KÉPA(ケパ)の愛称で知られる才能豊かなフレンチマン、バスティアン・デュヴェルディエ。重傷を負いスケートボードの道が閉ざされたときに彼が選んだ道とは。2015年11月にELEMENTのジャパンツアーで来日を果たしたKÉPAに話を聞いてみた。
Interview by VHSMAG Photo by Haltac Special thanks: Element Japan
VHSMAG(以下V): まずは自己紹介をお願いします。
Képa(以下K): 名前はKépa。バスク地方の出身。フランスの南西部のビアリッツの近くのバイヨンヌで生まれ育った。現在27歳。スケート歴は17年でギター歴が5年。
V: ということは、まずスケートを先に始めたということだよね。
K: そうだね。スケートが先だね。
V: スケートとの出会いは?
K: ありふれた感じだよ。9、10歳くらいの頃に親友の兄弟がオーリーをしているのを目撃したんだ。オーリーで歩道を超えていた。それを目にしたときに「ヤバい!」と思った。子どもにとっては魔法のような瞬間だった。そうやってスケートにハマった感じだね。
V: YouTubeに上がっているフルパートを観たけど、Képaのスケーティングはユニークだよね。
CRAZY EXTREME SKATE
A CHALLENGE TO THE DARK
K: ありがとう。でもオレにとっては日本人スケーターのほうがユニークだと思う。森田貴宏や宮城 豪が作り出す世界観はこれまでになかったものだからね。このふたりがオレの中で一番有名な日本人スケーターだよ。このような日本独自のスタイルが好きで、日本のスケートビデオをよく観ていろんなものをオレのスケートアプローチに取り入れてきた。森田はスケートコミュニティに貢献したひとりだと思う。映像やスケートの新しいスタイルを提示してきたわけだからね。アメリカのやり方を真似しなかったのが特にいい。オレはこのような日本独自のスタイルにハマっているよ。
V: 海外からのゲストから森田貴宏の名前が出るのはうれしいね。ちなみに今回の来日はミュージシャンとしてだよね?
K: そう。実は2年前にひどく腰を痛めてしまって、以前のようにスケートができなくなってしまったんだ。17歳で学校を辞めたので学歴がないから、自分で何か新しい道を探さなければならなかった。そこで、以前に少し弾いていたギターを引っ張りだして練習するようになった。次第に曲を作るようになって、仲間にライブをするようにすすめられて今に至るという感じだね。
V: 怪我をしてミュージシャンに転向した頃の話を聞かせて。
K: 腰を痛めて1年間スケートができなかったから、何か時間つぶしが必要だった。本気でギターを練習するようになったのは、もしかしたら二度とスケートができないかもしれないと思ったから。先がどうなるかなんてわからないからね。そうして自分で曲を作るようになった。というのも、好きなミュージシャンの曲を弾こうとしたんだけど楽譜を読むことができなかったから。オレには演奏に関する知識がまったくなかったんだ。自分の曲しか弾くことができない。そして、初めてライブをした年に40公演を達成することができた。その年の終わりに「音楽を続けるのもいいかもしれない」と思った。音楽で食っていける可能性はゼロではないかもしれないからね。今年がミュージシャンとして3年目。音楽が大好きだし、スケートのように危険じゃないからずっとやり続けることができるかもしれない、最高だよ。これまではスケートだけの生活だったけど、今は音楽という情熱を傾けられるものがもうひとつある。
V: 音楽とスケートはある意味よく似ていると言うよね。
K: そうだね。独創性というか、個性が大切だからね。そして、その独自のものを周りの仲間と共有することができる。オレはスケートと同じ方法でギターを学んだ。まったく同じ方法だよ。スケートと同じように、直感に忠実に独学で覚えたんだ。
V: Képaのフットプラントやキャスパーといったトリックを取り入れたスケートスタイルは音楽にも取り入れられているのかな?
K: そう言えるかもしれないね。スケートも音楽もアプローチの方法が同じかもしれない。キャスパーのようなトリックは流行りからかけ離れている。流行りに乗りたければ、例えば特定のスタイルで360ショービットをしなければならない。でも、流行りとかけ離れて何か違うことをやらなければ何も変わらない。宮城 豪がいい例だね。今ではみんな「宮城 豪はヤバいね!」って言うけど、おそらくヤツは駐車場とかで何時間も自分で考えたクレイジーなトリックをひとりで練習してきたんだよ。オレも音楽で同じようなことをしたいと思っている。今日のスケートシーンでは、ブルースなんてまったく流行っていない。みんなインディロック、メタルやヒップホップとかを聴いている。ブルースなんて誰も聴いていない。うまくいくかどうかなんてわからないけど、ブルースをスケートイベントにも取り入れていきたいね。
V: 昔からブルースが好きだったの?
K: いや、ブルースは腰を痛めた年に出会ったんだ。それまでブルースに興味すらなかった。でも、アメリカのブルースマンであるBukka Whiteの曲に出会ってすっかりハマってしまったんだ。まったく同じような演奏をしたり真似をしたりするのではなく、トーンやメロディを取り入れて自分のスタイルを構築したかった。オレはアメリカ人じゃないし、ブルースで歌われるような奴隷の生活なんて経験したことがない。オレはヤツらとは違う。だから、もっと新鮮なブルースを作り出したかった。大好きなトーンを残した一味違うブルース。ブルースの魅力は、マイナーキーとメジャーキーの絶妙なバランスが保たれているところ。悲しみと喜び、マイナーとメジャーのバランスが非常に興味深いと思う。
V: なるほど。今年は3作目となる『Low-Low Wind』をリリースしたばかりだよね。
K: そう。でも最初の2枚はオレの母親と妹くらいしか聴いていないと思うけどね、偶発的にレコーディングした作品だから。前2作は自分と仲間のために作った作品だった。今回の『Low-Low Wind』はこれまで以上に力を入れて制作した。アルバム完成に1年かけたからね。
V: YouTubeにはアルバムから2曲公開されているよね。
K: まあ、公式に「よし、みんな! YouTubeでオレの曲を公開したから聴いてくれ!」なんて言いたくないけどね。とりあえず公開してどうなるか様子を見ようという感じだった。がんばって宣伝したほうがいいのかもしれないけどね。
ON THE TOP OF THE WORLD
ONLY OH!
V: 今回はElementのジャパンツアーで来日したわけだけど、Elementとはどのような関係なの? ライダーなの?
K: いや、腰を痛める前はデッキを提供してもらっていて、もう少しでヨーロッパチームに加入するところだった。でも、ちょうどそのときに腰をやってしまった。もうすべて終わったと思ったよ。もうどうでもいいと思った。その翌年に、Elementに自分の音楽を渡したら気に入ってくれたんだ。そして、チーム加入ではない思いもしない契約をオファーしてくれた。ミュージシャンとしてElementに誘われたんだ。スケーターとして、初めはそこまで喜べなかったんだけど、本当にありがたいと思っている。これはオレにとって最高なことだよ。スケートツアーに参加することができて、さらにスケーターのために音楽を提供することもできるんだからね。ブルースのようなスケートシーンでクールとされていない音楽をクールにさせるのが目標だとも思っている。今日のように、スケーターから「いいライブだった」と言われると本当にうれしいね。
V: いい感じだね。では今後の予定は?
K: オレにとってはかなり大きな仕事が入っているね。実は今月末にGregory Porterの前座をすることになったんだ。アメリカの超有名なソウル・ジャズのアーティストだよ。まさにビッグスターだ。しかも、会場はフランスの老舗ミュージック・ホールとして知られるオランピア劇場。The Rolling StonesやThe Beatlesもプレイした会場だよ。だから2千人の観客の前でプレイすることになる。信じられないことだよね。
V: 怪我が人生の転換期となったってわけだね。人生何が起きるかわからないってことだね。
K: まさにその通り。人生とは面白いもんだよ。
Bastien Duverdier aka Képa
腰の負傷によりミュージシャンのキャリアをスタートさせたフランスはバイヨンヌ出身のスケーター。これまでに『No Goat Cheese』、『Hello Babe!』、『Low-Low Wind』と3枚のアルバムをリリースしている。