青春時代にお世話になったスケートコミュニティに恩返しをするべく、栃木にショップと宿泊施設が併設されたF-CNE SB PARKを開業した永田幹広。原宿STORMYから始まったスケートライフの最終形態。
──MOTOHIRO NAGATA / 永田幹広
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Photos_Waguri
VHSMAG(以下V): まずスケーターとしてのバックグラウンドからお願いします。
永田幹広(以下N): 東京生まれ、東京育ち。1976年生まれなので30年くらい前になりますけど、中学でスケートを始めてSTORMYに在籍していました。大先輩にYoppiくんがいたので金魚のフンのようにホコ天にジャンランを運んで隅っこで滑っていました。'80年代終わりくらいだったと思います。これがサポートなのかどうかはあれですけど、STORMYに行けば何かお店のものをもらって帰るみたいな、そんな生活をしていました。その後は18歳で就職して完全にスケートから離れました。でも40歳で息子が小2、3の頃にスケートをやりたいと言い出して。それをきっかけに宇都宮のムラサキに行きました。そこからまたスケート熱が出てきて(笑)。それで40歳で復帰。43歳くらいでムラサキスポーツIPV宇都宮店のライダーになりました。なんちゃってライダーですけどね(笑)。スクールとかそういう手伝いをしながら。それで2年前にF-cne SB Parkを開業しました。
V: パーク兼ショップを始めたきっかけは?
N: きっかけは趣味ですね(笑)。中2で学校に行かなくなって、当時のSTORMYの社長が「オマエ、学校行かないなら店に来い」って呼んでくれたおかげでグレなかったんです。それでずっとSTORMYに入り浸ってアルバイトみたいなことをしていました。本業がひと段落してスケートコミュニティに恩返しできるタイミングがきたので、現役の頃にあれば良かったなって思う場所を作りたいと。今のスケーターの出会いの場になればって感じです。なので当時STORMYにすごくお世話になったので、業界への恩返しも含めて開業したのがきっかけです。
V: 当時はどんな感じでスケートしていましたか?
N: 当時は今と違ってストリートが当たり前で、それこそ原宿の街を滑っていようが何しようがそこまで文句は言われませんでした。朝から夜までずっと滑って週末はお店に入り浸って。それこそYoppiくんとか川村諭史くんもいたので、みんなで上野や原宿、新宿のじゃぶじゃぶとかに行っていました。米坂淳之介くんとかもじゃぶじゃぶにいて。スケート以外することがなかったので大切な時間でしたね。
V: F-cne SB Parkの「F-cne」とは永田さんの会社名のF-connectを略したものですよね? F-connectの意味を教えてください。
N: 「F」にはいろんな意味があります。Family(家族)、Friend(仲間)、Future(未来)とか。あとどうしてもスケートには上下関係ってあるじゃないですか。当時から致し方ないのかなという部分もあるんですけど、やっぱりFlat(フラット)でいたい、みたいなところもあるので。あとは上手い下手も関係なく、その人たちを繋げるという意味でConnect(繋げる)。
V: パークのコンセプトや魅力はどこですか?
N: ここは栃木なので、東京とか大阪とか主要都市に比べると環境が良くないんです。このパークのスペースは限られていますけど、バンクを新横と同じ高さにしていたり、レールもNike SB dojoと同じ高さにしてあったり。なのでここで練習をすればどこでも滑れるような感じの作りにしています。若いスケーターたちにはここに居座って欲しいわけじゃないんです。ここからどんどんいろんな場所に行って「ああ悔しかったな」と思ってまた帰ってきて、ここで練習してみたいな。そういうことができる場がいいなと思っています。田舎のdojoみたいな感じをイメージしています。でもコンクリは本格的にMBMに作ってもらって、ランプも浦(友和)さんに設計してもらって。仕様としては本格的にしているものの、ラフに練習できるような感じにしています。
V: あとビックリしたんですけど、宿泊施設もありますよね。さらに冷暖房完備で親御さんがゆっくり子どもの滑りを見られる待機スペースも。初めからそういう構想だったんですか?
N: そう、初めからそうですね。一番の体験談として僕が滑っているムラサキスポーツのパークが屋外で、スクールをやっていると親御さんたちはやっぱりお子さんを見ていなきゃいけないんですよね。暑い中ずっと2時間座りっぱなしで。やっぱりちっちゃい子たちはお父さんやお母さんが一緒じゃないとスケートできないじゃないですか。だからまず親御さんが子どもを預けられる場所とか、ここなら安心だと思えるような場所を作りたいと思ったんです。親がスケートしなくてもいられる場所。あとは近くにアウトレットとかいろいろあるので、ちょこっと子どもを預けて遊びに行くこともできるので。だからそれは構想としてはありました。あとはスケートだけでご飯を食べてはいけないじゃないですか。なのでうちのライダーはここに来れば泊まることもできるしご飯も食べられる。全国から来る子たちがここに合宿的に泊まることもあります。合宿2階部屋料も取ったり取らなかったり。気分次第で(笑)。ご飯も気分次第で出るみたいな感じで、そういう集える場所が作りたいと思ったので。やっぱり滑っているだけではなかなかコミュニケーションが取りづらいじゃないですか。でも一緒に泊まってご飯食べたりしたら、どこの人でも繋がれると思うので。全国からスケーターがここに来て、それこそうちのライダーたちが全国行ったとき「あの人来たよね」みたいな感じで繋がりが持てるような場所。そういうコンセプトで家のようにしました。
V: 親御さんが安心して子どもを預けられるようになるまでの信頼関係はどのように築いていきましたか?
N: まずはスクールに来てもらうことからですね。それで昼にみんなでご飯を食べたりしながら会話をしています。それを繰り返して、長い時間をかけてコミュニケーションを取るようにはしています。
V: ではパークで行っているスクールの活動について教えてください。
N: このエリアの特性上、そんなに上手い子がいるわけじゃなくて、やっぱり始めたいという子が多いんです。なのでデッキのレンタルもしています。基本的にここではオーリーまでしか教えません。それ以上は勝手にやってもらった方が絶対に上手くなるので、9割がたがオーリーでいなくなります。なのでオーリーまでを教えられるように、ライダーがマンツーマンで教えたりとか、また4、5人集まったらライダーが何人か集まって教えたりとか。あとそれとは別にライダー兼コーチとして浦さんと契約をしています。浦さんに大阪から毎月3日間来てもらってライダー用のスクールもやっています。さらに1年間育成をするというプロジェクトをやっていて、今だと愛知県や静岡県から浦さんのプライベートレッスンを受けに来るスケーターもいます。浦さんもここに寝泊まりするので、もう家族みたいな感じですね。
V: 宿泊スペースはどんな感じですか?
N: 2階に3部屋あります。以前も北関東でイベントがあったときに淳之介くんとか森中一誠くん、小島優斗くんとかが泊まりに来て、ここからいろんなイベントなどに行くみたいなことをやったこともありました。
V: ではチームについて教えてください。彼らとどんな活動を行なっていますか?
N: 今はリョウナ、セイナ、シュンスケ、そして浦さんの4人です。家族みたいな感じですね。寮母みたいな店長もいます(笑)。ライダーにはここに来て滑るだけでお小遣い程度の日当を出しているんです。活動に関しては、さっきも言ったようにライダーにはずっとここに居座ってほしくないんです。(音などで近所の関係もあるんですけど…)ここは第2と第4の土日を休みにしてライダーを全国に連れていって慣れさせるみたいなことをしています。どこでも仲間がいるような感じにしたいと思っているので。なのでここは溜まり場ではなく中継地点。あとは浦さん以外のスケーターも呼んだりもしながら育成している感じですね。
V: F-cne SB Parkをスタートして2年ですが、パーク兼ショップをオープンして良かったことは?
N: みんな楽しくやっているのが一番いいですよね。地元の子はまだまだ少ないんですけどね。それこそ宇都宮、東京や神奈川からもスケーターが来るし、そういう子たちがここに集まってワイワイガヤガヤやって競い合いながら滑っているというのは…昔はあまりなかったじゃないですか。昔はローカルの中で上下関係があってって感じで…。今は繋がりを大切にしているのでいいですよね。
V: ちなみに営業時間はどうなっていますか?
N: 土日が10:00〜17:00で、12:00〜13:00は休憩で滑らないようにしています。平日は13:00〜17:00です。本当はもっと夜遅くまでできるはずなんですけど、近隣と揉めてもしょうがないので。第2第4土日が休みだったり異色な営業時間ですけど、近隣と上手くやっていかないといけないので。
V: ショップでは主にDCを取り扱っていますよね。
N: DC狂ですね。AirwalkとDCしか履いたことがないくらいなので(笑)。DCのデザイナーとも話したりしますし。それぐらいDCが好きで、展示会に行っても知りすぎているから誰も説明してくれません。それこそパークに貼っているバナーも本国の許諾を得て自分で作っているんです。逆にうちのバナーをDCに貸してって言われたり(笑)。他の商品に関してはライダー好みの品揃えにしています。デッキは常時200本はありますね。
V: スケーターのために自費でここまでの施設を作る理由を聞かせてもらえますか?
N: 何なんでしょうね。たぶん取り憑かれているんじゃないですか(笑)。元々ソフトバンクとかLINEで新しい事業を作ったりしていたので、起業という意味で新しいことを始めるのが好きなんです。それでたまたま今の本業を売却して、何となくひと段落ついて。そのときに今までを振り返ったんです。中学2年と3年はまったく学校に行っていない。普通だったら変な方向に行きますよね。そこで集中できたのがスケートでした。家を出て高校に行きながら夜はバイト。学校は出席だけ取っていなくなるみたいな。昼間はスケート。そんなのをずっとやっていました。スケート中心だったので、それがなかったら道を踏み外して鑑別所にでもいたんじゃないですかね(笑)。当時のSTORMYの社長が「とにかく来い」と言ってくれて、いろんな経験をさせてくれたのも良かったなと思って。それがなかったら今がないような気がしているので。だから余裕のあるうちに、返せるときに返したいなと。スケートで食べていきたいというライダーもいるので、そういう子たちのために「どうやったらスケートしながら食べていけるんだろう」と、今までの起業や経営の経験を生かしながら考えています。今はまだ試行錯誤。これが本当にいいのかどうかわからないので、試行錯誤しながらいい道筋ができればと思っています。
V: インドアパークを作る予定もあると聞きました。
N: 場所探しを始めています。世界大会を呼び込めるようなパークを作りたいですね。観客が入るパークはなかなかないので。なので関東でスケートができて、観戦もできるメッカを作りたいです。あとはリーグとかの下部組織を作ったり。いいパークがあっていい人たちが集まれば成り立つはずなんです。それが方程式のような気がして。ただそれを先陣を切ってやれる人がそうそういなくて。行政もなかなか動かないので、だったら余裕のあるうちにそういう下地を作りたいと思っています。なのでこの辺で2ヵ所くらい土地を見ています。それこそ山の中で騒げるしキャンプもできる。そこにカプセルホテルやドッグランを作ったりとか。いろいろ物価は高騰していますけど、そういう遊び場にはみんな対価を払うので、その中にスケートも上手く混じり合って収益ができればいいですね。スケートしながらお店もやって、飯が食えてみたいな。「あそこのお店にサポートされたい」とか「あそこのお店に行きたい」とか、全国から人が来るようになればどんどん広がっていくので。そういうパークが最終形態かなと思っています。
V: では今後の予定を教えてください。
N: まずはライダーの育成。どこまで人が成長できるのかを確認したいというのが直近ですね。来年とか再来年は新しい施設作り。そうなるとこのパークは初心者や中級者用のプライベートパーク的な感じ、新しいインドアパークを上級者や世界大会の練習用にして、使い分けができればいいと思っています。あとはショップのオンラインストアにも力を入れていきたいです。ちなみにうちは「店長気まぐれ」というものがあるんですよ。オンラインでオーダーすると、店長が気分で勝手に他の商品をサービスで入れるんですよ。たとえばLサイズの服をオーダーしたら、同じサイズのパーカーを入れたりとか。靴をオーダーしたら帽子が入っているとか。そういうくだらない遊びをやっていますね(笑)。
Motohiro Nagata
@fcnesbpark_owner | @fcnesbpark
東京出身。1976年生まれ。栃木最大級のコンクリートパークF-cne SB Parkを2020年にスタート。講師を迎えたプライベートレッスンやスクールなどを通してスケーターの育成にも尽力。ショップと宿泊施設が併設された室内にはミニランプも完備。オンラインショップも運営中。
https://sbpark.f-connect-corp.com/
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