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STANCEのPUNKS AND POETSに所属するアーティストのマーク・オブロー。'80年代にハワイでスタートしたキャリアから故ディラン・リーダーまで、思いの丈を語る
──MARK OBLOW

2018.06.13

[ JAPANESE / ENGLISH ]

Interview by VHSMAG, Photos by Junpei Ishikawa, Special thanks: Stance Japan

VHSMAG(以下V): スケートを始めたのは生まれ育ったハワイ?

マーク・オブロー(以下O): スケートを始めたのはハワイでサーフィンをしていたから。’80年代初めに自宅のドライブウェイを波に見立ててスケートをしたのがきっかけだった。草や木が伸びていたら、それをチューブ代りにしてライドしていた。まずはサーフィンの真似事として始めたんだ。

V: ではまずはサーフィンありきで後にスケートにハマったんだね。

O: サーフィンでスポンサーがつきそうになったんだけど、スケートにハマってしまったんだ。それからはスケート一色。当時はジョニー・コップという知り合いのプロスケーターにボードやギアをもらっていたんだけど、クリスチャン・ホソイを紹介してもらってから人生が一変した。ホソイと友達になってからナタス・カウパス、マーク・ゴンザレス、スティーブ・キャバレロ、ロブ・ロスコップらがオレの家に泊まりに来るようになったんだ。ヒーローの仲間入りをしたんだよ。

V: 当時はスポンサーされていたんだよね?

O: そうだね。当時のスポンサーはVision、JIMMY’Z、OJs、Independent。でもヒーローたちと一緒にいたから写真を撮るようになった。彼らとの時間は特別だったから。そして、ロスコップの写真を撮ったらそれがSanta CruzのアドとしてThrasherに掲載されたんだ。

V: 高校3年生の頃の話だよね。

O: そう。それから写真にハマったんだ。

V: その頃にVisionからプロ昇格のオファーがあったのに断ったって聞いたことがあるけど。

O: 本当の話。当時のVisionはライダーがほとんど抜けてしまっていた。プロに昇格したらいろんな責任がついてくることを知っていたんだ。幼馴染で当時プロだったボー・イケダを見ていたからね。ビデオパートやアドの撮影、そしてデモ…。ボーにとってスケートが楽しくなくなっていったんだ。落ち込んでいたのを覚えている。

スケートは金のためにやるものじゃない。スケートをしたいからスケートをするんだ

V: スケートが仕事になるのがイヤだったんだね。

O: そんな彼を見て思ったんだ。スケートは競争ではない。スケートは金のためにやるものじゃない。スケートをしたいからスケートをするんだ。だからスケートが仕事になった瞬間、ヤツは落ち込んでしまった。そうして、オレにプロ昇格の話が来たときこう言ったんだ。「チームマネージャーのアシスタントになりたい」ってね。そうすればみんなと一緒に旅ができて、スケートも一緒にできる。しかもプレッシャーもない。だからプロになる代わりにVisionのチームマネージャーのアシスタントになったんだ。

V: そうやってスケートインダストリーで働き出したわけだ。スケートを始めた’80年代からいろんな時代を経てシーンに劇的な変化が起きてきたわけだけど、今の時代についてどう思う?

O: オレたちの時代はスケートで金を稼ぐなんてできなかった。金ではなく純粋に好きだからやっていたんだ。今では金のためにスケートをする連中もいれば、スケートとアートに傾倒するピュアな人種もまだ存在している。オレたちの世代がまだシーンで生き延びているのはスケートが人生そのものだから。スケートで飯が食える時代は最高だと思う。他のジャンルのアスリートが大金を稼いでいるのに、海やコンクリートで死んだり怪我をしたりしているサーファーやスケーターがなぜ手術費とかで苦労しなければならないんだ? その対価が少しで彼らに支払われるのはありがたいことだ。

V: そうだね。

O: 今ではスポンサーからきちんと給料が支払われて、ツアーで世界中を回ることができる。今はスケートで大金を稼ぐことができる。でもディランは金のためにスケートをしているわけじゃなかった。ヤツはビッグブランドに所属していなかった。エナジードリンクのスポンサーもなかった。ヤツこそコアなスケーターだった。GRAVISがなくなってHUFに行ったのは、あのブランドがリアルだったからだ。adidasやNikeからもオファーがあったのに「スケーターのキース・ハフナゲルが手掛けるHUFに行きたい」と言った。服のスポンサーもなかった。かつてアパレルブランドで大金を稼いでいたのに、好きな洋服を着たいという理由で辞めてしまった。ディランは誰よりも大金を稼ぐことのできる人材だった。でも金には絶対になびかなかったんだ。

V: DKNYのモデルをした後は、いくら金を積まれてもモデル業のオファーを受けなかったんだよね?

O: そう。モデル業はあれが最後。モデルの仕事を受けたのはVogueに出たかったから。それだけ。さらには、どちらかと言えばオレのためにモデルの仕事をしてくれたんだと思う。ヤツはオレがどんなにファッション業界に関わりたかったか知っていたから。オレの夢はずっとファンだったi-D Magazineと関わることだった。それがディランの写真を撮った瞬間、その夢が叶った。それからアーティストとしての活動もスタートしたんだ。アートにもっと力を入れるように言ってくれたのもディランだった。オレが手掛けるグリップテープを毎回使ってくれたのもディランだった。オレのグリップテープを使って雑誌の表紙を飾ってくれた。ディランとオレはずっと一緒だった。何があってもディランのそばにいた。

V: ディランとは誰よりも親しい仲だったんだよね。

O: ディランが死んだときは確かに辛かったけど、今は精神的に楽になっている。これまでに身近な人を何人も亡くしてきた。フィアンセが自殺したこともあった。オレ自身も若い頃に自殺願望があってネガティブなエネルギーで満ちていた。フィアンセが自殺したときに打ちひしがれた彼女の家族を見て自殺は絶対にダメだと思って救われたんだ。何年もセラピーを受けてどうにか乗り越えることができた。オレにとって師のような存在だったマイク・タナスキーも事故で亡くなってしまった。もともと彼にPlan Bのチームマネージャーの職をオファーされていた。Primeを立ち上げることになったのも彼のおかげだった。

V: それは知らなかった。

ディランは近くで見守りながらオレたちの幸せを願っている

O: ディランが病気になった頃、まさかヤツが死んでしまうなんて思っていなかった。病に倒れてもディランは人を助けて何かいいことが起きると思っていたんだ。ポジティブに考えるようにしていたんだ。毎日のようにお見舞いに行ってディランと過ごした。ポジティブなエネルギーが必要だったんだ。そうして、癌が二度も寛解した。癌や白血病ではあり得ない回復を見せたんだ。つまり、癌に打ち勝ったのに、放射線治療で身体が弱っていたために肺がやられてしまったんだ。それが死の直接的な原因。死の間際、ディランは愛する人たちに囲まれていた。病室が愛で満ちていたことをヤツは気づいていたはずだ。もうもたないと言われてから、ニューヨークから愛する仲間が駆けつけるまで2日間もがんばって耐えたんだ。そうして、愛する仲間に見守られながらこの世を去った。

V: 世界中のスケーターにとって最悪のニュースだった。

O: でも、今でもディランは人に影響を与えている。ある日、インスタグラムでハワイからダイレクトメールが届いたんだ。スケーターでもない赤の他人。その子は癌に侵されていると言った。友人にディランについて聞いたらしい。そしてオレが監修したディランに捧げるWhat Youthの号にインスパイアされたと言う。もともとヤケになって薬を飲むのも放射線治療も拒否していたらしい。それがディランの存在を知ってオレに連絡をしてきたんだ。「あなたに影響を受けた。治療に専念してがんばる」ってね。そうしてハワイで実際に会うことにしたんだ。すると、その子は癌に勝って健康な生活を送っていた。ディランによってその子は救われたんだ。

V: 素晴らしいね。

O: 東京でもすでに3回も他人に呼び止められている。渋谷を歩いていると「すみません、あなたとディランのファンなんです」と言ってディランと同じタトゥーを見せられた。「信じられないことが起きた。ディランが一緒にいるのを感じる」とすぐにカリフォルニアの仲間に泣きながら連絡したよ。ディランは近くで見守りながらオレたちの幸せを願っているんだ。「人の評価なんて気にせず、やりたいようにして、自分だけのスタイルを構築して、謙虚に生きる。そうすれば、すべてうまく行く」。ディランはそうみんなに伝えているんだ。

V: 他界しても人に影響を与えているというわけだ。ではStanceについても聞かせて。今回の来日はStance絡みなんだよね?

O: そうだね。Stanceとはブランド立ち上げ時からの付き合い。ファウンダーのライアン・キングマンはハワイの幼馴染なんだ。カリフォルニアに移ったときにヤツの世話をしたこともあった。Acmeでの職を紹介してあげたんだ。そうして、ヤツがStanceを立ち上げたときにPunks and Poetsの一員にならないかと誘われたってわけ。「パンクで詩人だからぴったりだろ?」って。Stanceではいろんな素晴らしいプロジェクトに参加させてもらっている。世界中を旅して20以上のソックスも手掛けている。最高のブランドだ。

V: ソックスのデザインを手掛けるときは毎回テーマを設けているの?

O: いや、基本的にオレのジャーナルがもとになっている。Stanceのクリエイティブディレクターがオレのジャーナルを見て、ソックスのグラフィックに使えそうなものを選んでいる感じ。でも、ハワイをテーマにしたソックスは一からデザインをしている。

V: Stanceだけじゃなく、いろんなブランドと絡んだり創作活動を続けているけどモチベーションやインスピレーションはどこから来ているの?

O: 正直な話、すべてはディラン。おかしな話だけどディランが背中を押してくれているんだ。ディランの死が一番辛かったと言いたいけど、今考えると一番楽だったかもしれない。だって今でも毎日モチベーションをもらっているんだから。アーティストとして活動できているのはディランのおかげなんだ。昔はブランドのために働いていたけど、今ではブランドがオレを支えてくれている。

 

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オブローは5月に行われたGreenroom Festival 2018のタイミングで来日。Stansのブースにて作品の展示やライブペインティングを披露。
 

V: では最後に、今後の予定は?

O: とりあえず旅に出ている。人に影響やインスピレーションを与え、愛が大切なことを広めるために旅に出る。愛を持って支え合うことが大切だ。エゴを捨てなければならない。それがオレとディランのメッセージ。そのためにオレは生きている。

Mark Oblow @markoblow
stance-jp.com

1971年生まれ。ハワイ出身。スポンサードスケーターとして活動した後にフォトグラファーに転身。チームマネージャーやファウンダーとしてPrimeやVitaをはじめ数々のブランドに携わる。現在はStanceに所属しながらアーティストとして活動中。

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