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SFでの活動経緯やデッキカンパニーIFOについてのヴィジョンを語る
──SOICHIRO NAKAJIMA

2016.09.21

soichiro-nakajima

プロスケーターとしての活動を経て現在はスケートカンパニーの運営を行う中島壮一朗。
SFでの活動経緯やデッキカンパニーIFOについてのヴィジョンを聞く。
[JAPANESE / ENGLISH]

Interview by VHSMAG, Photo courtesy of IFO

VHSMAG(以下V): 高さのあるテクニカルなトリックが中島壮一朗の特徴的なスタイルだと思いますが、なにからの影響を受けましたか?

中島壮一朗(以下S): カリーム・キャンベルですね。カリームのことはスケートをはじめた当初から好きでした。竹の塚にムラサキスポーツの室内パークMapsがあったころ、そこでのコンテスの際にカリームが来日したんですが、その時カリームが自分にデッキをくれてスポンサーを紹介してくれました。それからは崇拝するようにビデオや映像を観入ってました。あの頃、技の高いスケーターもほとんどいなくて、カリームの技の切れと高さはずば抜けてましたね。だから、技ができても高さがないのはヤダなって思ってました。板のキャッチも癖になってましたね。

V: アメリカに行きはじめた時期ときっかけを教えてください。

S: アメリカに初めて行ったのは高校を卒業してすぐの19歳の時でしたね。当時自分は「スケートするならアメリカに行かないと」とずっと思っていたので、雑誌のインタビューとかに毎回「アメリカでスケートして生活したい」って言ってたんです。それを見ていたプロロングボーダーの枡田琢治くんが「アメリカで本当にスケボーしたい? アメリカでスポンサーつけよう」とイベントで会った時に言われ、即答しました。そして琢治くんは自分に飛行機代からアパート、生活費からアメリカの有名人たちの紹介まで生活をサポートしてくれました。西さんが2週間ほどそのアパートに泊まりに来たのも琢治くんの紹介だったな。

V: 渡米し本国のStereoチームに加入した経緯は?

S: Deluxeのメンバーたちと親交のあった琢治くんがクリス・パストラスに自分のことを紹介してくれ、初めて渡米した時にStereoのスポンサーが始まった形です。同時にDeluxeで取り扱うSpitfireやVentureなんかもその時からサポートが始まりました。

V: アメリカのスケートカンパニーに身を置いたことで何か変化は感じましたか?

S: それまでは日本の代理店を通してブランドのサポートをしてもらっていたので、アメリカ本国から直接サポートが決まったときはうれしかったし、スケートのやりがいが格段に向上しましたね。自分の名前がブランドの広告とかビデオにも入っているので、ブランドにもすごく誇りが持てました。広告に自分が使われたときもすごくうれしかったです。スポンサーと言っても直接チームのメンバーに入って活動するのと、代理店を通してサポートを受けるのではまったくの別物です。アメリカでは、物をもらいに行くときは毎回直接Deluxeの会社まで行ってたんですが、働いてるのもほぼスケーターで、みんなそれぞれの役割があってスケーターがスケーターのために動いてる会社だなと思いました。スケーターだけで会社ができるんだなと思ったりもしてました。

V: 411VMのWheels of Fortuneに出たきっかけ、そして日本人で初めてオープニングに登場した経緯について聞かせてください。

S: アメリカに3回目に行ったときくらいに、ケン・ゴトウの家にステイすることになってたんですけど、行った初日の夜に酔っ払った白人が来て、「オマエのこと知ってるから、明日撮影行こう。3トリック撮れたら411VMに出す」って言われて。それが当時411VMの専属カメラマンだったユアン・ボウマンだったんです。半信半疑のまま次の日に撮影に行ったんですよ。それで1日で3トリック残せて。そしたら「12トリックと4ライン撮れたらWheels of Fortuneで行くぞ。帰国までミッションのスタートだ」ってなって、残りの2ヵ月間死にものぐるいで撮影しました。毎日毎日撮影で、この時期にアメリカのプロスケーターたちやフォトグラファーとも仲良くなりました。アメリカって、実際に口で言っていても実現しないこととかあるので、自分は411VMのことを帰国してからも誰にも話しませんでした。撮影後数ヵ月経って、日本にいるときに自分が出ている411VM Vol. 41が発売されて、完成された作品を初めて観ました。オープニングトリックにも選ばれて「自分が観ていた画面の中に自分も加わることができた」と、凄い自信になったのを覚えています。その後にもVol. 44でオープニングトリックに選ばれたのですが、毎回何が出るとか使われるとかはまったく知らされないですね。

V: Wheels of Fortuneの撮影秘話を教えてください。

S: とにかく3ヵ月近くほぼ毎日撮影を繰り返してたので、デッキの消耗はハンパなかったです。毎日1本新品に交換していたので、撮影前のセットアップが非常に苦になってました。それとあのパートの構成なんですが、実は前半部分は撮影して撮れた順でつながっているので「あの日これやった後これしたな」とかたまに思い出しますね。


411 Issue 41のWheels of Fortuneパート。

V: 当時の日本とアメリカのスケートシーン、また撮影のプロセスなどに違いを感じましたか?

S: 確実に違っていたのは、アメリカはスケーターでもフィルマーでもフォトグラファーでも、プロはそれだけで生活が成り立っていたので、毎日効率よく撮影できましたね。日本だと、仕事の傍ら趣味でやってるみたいなところがあったので、フィルマー、フォトグラファー、自分の予定を合わせるのが難しかったです。それとアメリカは完全にスケート社会が確立されていました。また、当時の写真撮影はフィルムで行っていたので、シークエンスを撮るときは10トライルールみたいのがありましたね。3トライでメイクできるように頑張って、10トライ以内だったらセーフで、それ以上だとまぐれみたいな。なので、当時メディアの前線で活躍してたプロスケーターたちのメイク率はハンパないですよ。

V: アメリカでの活動の中で一番印象深い出来事を教えてください。

S: 411VMのことももちろんなんですが、それに出た後、ユアンにも手伝ってもらってLakaiのケリー・バードにメッセージとスポンサーミーテープを送ったんです。そのときの帰国までには連絡も来ず、日本に帰ってきて自分も諦めつつあったとき、突然、朝早く携帯電話に着信があったんです。出るとそれはケリー・バードで「Lakaiでサポートする」という電話でした。すぐに契約書もアメリカから送られてきて、あこがれていたドリームチームと自分が契約するのかと興奮したのと、ますますアメリカが近くなったように思いました。

V: アメリカでの経験で学んだことは?

S: 「自分は自分」と言うことですかね。アメリカ人は自分を持っていて、あまり人に流されないんです。個性が凄く尊重されていますね。

V: Zizowさんと並び、テクニカルなストリートスケートという湘南のイメージを築いた走りだと思いますが、地元湘南のスケートシーンについてどう思いますか?

S: 自分がスケートを始めた当時から地元には有名なプロスケーターが多数いたので、自然と自分もそうなるんだと意識してましたね。ムラサキスポーツ茅ヶ崎店の裏にミニミニランプがあったんですが、ZizowくんもChakaも健太郎くんもみんなここを通ってきたんですよ。あの何もない時代のここの存在は相当大きかったですね。すぐ近所にこれがあったので、毎日そこに通ってましたね。はじめて1年間はほぼランプだけでした。そんな中、中学3年の時くらいに鵠沼のセガ前ができて、それからはほぼ毎日鵠沼で滑ってましたね。鵠沼はほんとに最高ですね。大理石でできていて、スケートにもってこいの縁石にアップダウンもあって、世界的に見ても最高なスポットだと思います。鵠沼のスケートシーンがここまで盛り上がったのも、やっぱり環境が凄く良かったんだと思います。ポンくんが何気なく撮り続けていた映像をビデオで出すことになって、それがリリースされたら全国から思った以上の反響だったっていうのがChatty Chattyの始まりで、みんな自然体で活動出来てきたのは、やっぱり最高の環境でスケートができていたからだと思う。


『Chatty Chatty 3』から中島壮一朗パート。

V: 湘南でスケートして育った経験は、アメリカで活動するにあたって役立ったと思いますか?

S: スケートを始めた時から、周りにプロスケーターとかスポンサーが付いてるスケーターとかが多かったから、スケートを始めて間もなくからプロスケーターになろうって思ってましたね。近所にミニランプもあったし、自転車で行けば鵠沼もあってスポットにもほんと恵まれてました。昔からスケーターもそれなりにいたので、撮影しあったりいい刺激になってましたと思います。

V: 当時と比べて、日本のスケートシーンはどのように成長したと思いますか?

S: 当時のスケーターは中高生が多くて、どちらかというと親から離れるタイプ…いわゆる不良型が多かったのかな。今はスケートパークも増えて親と一緒に来るキッズスケーターをよく見るようになった。大人からの認知も増えて健全なイメージも出てきた一方、ストリートのスポットは減ってきて、日常のスケートのスポットが気がつけばパークばかりになっているような。

V: アメリカでの活動経験を経て、国内でIFOを立ち上げようと思ったきっかけは?

S: 20代半ばの頃、自分はアメリカだけじゃなく、まだスケートスポットとして知られる前の中国・香港にもよく撮影をしに行ってました。毎回アンソニー・クララヴァルがコーディネートしてくれてたんですけど、現地での滞在中にスケートデッキの工場の人をはじめ、いろいろな知り合いができました。向こうでは20代で企業する人もざらにいて、その頃、ビッグカンパニーのElementと契約していたのですが、以前から決めていた30歳を境に契約を打ち切り、自身でブランドを立ち上げました。

V: IFOのブランドネームの意味について聞かせてください。

S: IFOはUFOの対義語で「Identified Flying Object」になります。直訳すると「確認飛行物体」。なかなか認知のされていないスケートボード(飛行物体)をより多くの人たちに知らせたい(確認)というコンセプトのもと、IFOは始まりました。

V: 2014年にIFOの初フルビデオ『Time Capsule』がリリースされました。オンラインでのショートエディットが主流となった今の時代におけるフルレングスビデオの役割についてどう思いますか?

S: フルレングスは体力も時間も予算も費やすもので、短い作品に比べ制作が大変です。古い考えなのかもしれないですけど、今の時代は情報のスピードがものすごく速いので、早い情報を必要としていればオンラインは魅力的ですが、情報量が多いのでどんどん埋もれていってしまうので、フルレングスのような大作はちゃんとDVDで発売して形に残すっていうのは、今の時代でも大事なことだと思います。もちろんオンラインでのショートエディットも平行して必要だと思っています。スケートブランドなら簡単に映像などもできる時代だからこそ、しっかり作り込んで時間が経ってもまた観返されるような作品を提供していくことが必要だと思います。なので『Time Capsule』は長い時間をかけ、ブランド設立以来、出せるタイミングを見計らっていました。この作品のためにDJ Kenseiでオリジナル音源を制作できたことも非常に誇らしいです。

V: 現在のIFOのチーム編成について聞かせてください。

S: 日本全国のストリートからコンテストまで実力派のライダーが揃っています。プロには山口隆志、キャプテンこと廣木一浩と自分がいます。アマは佐川海斗、高村洋喜、立石 和、傳田 郁、内藤寛人、池田怜史、佐藤駿平。それとフロウで兼本理玖がいます。

V: IFOのチームに迎え入れたいスケーターの条件など聞かせて下さい。

S: スケートが上手いことはもちろんですけど、自分のスタイルを持ってるスケーターですね。あと当たり前のことだけど、人間的に駄目な人はダメ。

V: 最近のIFOとしての活動内容を教えてください。

S: 全国のイベントでのデモ・スクール活動は始まった当初から頻繁に行っています。近々ですと、9月25日(日)に仙台でIFOが参加するイベント「2016 Sendai Games」があります。去年までは1回の撮影ツアーの期間が14日間とか長いものが多かったのですが、今年は1~2泊の短い撮影ツアーを多く行っています。これから出す予定の映像企画がいくつかあるので、それらの作品でその時の映像をお披露目する予定です。

V: ずばり、IFOの魅力とは?

S: 日本全国にストリートからトランジションまで対応する実力派スケーターたちで構成されたチーム。こだわりの技術で作り上げられたプロ仕様のデッキから本格仕様のコンプリートデッキまで、コアなスケーターからビギナーまでサポートする幅広い商品展開。新進気鋭のアーティストたとがデザインをするアイテムは海外からも注目を集めています。

V: 日本国内におけるドメスのスケートカンパニーの重要性について聞かせてください。

S: まず、どこの国にもドメスカンパニーは存在するんですが、アメリカ以外のヨーロッパなどでは自国のカンパニーのデッキを多くのスケーターが使っているみたいですね。アメリカでも地域性とかがあって、やっぱり地元のカンパニーのデッキに乗っている人は多いですね。どこのスケートカンパニーもスケートシーンを盛り上げようと、いろいろな努力をしています。選挙じゃないですけど、ちゃんとしたカンパニーを応援すればシーンに恩返しができると言うことです。もちろん海外のブランドにはスター選手もいてかっこいいですが、できれば日本のみんなには国内のドメスカンパニーのデッキに乗ってもらいたいですね。経済的に考えても、海外ブランドに乗ることは、日本で生まれたお金の一部を海外に流出させることになるんです。これが国内のブランドだと、日本のお金が国内にとどまるので、同じ物量だとしても、今の状態よりも国内のスケートシーンを盛り上げることができるんです。日本のプロスケーターが健全に活動できるよう、みんなで国内ブランドのデッキに乗って応援しよう!

V: スケートカンパニーを運営することのメリットとデメリットを教えてください。

S: スケートカンパニーをここ日本で行うのは、マーケットがアメリカと比べて小さいので容易なことではないですね。スケートボード自体の環境は凄く良くなってきたと思うのですが、まだ日本では海外のブランドを乗る人たちが多いこともあって、ドメスブランドを健全に展開し続けるのは大変です。そんなことは始める前から分かっていたことですが、そもそも自分がブランドを始めたのは、プロスケーターとして自分が活動を続けてきた時に葛藤があったからです。やはり海外のブランドはいいライダーたちも揃っていてかっこいいと思うんですが、ほとんどの海外ブランドはただ輸入されているだけで、国内のプロスケーターたちは物品支給くらいで済まされているのが現状です。海外ブランドは本国にすでに凄腕のライダーが存在して世界に発信されているので、日本でプロデッキを出せるスケーターを育て上げるところまで考えてくれているカンパニーは凄く少ないと思います。もちろん自分が今まで契約していたElementなどはプロデッキもリリースしてくれたり、国内での活動も頻繁に行ってたので、全部の海外ブランドがそうだと言うことではないのですが。国内のスケートシーンを盛り上げて行くには国内のプロスケーターが不可欠なんです。そんなプロスケーターたちが海外のブランドの駒のように扱われるのにちょっと納得がいかないんですよね。そんないろいろな不満を解消するために、このIFO「確認飛行物体」を始めたんです。

V: スケートカンパニー運営とチームのマネージメントを通して得たこと、学んだことは?

S: スケーターは多種多様で扱いにくく、普通の人間ではないんだと再確認しました。プロップスの高いスケーターは特に個性的で独創的なので、最初の頃はチームとしてまとめるのも大変でした。ただ、自分もずっとプロスケーターとして活動してきているので、いろんな気持ちも分かるんです。なので、チームのみんなが活動しやすいようにイベントや撮影を積極的に企画しています。今は若いメンバーも増えて、お父さん役みたいにもなってます。

V: スケートがオリンピックの正式種目になったことで、今後はさらにスケートに注目が集まると思います。スケートがオリンピック種目になったことについてどう思いますか?

S: 自分は賛成です。スケートがオリンピックになることによって良いことも悪いことも出てくるとは思いますが、オリンピックに選ばれたことによって、もっと多くの人たちにスケートの魅力が分かってもらえたら嬉しいです。国内のプロスケーターたちの環境も今までより良くなっていくと思うので、それも嬉しいですね。

V: 最後に、IFOと自身の今後の活動予定について聞かせてください。

S: 4年ほど前に半月板の手術を2回したのですが、膝の状態は悪いままなので最近は全然滑れてないです。ここ数年自分のスケートの活動はほとんどできていないないので、IFOから出す自分のプロデッキのリリースを今後も続けるか考えています。最近のツアーなどでは自分がカメラを回したりもしているので、しばらくはカメラマンとしてツアーにも同行はしていきます。今まではサポートされる側で活動してきたのですが、今後はIFO、9Five含めライダーのケアをする立場として活動をしていきます。

 

soichironakajima中島壮一朗 ifoskateboard.com Instagram:@ifo_skateboard

神奈川県茅ヶ崎市出身。強靭なポップとフェイキーを軸にしたトリックを武器に、Stereoから直でサポートされる経歴を持つ。現在はドメスティックブランドIFOの運営やサンディエゴ発のアイウェアブランド9Fiveの国内での展開を行っている。

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神奈川県茅ヶ崎市出身。強靭なポップとフェイキーを軸にしたトリックを武器に、Stereoから直でサポートされる経歴を持つ。現在はドメスティックブランドIFOの運営やサンディエゴ発のアイウェアブランド9Fiveの国内での展開を行っている。
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