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スケートボードがオリンピックデビューを果たす東京五輪を来年に控え、USA SKATEBOARDINGのCEOを務めるジョシュ・フリードバーグを直撃。スケート業界で確かなキャリアを積んだ男がオリンピックを徹底解剖。
──JOSH FRIEDBERG

2019.08.28

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Photo_Jeremiah Arias

VHSMAG(以下V): まずはスケーターとしての活動を振り返りたいと思います。初めてのスポンサーはNew Deal?

ジョシュ・フリードバーグ(以下F): そう。New Dealに加入したのが'90年。19歳でカリフォルニアに移って'94年くらいまで所属していたのかな。それから60/40に移籍した。そして60/40の姉妹ブランドのPeopleから初めてのシグネチャーモデルがリリースされたんだ。実は60/40からプロに昇格していたんだけど自分のデッキが出たのはPeopleから。プロ昇格後初めてのコンテストは'95年のTampa Proだった。

V: 『The Union Video』でラストパートを飾ってたよね?

F: そうだったね。ここずっとオリンピックのことばかり話していたから…自分のスケートキャリアを振り返ることなんてめったにないから忘れてしまうね(笑)。
 


 

V: これまでの活動は大切だよね。そこからすべてが始まったわけだから。ちなみに『Da Deal is Dead』とUnderworld Element 『Skypager』も手掛けてるよね?

F: そうだね。スケートをするためにカリフォルニアに移ったわけだけど右も左もわからない状態だった。New Dealの拠点がコスタメサだったからその近くに住んでPizza Hutのデリバリーのバイトをしていた。スケート中心の生活を送っていたんだ。そしてNew Dealの倉庫で働くようになったんだけど、オレがコンピュータを使えることがわかってグラフィックのレタッチをすることになった。コンピュータでのレタッチがまだ珍しかった頃の話。そうしてビデオを作るようになったんだ。New Dealの最初の3作、『Promo』、『Useless Wooden Toys』、『1281』はスティーブ・ダグラスが作ったんだけど「ビデオを作る気はないか?」って聞かれた。もちろん二つ返事で受けることにした。そうして『Da Deal is Dead』が完成、続いてリック・イバセタとアンディ・ハウエルと一緒に『Skypager』を作ったってわけ。
 



 

V: 『Skypager』にはかなり影響を受けた。そしてスティーブ・ダグラスと一緒に411VMを手掛けるようになるわけだけど、当時はまだNew Dealに所属していたの?

F: 最初の2作を作ったときもNew Dealのライダーだった。411VMを始めてからもそう。プロとして活動していたのは'97年までかな。ヒザの怪我で3回目の手術をしたのがきっかけだった。それから思うようにスケートできなくなったから411VMに専念することにした。
 


 

スケートを愛する人たちが共感できるものを作りたかった

V: 411VMはどうやって始まったの? ビデオマガジンというフォーマットなんて誰も聞いたことがなかった時代だよね。

F: まあね。『Da Deal is Dead』と『Skypager』の編集は比較的すぐに終わったんだ。というのも、当時はちょうどVideo Effectsという新しいデジタルのビデオ編集技術が出たばかりだったから。これのおかげで160x120で編集できるようになった。画質は悪かったけどデジタル。要はテープからテープという作業がなくなったってわけ。当時はNew Dealのプロモーションのためにzineも作っていた。インタビューや写真で構成されたもの。ビデオのスクリーンショットを掲載したりしていた。'92年当時はそれでも大変な作業だったんだ。

V: たしかに当時はビデオのスクリーンショットがシークエンスとして使用されていたよね。

F: そう。それでスティーブとそういったプロセスについてずっと話していたところ、「そのままビデオのフォーマットでいいんじゃないか?」ってことになったんだ。UKのRad Magazineを手掛けていたティム・レイトンボイスがスティーブにこう言ったことがあった。「次はビデオマガジンが来る」って。でもティムはビデオのスクリーンショットを多用した紙媒体のことを言っていたそうだ。当時はフィルムカメラでトリックを撮影するのが大変だったからそれが主流だったんだ。そうして「ビデオテープという形のマガジンにするのはどうだろうか」という結論に至ったってわけ。そうやって411VMが誕生した。

V: ビデオマガジンという概念はすぐに受け入れられたの?

F: 最初は厳しかったね。前例がなかったから。説明しようにも混乱した面持ちで「何を言っているかわからない」って感じだった。結局デモテープを作ってショップやブランドに送ることにした。どういうものか理解してもらうにはそれが手っ取り早かったからね。そして一度だけSlapに広告を打ったことがあった。広告を出したのはそれ一度きりだったと思う。

V: 411VMの登場は画期的だった。

F: 1作目から世界的に好評を得ることができた。みんなの反響が良かったからね。ただ持続できるビジネスに成長させるまで時間はかかったけど、ラッキーなことにGiant Distributionのサポートがあったから自由にプロジェクトを進めることができた。そしてワークフロウに慣れてきた頃に「年6作ではビジネスとして成り立たない」ってことが判明した。コンテスト、バケーション、ハウツー、BEST OFといった作品を加えていったのはそれが理由。オフの月にそれらを挟むことでビジネスとして成長することができたんだ。

V: Wheels of FortuneやIndustryなどのセグメントは誰のアイデア?

F: スティーブと構想を練っていた頃にNew DealとElementのクリエイティブ担当を連れてポール・シュミットの家に行ったんだ。そのときいたのはスティーブ、ポール、アンディ、ジョニー・シラレフ、ホセ・ゴメス、ジャスティン・ジラード。要するにGiant Distributionのクリエイティブ担当全員。スウェーデン人のゴーム・ボバーグもいた。そこで ブレインストーミングした結果があのセグメント。そしてアンディ、ジョニー、ホセとゴームがロゴを考えた。411というタイトルはオレとスティーブ。アメリカでは電話で411とダイヤルすると番号案内に繋がる。だからスケートの情報を案内するという意味が込められていたわけ。

V: World Reportのセグメントもあったよね。あれで日本人スケーターの滑りがほぼ初めて世界に発信されたと記憶している。

F: そうだね。それもオレたちにとって大切なことだった。スケートを愛する人たちが共感できるものを作りたかったんだ。それが411VMの目的。スケートが好きなら繋がりを感じることができる。オレはカンザスで育った。'85年にスケートを始めたガキの頃、スケート誌でバーチカルでぶっ飛ぶスケーターの姿を見ていた。でもどうやって空中に飛んだのか見当もつかなかった。それくらいオレはスケートの本場から離れた場所にいた。だからその頃に初めて『Future Primitive』を観た瞬間、脳みそが爆発する感覚を覚えた。クールすぎて脳の情報処理が追いつかなかったんだ。ビデオにはそういうパワーがあるんだ。スティーブもイギリスで育ったからオレと同じような境遇。スケートのアクションそのものを観れなければスケートを理解することはできない。だからカリフォルニア中心で排他的なものを作るのではなく、世界中のスケートシーンを見せたかったんだ。
 


 

V: 世界中のスケーターにとって411VMはあまりにも重要なシリーズだったね。その後は?

F: 411VMがLAの企業に買収されたんだ。1年ほど在籍したけど去ることになった。元妻の出身地であるフィリー郊外に移って少し休むことにした。やがてジョニー・シラレフが国際スケートボード協会(IASC)の役員に就任。新しいエグゼクティブディレクターを探していたときにオレが適任だと思ったらしい。'11年にそのポストに就任して、その頃にはカリフォルニアに戻っていた。IASCには5年ほどいたのかな。オリンピックに関してはそれがすべての始まりだった。というのも国際スケートボード連盟(ISF)とUSA Skateboardingを始めたゲイリー・リアムがオリンピックの近況を逐一報告してくれたんだ。やがてStreet League Foundationに転職してスケート環境の良くない地域でのパーク建設に尽力するようになった。2年ほどそういう活動をしていたんだけど、その間に万が一スケートボードがオリンピック競技になったときのためにISFがスケートを管理する国際連盟になれるようにIOCに申請をしていた。Street Leagueのブライアン・アトラスはオレが彼の会社に所属しながらISFのコンサルティングをすることを快諾してくれた。結局それが次第にフルタイムの仕事になったってわけ。そしてここ4年ほどずっとオリンピック関連の仕事をしている。

V: 現在の肩書は?

F: USA SkateboardingのCEO。

V: USA Skateboardingについて簡単に説明をお願いします。

F: これはアメリカにおけるスケートの管理団体。オリンピックでは基本的に競技を管理する団体が各国に存在するんだ。アメリカのスケートにとってのそれがUSA Skateboarding。

V: オリンピックの代表選手になるためのポイントを得るために出場しなければならないコンテストは?

F: ストリートのプロツアーであるStreet Leagueに加え、獲得ポイントが低い“五つ星イベント”と呼ばれるコンテスト。たとえばストリートとパークの両方があるDew Tour。さらにInternational Skateboarding Open(ISO)もある。今年はSLS World's Skate Street World Championshipsがブラジル・サンパウロで開催される。現時点でVans Park Seriesはオリンピックの予選ラウンドの一部ではない。

V: これまで世界中でオリンピックの予選ラウンドを観てきたわけだけど、現在のスケートシーンの状況について思うことは?

F: スケートがもうアメリカだけのものではなくなったということ。フランス、ブラジル、日本。さまざまな国のスケーターが表彰台に上っている。スケートがオリンピック競技になったメリットは、このようなコンテストが開催されていろんな国のスケーターが参加できるようになったこと。当初は招待制で排他的だったけど、オリンピックの予選ラウンドになったことで各国が参加できるようになったんだ。だから元々30〜45名の出場枠だったのが今では150〜190名に増えている。さらに多くのスケーターがこのシステムに参加できるようになったのは最高だと思う。エコシステムは多様化すればするほど早く成長する。だから最近はコンテストを観ていて楽しいね。

V: たしかに昔と比べてかなりグローバルになったよね。

F: そうだね。いろんな国の代表が揃うのがいいよね。スケートが発展していない国のスケーターを見ることもできる。スケーターならスケートを始めたての頃のことをよく覚えているはずだ。スケートに近道なんてない。そうだろ? 誰でも例外なく同じ地点でのスタートとなる。みんな同じように転びながら上達する。だから始めたての人たちが全力で練習する姿を見るのが楽しくてしょうがないんだ。みんな本当にうれしそうに練習しているから。昨年11月の南京と今年1月のリオで開催されたWorld Championshipsも40ヵ国以上が参加した。'90年代の初期のヨーロッパのコンテストを思い出したよ。最高のヴァイブスだった。

V: 40ヵ国以上が参加したとのことだけど、オリンピックには何ヵ国が参戦できるの?

F: 何ヵ国という縛りはないんだ。各種目に20名の出場枠がある。つまりストリートとパークそれぞれに男女20名ずつで合計80名。ちなみに各種目に最低でもひとり5大陸から出場しなければならない。そして主催国から各種目に最低ひとり。その他の出場枠はOlympic World Skateboardingのランキングで決定。これは先ほど話した予選ラウンドで獲得したポイントで決まる。さらに各国の代表選手の枠は各種目3名。だからランキングの上位10〜15位に日本人、アメリカ人やブラジル人がたくさんいても、トップ3名しか代表選手になれない。ポイントシステムをもとにシミュレーションした結果、11〜14ヵ国の出場が予想されている。そしてトップの8〜10名が誰でも知っている有名スケーター。その後に続く面々はさっき言った国以外のスケーター。割当方式だからいろんな国のスケーターにチャンスがあるんだ。

V: なるほど。主催国から各種目に最低でも1名の枠があるということは、合計4名の日本人の出場が保証されているということですね。

F: その通り。でも主催国の枠がなくても日本人は確実に出場できるはず。現在の日本人スケーターは手のつけられない状態だからね。素晴らしい才能がチームに揃っている。みんな「こんなにすごい日本人スケーターはどこから出てきたんだ?」って思っているはずだ。今の時代は才能あふれるスケーターが世界中から出てきている。オリンピックはスケートの多様性を世界に示すいい機会だと思う。スケートはもうカリフォルニアのホビーじゃないわけだから。

スケートに関する案件はスケーターが決定する

V: 各種目のフォーマットは?

F: ストリートはStreet Leagueと同じ。2ランと5つのベストトリックで上位4つのスコアが採用される。パークは3ランで、その内のベストスコアを採用。

V: コースのデザインは?

F: オレたちがオリンピックのコースを建設できる団体の候補を3つレコメンドして、東京の組織委員会によってCalifornia Skateparksに決定された。

V: 現地のパークビルダーと連携して建設するの?

F: そうだね。現地のパートナーと連携するというのがルールだから。California Skateparksがデザインと最終調整をするんじゃないかな。現地のパートナーがさまざまな作業をするという感じ。

V: スケーターとして、オリンピックに取り組む際に心がけることは?

F: 第一はスケートに関する案件はスケーターが決定するということ。スケートの経験のない人だと簡単にすべてを台無しにしてしまうから。それが一番大切だね。スケーターの意見を取り入れることに対してはIOCも東京の組織委員会も同意している。スケートのオリンピック参入は一大事だから楽しみだ。まだ安心はできないけどね。だから一番心がけているのはスケーターがしっかりと関わるということ。

V: スケーター以外の人と仕事をして壁にぶち当たったことは?

F: 全体的にいい感じだけど、オリンピックの政治はかなりクレイジーだね。正しい決断を下してそれが通るまでのプロセスもかなり大変。スケーターはいいアイデアが出たらすぐに実行したがるだろ? でもオリンピックの世界では政治やお役所仕事ばかりだから、誰もが同意するアイデアでも決議されるまで2年かかってしまう。そうやってすべてが複雑になってしまう。でも最終的にこれはスケートボード。スケーターはいつどんなときだって解決策を見出すことができると信じている。

V: 中にはオリンピック反対派もいますよね。それに対して思うことは?

F: 特にアメリカ以外の国にとっては、オリンピックによってスケートにスポットライトが当たる。それによってスケートが子供たちの身近な存在になる。それに対して文句を言う人に対してどう思うかって? スケーターらしくて素晴らしいと思うよ。わかるだろ? スケートは私的なものだから。スポーツというよりアートだ。コンテストはスケートの一部でしかない。誰が何と言おうが何をしようが、オレがスケートに乗るという行為そのものに影響はない。今も「メインストリームだ」というお決まりの文句を言うヤツはいる。こういう人は何もわかっていない。これはメインストリームでも何でもないんだ。オレがスケートを始めてから34年経つけど何も変わっていない。人がスケートに惹かれるのはそれが魅力的だからでしかない。そうだろ? スケートの魅力は楽しいところであり、自由に表現できるところ。それに尽きる。それがスケートを始めた理由であり、それがスケートし続ける理由だ。そしてその他にさまざまな要素がある。アート、音楽、ファッション、デザイン、写真、映像…。このようにいくつものクリエイティブな要素がスケートを取り巻いているんだ。そして外部の人間がそれに興味を持ち始めた。これはまったく問題じゃない。スケートが熟成する過程にいるだけだ。オレは47歳で娘もスケートをしている。これが当たり前の世の中なんだ。オレが始めた頃は普通じゃなかったけどね。

V: そうだよね。今は親が子供にスケートをさせたがるような時代。

F: 世の中が変わったってだけ。アメリカ以外の国では、スケートやその他のオリンピック競技が政府によって管理されていることを誰もわかっていない。オリンピックに参加するということは政府が資金を出してスケートをサポートするようになるということ。つまりパークが増えて子供がスケートをしやすい環境が増えるということ。子供にチャンスを与えることが悪いという意見はおかしいと思う。ヘイトすることもスケートの一部だからそういう意見があるのもわかる。でもスケートがオリンピック競技になったことで生活が好転したスケーターの例も世界中にあるんだ。そういう人がいることを知ればオリンピックがポジティブなものだとわかってくれるんじゃないかな。

V: たしかに。でもドーピングテストも気になるところだよね。

F: ドーピングに関しては、「スケーターはみんなウィードを吸うから絶対にうまくいかない」っていう大きな懸念があった。そうだろ? でもオリンピックを目指すスケーターはアスリートなんだ。しかもエリートばかり。コンテストの期間はウィードが吸えないということになっても何の問題もない。毎日ウィードを吸っていたのに、オリンピックのために完全にやめたスケーターも周りにいる。「これがオレの仕事だから。仕事を続けるのに必要ならすぐにやめる」って感じだった。

V: なるほど。

F: スケートの素晴らしいところはコンテストに一度も出場しなくてもプロでいられるところ。これは極めてユニークだ。だからウィードをやめたくないならビデオパートで勝負すればいい。進みたい道に進めばいいだけなんだ。ただオリンピックを目指すアメリカ人スケーターにはドーピングに関する国際レベルの講習を1年間受けてもらった。そうやってアンチドーピングに対する理解を深めてもらった。最近では予選ラウンドでもアンチドーピングのテストを行っているけど、今のところ問題は出てきていない。

V: 優秀だね。ではスケートがオリンピック競技になることでどのような影響があると思う?

F: オリンピックは政府からのサポートが受けられる機会であるということ。世界中でスケーターが増えるきっかけになるということ。スケートをどのように始めるかは問題じゃない。さっきも言ったように、スケートを始めるときは誰もがゼロからのスタート。初めはスケートの知識なんてない。ある日トライして楽しい時間を過ごす。それを実践するパークがスケート僻地と呼ばれるような国に建設されるんだ。今はトルコでパークを作っている。その次はイラン。そこでスケートに出会った人がもしかしたらずっとスケートを続けるようになるかもしれない。スケートに心を奪われたきっかけがコンテストでもいいじゃないか。スケートを始めた日にコンテストに出場するわけじゃないし。だからオリンピックがもたらすメリットは、これまでスケートが築いてきたことをさらに強固なものにするということかな。スケートインダストリーができなかったことをオリンピックによって実現できるかもしれない。たとえばアフリカのスケートシーンにとっては大きなチャンスだと思う。ショップすらない国だってあるわけだから。オリンピック競技になったことでシーンが活性化する国もあるってこと。

50億人に向けて放送される

V: ではメダルの予想は?

F: オレたちの予想は全種目でアメリカが最低ひとつはメダルを取ると思っている。それが目標でもあるし。でもこれはコンテストだから。何が起きても不思議ではない。どうなるか今から楽しみだよ。だってオリンピックとは言っても普段のスケートイベントと変わらないわけだから。唯一の違いは50億人に向けて放送されるということ。

V: 50億人!?

F: そう。つまりスケートを見たことすらない世界中の人たちの目に触れられるということ。そして'85年にオレが経験したように、脳を爆発させられればと思っている。

V: 歴史的瞬間だからね。スケートが東京オリンピックの最初の競技という噂は本当?

F: 最初ではないね。つまりこういうことなんだ。放送のターゲットはアメリカの視聴者がメイン。東京の時差はカリフォルニアと14時間、東海岸と11時間。だからアメリカ時間の金曜のゴールデンタイムが開会式。そして翌日の土曜が男子ストリート、日曜が女子ストリート。アメリカのゴールデンタイムの最初の枠のふたつがスケートっていうこと。

V: 今から楽しみだね。ちなみにジョシュのインスタグラムを見たら今もヒールフリップが健在だね。しかもバーチカルにもドロップインしていた。最高(笑)。

F: ああ、定期的に怖い思いをしないと。最後にドロップインしたのは'14年だった。南京で行われたユースオリンピックだった。あれからもう5年も経った。その前は10年くらい空いていた。だからそろそろ自分を追い込んで、また死ぬほど怖い思いをするべきタイミングかな(笑)。

 

Josh Friedberg / ジョシュ・フリードバーグ
@joshfriedberg

1972年生まれ。世界初のスケートビデオメディア411VMをスタートさせた'90年代の立役者。オリンピック競技としてのスケートを正しい方向へと導くキーパーソン。十八番トリックのヒールフリップは健在。

 

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