「オレの仕事はスケートの誠実さを守り、スケートコミュニティに敬意を払った形でDICKIESを正しく表現すること」。DICKIES SKATEBOARDINGの仕掛け人、ジョー・モンテレオーネ。
──JOE MONTELEONE / ジョー・モンテレオーネ
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Photo_Sam Muller
Special thanks_Dickies Japan
VHSMAG(以下V): まずスケート業界での経歴について簡単に教えてください。
ジョー・モンテレオーネ (以下J): ずっとスケート関連の仕事に携わってきたと思う。ガキの頃はスケートショップで働いて、その後は東海岸のChapman Skateboardsというスケートメーカーで働いていた。スケートしながらずっと撮影もしていた。仲間とローカルビデオを撮って、大人になるにつれて多くの人と知り合うようになっていった。仲間の何人かはスポンサーがついたりして、オレもそんな感じでいろんな人と知り合っていった。ボストンのオンラインショップBrick Harborのチームマネージャーもしていた。たくさんのスケーターを撮影しているうちにカリフォルニアに引っ越したんだ。それ以来ずっとこの仕事を続けている。この10年間はDickiesのスケートプログラムに取り組んでいる。今年の10月で10年目。その間にTransworldでも働いていたけどね。Transworldの30作目『Duets』も仲間のジェームス・バックマンと一緒に作った。だから最後のTransworldのビデオを作ったことになる。
V: 東海岸の出身ということだよね。以前はレイ・マテのMighty Healthyでも働いていたんだよね?
J: NYのロングアイランド出身。そう、Mighty Healthyを手伝っていたこともある。Mighty Healthyはオレがロングアイランドからプロスケートの世界に入った最初のきっかけだった。レイはMighty Healthyの仕事としてジーノ・イアヌッチの写真や映像を撮らせてくれた。ふたりを通してBrick Harborの仕事をすることができて、その関係からPJ・ラッドの撮影を始めることになったんだ。
V: ジーノやPJとのとの撮影はどんな感じだった?
J: ジーノはロングアイランドでPoetsというショップをやっていたからいつも会っていた。親友がジーノの下で働いていたから顔見知りだったんだ。だから初対面じゃなかった。ただ仲間として出かけて撮影していただけ。一緒にピザを食べたり、スケートしたり、コーヒーを飲んだり、ジョークで笑ったり。だからいい感じだった。一方、PJは初めて会ったときちょっと威圧的だったかな。初対面だったけど最終的にかなり仲良くなったよ。ただ合流して、懸命に撮影して、前向きに努力する。ヤツとの撮影は楽しかったよ。
V: カリフォルニアに移ったきっかけは?
J: PJからPlan Bのビデオの撮影を手伝ってほしいからカリフォルニアに引っ越してほしいと頼まれたんだ。結局うまくいかなかったんだけどね。とにかくちょうどその頃にBrick Harborが終わったんだ。東海岸には戻りたくなかったし、普通の仕事にも就きたくなかったけど、住むところも金もなかった。そしたら今も一緒に仕事をしているサム・ミュラーという親友が泊まらせてくれるようになって。サムはTransworldのフォトグラファーだった。それでみんなにオレを紹介してくれて、そこから人脈が広がっていったんだ。
V: ジョーがDickiesで働き始めたとき、スケートプログラムはすでに始まっていたの?
J: そうでもなかったかな。その1、2年前からプログラムは存在していたけど、オレが入った頃は崩壊寸前だった。オレがDickiesで働き出したのは2014年の10月。この10年間、スケートプログラムを再構築して成長させることに取り組んできた。だから当時からチームは存在していた。ヴィンセント・アルヴァレズとロニー・サンドヴァルはオリジナルのメンバーだった。10年経った今も変わらずチームにいるからいい感じだね。
V: Dickies Skateboardingでの肩書は?
J: グローバルブランドマネージャー。インスタグラムも担当しているんだけど、アカウントを始めた頃はフォロワーがゼロだった。だからすべてのソーシャルメディア、撮影、マーケティング、広告、ショップとのやり取り、プロダクトを正しく作るためのマーチャンダイジングチームとの連携といった仕事もこなしている。基本的に写真撮影以外のすべてがオレの仕事。何年も営業担当がいてくれたんだけど、つい最近ブランドを離れてしまって。これまで彼とふたりでスケートプログラムを成長させてきたんだ。そして妻がグラフィックデザイナーで、広告のレイアウトやバックエンドの仕事を一緒にやってくれている。だからDickies Skateboardingはこの9年半、自宅のキッチンテーブルで進めてきた感じだね。
V: スケーターにスケートラインを浸透させるのは大変だった?
J: スケーターのために改良が加えられているからそれほど難しくはなかった。パンツに関しては留め具の代わりにボタンを採用している。生地も少しストレッチするし、特定の箇所はスティッチが少し増えている。この微妙な改良がパンツをより良くしているし、スケートコミュニティに貢献しているんだ。それにスケートに特化した独自のものを作ることも重要だと思った。Dickies Skateboardingというスケートラインは2021年6月にスタートしたんだ。だから比較的まだ新しい。何年か前に別の名前でコレクションが存在していたけど、今回はそれをより良いデザインに作り直した感じ。
V: Dickiesというブランドの伝統に忠実でありながら、スケートコミュニティのトレンドにどのように対応しているの?
J: オレはトレンドなんて追っていない。チームを見ればわかるけど、みんな世界トップクラスのスケーターばかりで、トレンドを追いかけているヤツなんていない。みんな個性的で、トレンドを作ってきたか、そんなものに興味がないかのどちらかだと思う。流行りのトリックを追いかけたり、ファッションをころころ変えたりするタイプはいない。最高のスケートはいつだって輝くもの。Dickiesを着る人はそんなに派手じゃないから、派手な服は作らない。スケートラインとレギュラーラインで自分の個性を十分に表現できる。オレはトレンドに敏感な人間ではないけれど、スケートの良し悪しは理解している。だからオレらがやろうとしているのは、それをさらに高めていくことなんだ。
V: 現在のチームを構築してきたわけだけど、スケーターに求めるものは?
J: スケーターにはわかる人にはわかる魅力があって、それを探しているんだ。基本的にDickiesを履きたいと思うスケーターを探している。例えば、オレはIsleの『Vase』の試写会が開催された劇場の裏に住んでいた。ポール・シャイアに誘われたから歩いて観に行ったんだ。トム・ノックスがオープニングパートを担当していて、ビデオの最後に「トム・ノックスはDickiesチームに入るべきだ」と思ったんだよ。それで電話番号を聞いて話をした。ヤツにはわかる人にはわかる魅力があった。こんな感じでオレが特定のスケーターに惚れ込んでオファーすることもある。時にはガイ・マリアーノのように自分からDickiesに入りたいと言われて実現することもある。ジェイミー・フォイは昔から好きでDickiesを履いていた。フランキー・ヴィラニもそう。
V: ではDickiesで印象に残っているプロジェクトは?
J: さっきも言ったようにオレはロングアイランド出身なんだ。“Another Day, Another Bodega”というビデオを作ったんだけど、その撮影のためにNYへ2回行ったんだ。あのビデオはいい感じに仕上がった。“Loose Ends”も良かったね。
V: 個人的には“Loose Ends”のロニー・サンドヴァルのパートが良かった。
J: ありがとう。あの作品はパンデミック中に撮影したんだ。ザック(・ウォーリン)もヤバかったし、ロニーもクリップを量産していた。あれは本当に楽しかった。Dickiesで働きながらTransworldの『Duets』を作ったからチームのほとんどのライダーが出演している。だから『Duets』もかなり特別だね。
そしてプロのキャンペーンはどれも限られた期間で撮影しなければならないから、それぞれが特別だった。フォイの“Sunshine State”は3週間。フランキーのパートは2週間。ロニーは1ヵ月半。だからどれも楽しくタイトなプロジェクトなんだ。とりあえず観る人がスケートを楽しめて、嫌がられないような曲を選ぶように努力しているね。
V: ロニーのパートにナンシー・シナトラの『バンバン』を選んだのは誰?
J: あれはオレだね。当時は『キル・ビル』を観まくっていたんだ。パンデミックの間はタランティーノに夢中で映画を見まくっていたんだけど、誰もこの曲を使っていないことに驚いたよ。ロニーにぴったりだしね。
V: 一緒に撮影して特に楽しいライダーは?
J: みんなタイプが少しずつ違うからね。例えば、ロニーは一番簡単。転ぶより着地の方が多いから。やったことがあるトリックはいつでも時間をかけずメイクできる。エンダー級のトリック以外は何度も撮らせてもらえる。しかも何でも狙ったトリックはメイクできる。ヤツは性格が面白いしね。フォイも簡単。プロフェッショナルだし楽しい。つまりみんな一緒に撮影していて楽しいんだ。トリックをメイクする早さという点ではそれぞれだけどね。そしてフランキーはマジシャンのようだ。みんなそれぞれ特別な魅力をを持っている。みんな大好きだよ。
V: 最近のスケートシーンは昔と比べて変わったよね。今のシーンをどう見ている?
J: たしかに変わった。あまり年寄りみたいなことを言わないようにしているけど、そのことについて話すことは多い。オレらは何十年もスケートビデオに夢中になってきた。同じビデオを何回も観て、曲が脳裏に焼きついている。今は1週間もすればみんな忘れてしまう。インスタグラムが中心になっている。少し奇妙な感じだね。でもいつも自分に言い聞かせているのは「誰のためにこれをやっているのか」ということ。プロスケートの世界では子供たちのためにこれをやっているんだ。この先、スケートの可能性を押し広げていく子供たちや若者を楽しませるためにビデオを作っている。もったいないのは、多くの動画がスケートビデオではなくインスタグラムにアップされていること。インスタグラムにクリップを投稿した人はみんなYouTubeにもアップロードして、いつ何をやったかわかるように見せてほしい。そうすれば、誰かが過去にさかのぼってその動画を観たいと思ったときに見つけることができるから。
V: Dickies Skateboardingを率いるにあたって一番ワクワクすることは?
J: エキサイティングなのはチームとともに旅をしてブランドを成長させること。そして今はスケートプログラムをよりグローバルな方法で高めていくことができると思う。そういう意味でもブランドを成長させて、日本やヨーロッパのチームを構築するのに十分な信念を持てるようになることを望んでいる。より多くのスケーターを支えて、より多くの人が夢を実現してスケートボードに恩返しができるようになればうれしい。テキサスにスケートパークを作ったことがあるんだけど、そういうことをする方法をもっと見つけられたら最高だと思う。より多くの人がそれぞれの人生でやりたいことをする手助けができればと思っている。それ以外には興味がない。そのためにはもっと多くのブランドが必要だ。Dickiesのチームに入ることで、あるいはDickiesがプラットフォームとなることで、アートや映像制作、写真撮影などの幅が広がるのであれば、それは本当に素晴らしいことだと思う。
V: Dickies Skateboardingを運営する上で絶対に譲れないことは?
J: スケート。正しい物事の進め方や表現方法の誠実さは絶対に守る必要がある。オレは何年もスケートを理解していない人と戦ってきた。スケートコミュニティを尊重するためには、本当に適切なやり方をしなければならない。誰も口にしないけど、このコミュニティにはルールがある。それは絶対に守らなければならない。だから例えば銀行の広告で誰かがモールグラブしていたり、トラックを逆さに装着したりしているのを見かけたら、それを嘲笑うんだ。オレの仕事はスケートの誠実さを守り、スケートコミュニティに敬意を払った形でDickiesを正しく表現することだ。
V: いいね。現在取り組んでいるプロジェクトは?
J: ガイ・マリアーノのコレクションが3月末に発売される。そのための撮影をしているところ。それから、今年はかなり大きなプロジェクトがいくつかある。そして夏には『Honeymoon』のリリース。フルレングスビデオで全員のフルパートがある。全部で11のパート。捨てカットなし、ヤバいクリップのみ。Dickies Skateboardingにとって大きな年だ。フルレングスのリリースはコミットメントの現れ。完成させるには時間とエネルギーが必要だ。怪我もするし、骨も折れる。できる限り良いものにしたいと思っている。『Honeymoon』。それが今年の大きな目標だ。
Joe Monteleone
@dickiesskate | @thejoeface
スケート業界に身を置き、グローバルブランドマネージャーとして10年にわたり現在のDickies Skateboardingを構築。Transworldのラストビデオ『Duets』も制作している。