スケート、アート、そして食文化が交差するイベント「RVCA SKATE」が渋谷で同時多発的に展開された。RVCA SHIBUYA GALLERYでアートショーを開催したマーク・オブローに、彼の創作活動と父親としての新たな一面について話を聞いた。
──MARK OBLOW / マーク・オブロー
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Photos_Waguri
Special thanks_RVCA Japan
VHSMAG(以下V): RVCAとの関係はどのように始まったの?
マーク・オブロー(以下M): RVCAとの関係が始まったのは7年ちょっと前かな。RVCAが世界中のさまざまなアーティストを集めたArtist Network Programの一員としてオレを迎え入れてくれたんだ。つまりアーティストのためのスポンサーのようなもので、他のブランドがスケートチームやサーフチームの一員としてライダーをサポートする形態とは違った新しい試みだった。実際にアーティストをサポートするブランドはなかったからね。そうしてRVCAの一員になったんだけど、今年10月にブランドが売却されてしまってね。契約も終了してArtist Network Programの一員ではなくなったけど、日本のシーンとの繋がりやこの国への愛、そしてこれまでRVCAと一緒に来日してイベントを行ったりしていたから、RVCA Japanとは素晴らしい関係を築いてきた。
V: そして今回、RVCA Japanのイベントで来日。これはどのように実現したの?
M: 髙橋賢人から連絡があって、夏にRVCA Japanとイベントをやらないかと誘われたんだ。考えるまでもなかったよ。そうして日本に来て、仲間と再会して、渋谷のRVCAのギャラリーでアートショーを開催した感じ。
V: アートショーではいろんな表現を展示していたよね。写真、プリント、グリップテープ、デッキ、ワッペン...。点数もハンパじゃなかった。
M: オレのアートはつねに成長していて表現を増やし続けているんだ。子どもの頃にサーフボードやグリップテープに絵を描いたりすることから始まり、写真を撮るようになり、ステンシルワークやブロックプリントをするようになった。そして今も進化を続けてる。最後に加わった表現がパンデミック中に始めたワッペンの縫い付けとチェーンステッチ。それもオレの表現のひとつになったんだ。今までのショーでは展示する作品を計画的にしぼっていた。でも今回はオレの表現すべてを見せることにしたんだ。
V: オブローの表現の歴史のようなものだね。では新しい作品を創作する際の最初のインスピレーションは?
M: インスピレーションの源は、たいてい旅をして、世界に出て、いろいろなものを見ること。目にしたゴミやアート、人、スタイルとか、あらゆるものに触発されてそれが頭の中に入ってくる。そこが創作の出発点。オレはあらかじめ計画を立ててものを作るタイプではない。作っているうちに作品が浮かんでくるんだ。
V: 今回のアートショーで表現したかった感情は?
M: 確かに表現したい感情はあるね。でもそれは会場にいるときに感じるもの、そのときに食べているもの、コーヒーとか一緒にいる人たちから感じるもの。それにオレにとっては感情と同じく色彩の表現も重要なんだ。なかにはモノクロの写真もあるけど、展示した作品の多くには鮮やかな色がある。
V: まさにColor Skateboardsだね。Colorの時代にアート制作を始めたわけだから一周したような感覚だね。今回展示した作品で特に印象に残っているものは?
M: オレにとって印象深いのは、自分の作品というよりも、ショーに来てくれる人たちなんだ。日本の最高のアーティストたちが足を運んでくれたことはオレにとって最高の出来事のひとつだし、長い間会っていなかった仲間、何十年も前から知っている仲間が来てくれたことも大きな出来事だった。それが印象的だったかな。そして来場者がどのように作品を観て、ギャラリーの中をどのように移動していくか。そういう姿を見れたこともエキサイティングな思い出のひとつだね。
V: '80年代から最近までの写真がたくさん展示されていた。スケートシーンにおけるオブローの長い歴史を物語っていると思う。
M: 自宅に大量の作品があって、ガレージには写真などのファイルが積み重なっている。オレはただファイルを調べて、自分にとっていい感情やいい思い出となるもの、あるいは人が見たら面白いと思うイメージを引っ張り出してきただけなんだ。クリスチャン・ホソイやマーク・ゴンザレスの'80年代の写真もあるし、ディラン・リーダー、アート・サーリ、オマー・サラザー、ステファン・ジャノスキとか比較的最近のものもある。オレのキャリアで影響を受け、自分の人生の一部となった人たちがミックスされているんだ。古い時代を知っている日本の世代が自分たちに影響を与えたスケーターたちの写真を観たり、同時に新しい世代が影響を受けたスケーターの姿も観ることができる。いろんな世代の人にいい感情を抱かせたいんだ。そういった感情をつくりたい。作品を観ていい気分になってもらいたいんだよ。
V: ブルーのデッキを飾ってたけど、その真ん中にサッドプラントの写真を飾っていたよね。
M: あれはクリスチャン・ホソイ。サッドプラントのスタイルが完璧だからあの写真が気に入っているんだ。あのランプでセッションをして、グラインドをしたり、リップトリックをしたりしていた。そこにクリスチャンがやってきて、腰の高さのエアーをしたり、脚を完璧にストレッチしたサッドプラントを決めるんだ。しかも3.5フィートほどの小さなランプで。クリスチャンはいつでもどこでもなんでもできるタイプのスケーターで、しかもそのすべてがスタイリッシュだった。ディラン・リーダーも同じ類で、ヤツのやることはすべて優雅で美しかった。オレにとってのスケートは、トリックよりもスタイルが重要だった。ゴンズも同じで、何をやってもうまく見える。それがスケートの好きなところなんだ。
V: それはスケートだけでなく、Color、Prime、Vita、Gravisなど、オブローが関わってきたすべてのブランドに当てはまるね。これらのブランドにはすべて独特な雰囲気とスタイルがあった。
M: 重要なのは、独特なスタイルを見せたい、視覚的に素晴らしいものを作りたいということ。オレがこれまでに築いてきたチームやビデオ、ブランドやグラフィックもそう。ポジティブなもの、つまり仲間意識、インクルーシブで偏見のないものを求めている。そしてまた、みんなにいい気持ちになってもらいたいんだ。デモやアートショー、スケートセッションを観に来てくれた人たちには「マジで最高だった」と思って帰ってもらいたいだろ? それが大切。そういう感覚がいつまでも心に残るんだから。
V: ちなみに最近、娘が生まれて父親になったんだよね?
M: 若い頃はジョニー・コップに大きな影響を受けていた。彼はいつも「オレはピーターパンだ。年を取らない 」みたいなことを言っていてね。それがいつもオレの脳裏にあったんだ。スケーターであること、反抗的であること、普通の社会に適合しないこと。スケートボードに乗っている限りオレが老いることはない。若い頃からスケートシーンの一員になれて、ヒーローたちと仲間になれて、自分のブランドを持つことができて…。それがオレの若さを保っているんだ。今は娘ができたことで人生観が大きく変わった。またすべてをイチから始めた感覚というか。娘とスケートやサーフィンをしたり、泳いだりシュノーケリングをしながら世界中を旅したい。娘を見ていると、彼女の未来はとても巨大なんだって実感するんだ。娘のためにいろいろやりたいから、もっと若くいなければならない。娘にはやりたいことは何でもできるんだということを教えたいんだ。
V: では最後に、オブロー自身の活動の予定や展望は?
M: スケートシーンもアートシーンも変わりつつある。だからオレにとっては、またイチから始めるようなものなんだ。日本はGravisを復活させて継続させようとしている。彼らはオレが築き上げた世界観を大切にしてくれている。ブランドを新たな方向に持っていくのではなく、元の世界観を保ちたいと考えている。だからオレも協力できればと思っている。そしてRVCA Japanのクルーの一員になって日本のシーンをサポートできればいいね。ハワイで育ったオレは日本から大きな影響を受けているから。日本は大好きな場所のひとつだし、最もインスピレーションを感じる場所なんだ。
Mark Oblow
@markoblow
1971年ハワイ生まれ。1980年代からスポンサードスケーターとして活動し、Color、Prime、Vita、Gravisなど、スケートの歴史に名を残す数々のブランドを手掛ける。現在はアーティストとして多彩な表現手法で創作活動を続けている。