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'90年代初頭からブラックスケーターの代名詞として世界中の注目を集めたカリーム・キャンベル。かつてのブレインチャイルドであるAXIONを復活させ、一世風靡した当時の輝きが再び蘇る。
──KAREEM CAMPBELL

2021.06.25

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Photo courtesy of Axion
Special thanks_Gene Distribution

VHSMAG(以下V): NYのハーレム出身で、10代の頃にヴェニスビーチに移ったんだよね? 当時はジェフ・ハートセルやジェシー・マルチネスを通じてWorld Industriesに加入したって過去のインタビューで言ってたけど、その前に1週間ほどPowell Peraltaに所属してたって本当?

カリーム・キャンベル(以下K): まあ、正確にはPowellの前からジェシー・マルチネスとジェフ・ハートセルからWorldの使い古しのデッキとかをもらってたんだけどね。ちょうどその頃、PowellのQuartermaster Cupが開催されたんだ。当時にしては大規模なコンテストシリーズで、その時代のプロが全員エントリーしてた。オレはヴェニスビーチのスケートショップがスポンサーで、そのショップに育てられたようなものだった。とにかくそのショップからエントリーして、たしか優勝したんだ。決勝で大勢のプロと知り合いになったんだけど、そのなかにレイ・バービーもいた。オレにとってレイは昔からリスペクトしてきたアイドル的存在。するとPowellのトッド・ヘイスティングスとレイがオレのところに来て、「デッキを送ってもいいかな」って聞いてきたんだ。もちろん答えはイエス。そんな感じで10枚入りのボックスが送られてきたのかな。あれはかなりうれしかった。さらにPowellの倉庫に連れて行ってくれて、いろんなギアをくれた。そんな出来事があって、ある日、ヴェニスビーチに行くと…。要はヴェニスのローカルたちがオレのPowellのデッキを見て「オマエどうしたんだ? Powellのライダーになったらしいな」って…。でもオレからしたら「Worldが正式にチームに入れてくれないからしょうがないじゃねぇか」って感じだった。「ジェシーたちがオマエを探してるぞ」ってみんなが言うんだ。そしてジェシーがオレを見つけて詰め寄ってきたんだ。速攻でPowellのデッキを蹴り飛ばして自分のものじゃないふりをしたよ(笑)。するとジェシーは「どういうことだ?」って…。結局、ハートセルにオレをWorldの倉庫に連れて行くように指示して、その日に初めてスティーブ・ロッコ、フェリックス・アーギュエイエス、マーク・ゴンザレスを紹介された感じ。ということで、1週間だけPowellのライダーだったってわけ。

V: ジェシー・マルチネスから「Worldに来ないと指を失うぞ」って言われたって噂は本当?

K: ああ、指をへし折るって言われた話ね。そうだね。まあ、オレたちは家族だったから。かなりタイトな関係だったんだけど当時のオレはガキだった。トッド・ヘイスティングスとレイ・バービーから誘われたときに有頂天になってしまったんだ。でも同時に「誰もオレを誘ってくれない、誰も倉庫に連れて行ってくれない」って思ってた。新品のデッキも何ももらったことがなかった。でもWorldのライダーになった瞬間にいきなり20枚とかいろいろもらえて。マーク・ゴンザレスがビニール袋にウィールを何セットも詰めて渡してくれたんだ。大荷物で帰宅したのを今でも覚えてる。

V: World Industriesといえば『New World Order』のパートが個人的に好きなんだけど、World Parkで子供をオーリーで飛び越してるシーンがあるよね。あれは何だったの?

K: あれはサル・ロッコの息子。みんなで冗談を言い合っていたら、サルが「お前はあんなに高くオーリーできないだろ」とか言ってきたんだ。オレは「オマエの息子くらい飛べる」って言うと、ヤツは「何だと? やってみろよ」って。そんなやり取りであんなことになったんだ。ギリギリだったけど(笑)。

 

V: なるほど。ではその頃の'90年代初頭に影響を受けたスケーターは?

K: いろんなタイプのスケーター。ロドニー・ミューレンは間違いなくそのひとり。ヤツは真のレジェンドで一番影響力があった。同じスクワッドのダニエル・キャスティーヨ、シャイロ・グレートハウス、デーウォン・ソン…。それ以外でも、ガイ・マリアーノ、エリック・コストン、キーナン・ミルトン、ジーノ…。みんなLAの比較的近くの場所に住んでたから。テクニカルからビッグサイズまでスタイルもそれぞれ。

V: '93年頃に結構な人数のライダーがWorld系ブランドを去ってGirlを始めたけどカリームはチームに残ったよね。その理由は?

K: 実は当時、オレもリック・ハワードに誘われたんだ。シャイロもゲイブリエル・ロドリゲスもそうだった。いろんなスケーターに声をかけて新しいブランドを始める話をしてた。ちなみに最初はSisterっていう名前だったんだよ。まあ、いろんなことがあったんだけど、ジョヴァンテ・ターナーとシャイロで意見の食い違いがあってね。しかもオレは「全員一緒じゃないと行かない」っていう考えだった。オレはいつも仲間と一緒だったから。だから「いや、オレはいいや」って感じで身を引いたんだ。同時にオレはつねにチャンスをうかがってた。だからWorldの連中やロドニー・ミューレンと話したときに、「ロボットみたいなチームなんて作るな。スケートはそんなものじゃねぇ。オレにブランドをやらせてみろよ。新しい方法で業界を揺るがせてやる。マジでリアルなスケーターだけを集めてやるよ」って言ってやったんだ。

V: それがMenaceだね。ということはカリームがMenaceのライダーを選んだんだね。

K: そう。Menaceのために選んだライダーはいいスケーターだったけど、企業はヤツらをどう扱っていいかわからなかったんだ。それに誰も当時の型にはまったスケーター像に当てはまらなかった。オレも型にはまらないタイプだったけど、自分で道を切り拓いてきた。ルックス、滑り方、振る舞いとか、オレと似たようなタイプのスケーターを助けようと思ったんだ。オレは上の世代のブランドオーナーよりもそんなスケーターを理解できるから。そういう感じでMenaceを始めてスクワッドを築いたんだ。スケーターが「Menace to Society(社会の脅威)」と言われた時代のこと。ということで、そういう要素をブランドに取り入れて月面までかっ飛ばしたってわけ。

 

V: 自分をチームに加えなかった理由は?

K: ちゃんとしたブランドにしたかったんだ。当時はオレのネームバリューが高かったから、カリームが引き連れたスケーターみたいな感じにしたくなかった。だから逆の方法を取ったんだ。ヤツらをスターにしたんだよ。Menaceはオレ自身だけど、同時にライダーの光を奪うようなことはしたくなかった。

V: ジョーイ・サリエル、フェイビアン・アロマー、ビリー・ヴァルデズ…。結構ワイルドなスケーターが揃ってたよね。大変なことはなかった?

K: まあ、オーナーのオレ自身がワイルドだから。若くして大金も手に入れた。世界中のどこにだって行けた。当時はビデオパートに何年もかけるよりツアーに専念したいという気持ちがあった。だから1年の間に9ヵ月ほどツアーに出てたんだ。そんなことをしてるブランドなんて他になかった。リアルさと真摯な姿勢をキープしながら楽しんでた。楽しむことが何よりも大切だったから。

 

V: '90年代半ばに米坂淳之介がCity Starsに加入したのは日本で大きな話題だった。カリームが来日中に東京で声をかけたのは知ってるけど、実際どういう感じだったの?

K: 東京でいろんなヤツから淳之介のフッテージが入ったビデオを見せられたんだ。淳之介のスタイルはILLで特別な何かがあった。それで日本にいる間にいろんな人に淳之介について聞いて回ったんだ。でも誰も淳之介と連絡が取れない。みんな「あるスケートスポットに行けば会える」って言うんだ。それで住所とかを手渡されて…。ある日の早朝に電車に乗ってそのスポットに向かったんだ。到着して軽く滑りながら待つことにした。ブルーかグリーンの路面だったと思う。ショッピング街の近くで駅前のスポットだった。でも全然会えないんだ。周りのスケーターに聞いて回ったよ。みんな「カリーム・キャンベル?」って驚いてたけど(笑)。それで「淳之介? なんで?」って。それから数時間して淳之介が現れたんだ。オレが話しかける前に回りの連中が淳之介に駆け寄るんだけど、本人は何が何だかわからない様子。一緒に話しながら滑ることにした。ヤツのスタイルやアティチュード…。最終的にヤツが本物ってことがわかった。「City Starsに来ないか?」って聞くと了承してくれた。それでオレの首からネックレスを外して淳之介の首にかけたんだ。代理店と淳之介をしっかり繋げて、実現させることができた。淳之介は本物だ。

 

V: 彼は今でも変わらずヤバいよ。

K: もちろん知ってるよ。今はInstagramとかでリアルタイムで何でも見れるから。淳之介の投稿を見ながら「ヤベェ」って唸ってる。あのILLなスタイルは健在だね。

V: いい話だね。ちょっと唐突な質問になるけど…。以前もこの件について話したことがあると思うけど、『Trilogy』に収録されたラインの途中でポケベルをチェックしてたのは本当?

K: そうだね。当時はひとり目の息子が生まれる予定日の直前だったんだ。LAに住んでたんだけど、あの日はサンディエゴで撮影することになってね。デューデックたちと滑ってたんだ。ポケベルが鳴る度に誰かチェックしなければならない。「陣痛が始まった」っていう連絡かもしれないから。それでラインの途中でポケベルが鳴ったからチェックするしかなかったんだ。相手はただのホーミーだったけど。あれはそんな突発的な出来事だよ。

 

V: カリームはスケートコミュニティにいろんな功績を残して一時期は頂点に君臨してたけど、ある時期を境にシーンから離れた印象がある。当時は何があったの?

K: 表舞台に顔を出し過ぎてたというのもあるけど、当時はブランドを運営したり、ビジネスパートナーを持ったりと、いろんな変化が起きてる時期だったんだ。すべて自分のアイデアだったし、全部自分で著作権を管理してた。そして流通で協力してくれる連中もいた。自分のブランドを通して大金を稼ぐことができたけど、つねに金銭的な問題が浮上するんだ。というのも、ビジネスの世界では裏で不正に金を抜くヤツがいるんだよ。マジで気をつけないといけないんだ。スケーターからブランドのオーナーになったことは大きな転換点だった。でも当時は1日に50〜60人から電話が鳴りっぱなし。スケート、家族、仕事とかいろんな相談の電話が鳴り止まないんだ。それがなくてもすでに息子と過ごす時間が仕事で削られてる状態だった。それに加えて周りの裏切りもあった。それでしばらく身を引こうと思ったんだ。自分のためにいろんなことができるようになるまでは、四六時中ONの状態でいるのをやめて、複数のブランドの運営も休むことにしたんだよ。だからいろんなことをプライベートな形でやってたんだ。テキサスに移ってからは、マイク・クラムとロブ・ケーヒルと組んで4DWNを始めた。いつもパークでスケートを楽しんでる。でもその姿を表舞台に発信しようとは思わなかったんだ。不動産の仕事も多かったし。そうやってただ楽しんでまたスケートが好きになっていったって感じかな。

V: これもまた唐突な質問になるけど、ナケル・スミスは甥っ子だよね。今では有名なプロスケーターで、役者やラッパーとしても活躍してる。甥っ子の活躍について思うことは?

K: ナケルはいつもオレの小さな甥っ子だね。成長を見守ってきたし、初めてのスケートボードをプレゼントしたのもオレ。スケートに夢中になって四六時中デッキに乗ってたよ。ナケルが上手くなった頃がちょうどオレにもいろんな変化が起きてた時期だった。ナケルが努力してたのは知ってる。210%本気だった。でも何よりも大切なのは、ナケルは自分のために努力してたってこと。「カリームの甥」って言われるのがイヤだったんだ。オレたち家族と本当の意味で親しい仲間はナケルがオレの甥っ子ってことを知ってたけど、一般的にはあまり知られてなかった。いつも「オレはナケルだ。カリームおじさんよりもヤバくなってやる」って言ってたよ。しかも有言実行。身をもって示してる。素晴らしいと思う。オレも音楽とかいろんなことをやってきたけど、ナケルがこのように若くしてやってるのは最高だと思う。しかも自分らしさを貫いてる。オレの小さな甥っ子は最高だよ。今はナケルがオレの甥ってことをみんな知ってると思うから話してもいいと思うけどね。ナケルは自分自身で立ち位置を確立したんだ。

V: もうひとつランダムな質問を。昨年、チャド・マスカがスケートの殿堂入りを拒否したよね。カリームより先に殿堂入りできないというのがその理由だった。それについて思うことは?

K: 実はマスカが受賞を拒否するまで、そんなことがあったなんて知らなかったんだ。朝起きると電話が鳴り止まなくていろんな人から「どうなってんだ?」ってメッセージが届きまくってた。何が起きてるかわからなくて、マスカと話すと「どうか怒らないでくれ。これがオレの想いなんだ。オレはあんたをずっと見てきた。いろんな才能を育てる姿も見てきた」って言うんだ。去る人日に疎し、去る者は日々に疎しっていうか…。オレはたくさんのブランドを運営していろんなことをやってきた。同業者を廃業に追いやったこともある。廃業に追いやられたブランドの人間が今はスケートメディアに所属してるってこともある。多くのダメージを与えたオレが黙殺されるのはあり得ることだと思う。それに他社を廃業に追いやったのは結果論だ。意図的じゃない。オレは自分のブランドを成功させただけなんだ。他のブランドからスケーターを盗んだこともない。10年ほど前にTWSで企画された「史上最高のスケーター30選」にもオレは選ばれなかったからね。

V: マジで?

K: ああ、別にそんなこと気にしてたわけじゃないけど、どうしてもSNSで情報が入ってきてね。いろんな人に原因を聞かれても「誰が選んでるのか知らないし、審査基準もわからない」って言うしかない。でもそんなリストはどうでもいい。オレの仲間やファンからもらう言葉が何よりもうれしいから。

V: インダストリーにはいろいろ政治がありそうだね…。

K: ああ、10億ドル産業だからね。

V: Axionが復活したわけだけど、これはカリームが'98年にスタートさせたシューズブランドだよね。当時の立ち上げはどんな感じだったの? シューズブランドってことを考えると、Menaceの立ち上げとはまったく違う感じだったと思うけど…。

K: いや、正直言うとMenaceの立ち上げと同じ感じだった。当時はロッコがオーナーだったDuffsのライダーだったんだ。シグネチャーモデルも出してたんだけど法的な問題があってね。それでロッコはDuffsをやめてジェレミー・レイとDukesを始めたんだ。ロッコはオレがDuffsでシューズデザインの経験があることを知ってたけど、当時のオレはDroorsのライダーだったからDCの存在がつきまとってた。ケン・ブロックとも親しかったからDCに入ることも視野に入れてたんだ。でもDukesのデザインに協力するためにジェレミー・レイと一緒に韓国・釜山に行くことになった。オレとジェレミーのデザインはスタイルが完全に対極。そんなときにロドニー・ミューレンから連絡があって「ロッコが会いたがってる」って。ヨーロッパから帰ってきたばかりのタイミングだった。「場所は?」って聞くと…「フライトを取って会いに行ってくれる?」って言うんだ。「わかった。だから場所は?」って聞くと、「ハワイのラナイ島」って…。

V: ヨーロッパから帰国して次はハワイ。忙しいね。

K: というわけでラナイ島に飛んでアメリカで最高級とかいうホテルで会ったんだ。そこでオレがデザインしたシューズのサンプルを見せながら「ブランドを始めないか? オレとオマエ、取り分は50/50。オマエがマーケティングとデザインを担当。オレはMenaceとかのときのように後方支援する」って。サンプルは90点で上出来だった。それでブランドネームとロゴを決めたんだ。デルタ航空を利用したからあの三角形のロゴになった感じ。「Action Speaks Louder Than Words(行動は言葉より雄弁)」の姿勢が好きだったからそこに含まれてる「アクション」って言葉をブランドネームに採用。その夜にすべてを決めたんだ。

V: チームに関しては? ジーノ(・イアヌーチ)やガイ(・マリアーノ)とか最高の面子が揃ってたよね。

K: 自分のコンセプトを形にすることができたんだ。3人の主要メンバーでトライアングルを形成したかった。さらにコアの部分をキープする。ジーノもいる。ガイもいる。みんな最高のスタイルの持ち主。

V: そうして昨年、Axionを復活させたわけだけど、その前にもカリーム不在で復活したことがあったよね?

K: それはC1RCAを通じて。簡単に説明すると、ヤツらとビジネスを進めようとしたんだけど裏切られたんだ。商標を少しずつ盗んでたんだよ。裏切りの連続。オレはヤツらと法的に争うことに意味を見い出せなかった。オレができることはプロジェクトそのものを潰すこと。オレのサポートなくしてAxionの復活は上手くいかないことは一目瞭然。オレはこれまでにいろんな人といい関係を築いてきたから、「このAxionの復活は詐欺だ。フェイクだ」ってみんな気づいてくれたんだ。マジで気をつけないと。この世界には汚い手を使う連中がいるから。

V: なるほど。でも今回はカリーム本人がAxionを復活させて、まず'98年のガイ・マリアーノのシグネチャーをGenesisというモデル名で再発したわけだよね。

K: そう。ナンバー入りで1998足リリースした。その目的は、これがオリジナルのAxionに基づいた復活であることを伝えるため。でも同時に誰も見たことのないAxionも展開していく。

V: スリッポンとか新しいシルエットもランナップにあるね。ではAxionの今後の方向性は?

K: 昔、Axionをやってたとき、オレらにはいろんな方向性があった。それはAxionがスケートとストリートウェアから生まれた本物のブランドであることを示そうとしてたから。当時はDCがあって、éSがあって、Axionがあった。オレらはスポーツブランドとはまったく違ってた。他のブランドをコピーしようとしたことはない。すべてオリジナル。でも同時に多様化しなければならない。ヘッシュとフレッシュ。Axionは両方取り入れていく。

 

V: 人気沸騰のPalaceにMenaceの影響が見られたり、New Balance Numericのティアゴ・レモスのモデルもAxionのマリアーノのモデルにインスパイアされてる。Louis Vuittonのスケートシューズにも過去にカリームが手掛けたモデルの影響が色濃く見られる。カリームは今も影響力が色褪せないレガシーを残したわけだよね。

K: 逆にオレが元気をもらうからドープだね。だって考えてみると…それはオレが時代を先取りしてたっていう証明だから。'98年や2000年に手掛けたものが20年後に影響を与えるなんて。光栄だよ。

V: カリームのやってきたことを振り返ってみるとかなりクレイジーだよね。つねに正しいことやってきたことが証明されたっていうか。

K: 人の意見を聞くようにしてきたから。今ではインターネットで人の意見がトゥーマッチになってしまうこともあるけど…。でもできるだけ多くの意見を取り入れたほうがいい。現在のスケートシーンを見ても、どのブランドも似たり寄ったりっていうか…。今のスケートコミュニティはかつてのエッジを失いつつあると思う。スケーターは他の人種と違うからこそトレンドセッターだったんだ。それが重要だったんだ。スケートとは人と違ったことをすることに意味がある。他の連中やスポーツブランドを模倣するなんてかつては考えられなかった。

知識がないからこそ学ぶ意欲が強くて一番ハングリーになれる

V: スケートは特別な世界だった、と。カリームの言葉は重いね。ヴェニスビーチ、World Industries、Menace / City Stars、Axion…。スケーターとして、起業家として、これまでにいろんなフェーズがあったわけだけど、そのなかでも今の自分にとって大切だと感じる時代は?

K: 知識が少ない駆け出しのフェーズかな。知識がないからこそ学ぶ意欲が強くて一番ハングリーになれる。その時期が一番楽しいと思える。あるところまで来ると「この程度わかれば何とかなる」って思うようになるけど、当時はすべてを学ぼうとしてたから。そんな時代があったからこそ今の自分がある。

V: では今後の予定は? Axionだけじゃなく仲間との4DWNもあるし…。

K: City Starsもある。これももうすぐ軌道に乗せる感じ。スケート以外の会社も経営してるし、今も不動産業をやってる。娘のひとりはメイクアップの会社を経営してる。だからいろんなことをやってるよ。もうひとりの娘もヘアサロンをやっててヘアケア用品も販売してる。オレはずっと舞台裏でいろんな人を支えてる。でも今後はオレの顔を頻繁に見ることになると思う。最近は映像や写真を撮ってるから。

V: スケートを続けてるのは知ってるよ。Berricsのクオーターパイプでトレフリップをやってるのを観たときはうれしかったし。

K: そういうことなんだ。でもテキサスではみんなオレが滑りまくってるのを知ってる。LAでは人の目に晒されるけど、テキサスでは自由なんだ。素晴らしいよ。

 

Kareem Campbell
@kareemcampbelldotcom

1973年生まれ、NY・ハーレム出身。'90年代に強靭なポップを駆使したスケーティングでWorld Industriesの顔役として活躍。'90年代後期にはAxionを発足。ストリートスケーター/起業家のパイオニア的存在。

 

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