亡くなったじゃないですか。実はThe Surfに通うようになった一番最初のきっかけは大瀧くんだったんですよ。当時、代々木の駅で向かいのホームに大瀧くんが板を持って立ってたんですよ。両足の両側が色違いという4色のVansのハイカットを履いてて。ソールも片方がチェック。今でも覚えてるんですけど、501を履いて頭の両上の部分だけ髪が長くて。ホームの反対側から見ててめちゃくちゃかっこよかったんですよ。その光景が今でも鮮明に思い出せるくらい…それくらい憧れた人だった。近くで遊ぶこともほとんどなくてたまたま会ったときに話すくらいの関係でしかなかったけど、あの人がいなくなったことでいろんなことが変わってしまったと思う。こじつけっぽい話になっちゃうけど、亡くなった2日後に、Violent GrindのOGの新倉(孝雄)くんがやってる駒沢のnicoっていうカフェで大瀧くんとクロさんがフリーマーケットをやるはずだったんですよ。そうやって大好きな大人の人たちがまた手を組み出した頃に亡くなっちゃって…。そういうのが失われたもの。進化に関しては、基本的に今も昔も「年上とか関係ねぇ」って思ってて、そう思っている人はいつの時代も一定数いるから新しいことは黙ってても自ずと起きていくんじゃないですかね。

V: 大瀧さんがいなくなったのは本当に残念です。

I: あの方はいろんなものの架け橋になってたと思うんですよ。オレはスケートボード業界の人間じゃないからわからないけど。東京の古いスキンヘッドのスケーターでShuffleっていうバンドをやってたウッドさんって人がいるんですけど、あの世代は“スタイル”を持ってる人が多かった気がします。Violent Grindで働いてたときも、お店の雑記帳みたいなのにたぶんOGの愉一郎くんって人が書いた「YOU CAN BUY FASHION BUT YOU CAN'T BUY STYLE(※ファッションは買えてもスタイルは金では買えない)」ってメッセージがあったりして。大瀧くんなんてその最たるものだったから。

V: 今里さんにとってスケートの魅力ってどんなものですか?

I: 最近は幸せだからそんなにないですけど、ちょっと前までは煮詰まったときに夜中ひとりでダウンヒルしたりしてましたね。それで気分が切り替わるじゃないですか。あれって独特ですよね(笑)。何かと比較するのは良くないかもしれないけど、ちなみにサーフィンってやります?

V: やらないですね。スノーボードも一度もやったことないです。

I: そうですよね。オレもそうなんですよ。完全に都会っ子だからコンクリじゃないと落ち着かないっていう(笑)。

クロさんがやり続けてくれたことに対して少しでも返していかないと

V: では初めて通い始めた'80年代から30数年後の今のタイミングでViolent Grindが復活するということですが、その経緯を教えてください。

I: 自分たちがたまらせてもらってた下北のお店がなくなって、その後すぐ近くに狭いお店ができたんですけど、そこもクロさんが拾って働かせてあげてたそこら辺のポン中のガキがレジの金を抜いてて…。クロさんがせっかく移転させたのに1ヵ月くらいでなくなっちゃったんですよ。その後は初台、高円寺と移転したんですけど最終的に店舗がなくなっちゃって。すごく寂しかったから…そういう気持ちが数十年単位であったというのと、クロさんがインタビューで「いつか好きなレコードを聴けるバーをやりたい」って言ってたんですよ。オレはどうしようもない子供でクロさんに救ってもらったから、少しでも恩返ししたいというのがずっとあって。本当はクロさんの誕生日の12月29日に復活させる予定だったんですよ。もともとのお店があった隣の物件が空いてて、窓際に立つと当時と同じ風景が見えて。その物件をプレゼントしたいと思って話を進めてたんですけど、突然諸事情で借りれなくなってしまって。落ち込んで下北を歩いてたら先輩が偶然いて、事情を話したら「ウチでやればいいじゃん」って。新代田でやってたお店の物件が空いたということで、そこでViolent Grindを復活させることになりました。

V: すごいタイミングですね。

I: クロさんがやり続けてくれたことに対して少しでも返していかないと、いいかげんもらいっぱなしだなって。

V: ちなみにViolent Grindの活動で決まっていることはありますか?

I: ダイコン(田中大輔)くんのグラフィックのTシャツがリリースされるのと、チームには大阪の粂田憲二くんが決まってます。個人的には長島 亘くんと中村哲也くんも入ってほしいと思ってるんですけど。いつかは星野くんの板も出したいです。

V: 下北時代のViolent Grindの記憶が脳裏に焼き付いているとは思いますが、復活させる店舗はどんな空間にしたいですか?

I: さっきも言ったように、Violent Grindはレコード屋にスケートボードに関するものがあって、そこでしか買えないものが置いてある空間だったんです。だからそこはオリジナルに忠実にしたいですけど、やっぱりViolent Grindに来る人たちが勝手に何かを始められるような空間にしたいですね。ただ昔の珍しいものが置いてあるだけの博物館みたいなものにはしたくないから。当時からそんなの「知らねぇよ」って思ってたから、そのスタイルは踏襲したいです。でもViolent Grindはあくまでもクロさんの空間。そういう場所にオレが遊びに行きたいだけです(笑)。

※追記:Violent Grindは移転予定のため、現在はオンラインストアとして展開中。
(2020年9月19日)
violentgrind96.stores.jp

 

今里
#STRUGGLEFORPRIDE

ハードコアバンド、STRUGGLE FOR PRIDEのフロントマン。スケートや音楽など、東京を拠点にさまざまなストリートカルチャーに精通。昨年、新譜『WE STRUGGLE FOR ALL OUR PRIDE.』をリリースしたのも記憶に新しい。近日中にViolent Grindも復活予定。

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