「夢は世界的レベルのスケーターとして活躍すること。あわよくばX Gamesに出場し、メダルをこの手に…」。人知れずそのような抱負を抱いていたのは、まぎれもなくかつての自分であります。スケートボードを始めてまだ日の浅い中坊が思い描く将来像といえば、せいぜいこんなものでしょう。
僕が中坊の頃といえば20年以上前になりますが、それでもスケーターは各地でスケートをしてはそれを映像に残すという動きを行っていました。当然ながら同い年ぐらいの中高生スケーターも一定数存在していて、ライバル心を抱きながらスケートに打ち込む日々でした。そんな中で上がっていき、世界的活躍を目指すためにはコンテストの存在が必要不可欠です。当時の僕が不満に思っていたのは、学生大会みたいなものが存在しなかったこと。中体連、インターハイなどでは当時のスケートボードよりもっと競技人口が少ないマイナーなスポーツですら公式の競技として存在していたのに、「なぜスケボーには表舞台がないのか?」ということでした。
いま思うとそれも無理のない話。当時のスケートボードといえばブームもありましたが、まだまだ若者の遊びといった立ち位置。AJSAなどの協会はすでに存在し、大きなコンテストもあったものの、スケーターといえばちょっとしたはみ出し者の集りに過ぎず、学校が推進するような健全な部活動、スポーツとはまた毛並みの違うものでありました。当然ながら学校教育の一環としてあった中体連やインターハイにスケートボードが競技として食い込むこともなく、それに向けての話し合いを行う協会や連盟といった組織すら聞いたこともなければ、「発起人となってそれに向けた活動をしてみよう」という頭すらありませんでした。
現在も中体連やインターハイといった学生のスポーツ大会にスケートボードが取り入れられるといった話は聞いたことがなく、スポーツ呼ばわりされるのを嫌厭する風潮もシーンには根強く残ってますが、いよいよスケートボードというものの勢いが軽視できなくなったこのご時世。若いスケーターを応援するさまざまな団体も発足し、かつては見向きもされなかったスケーターたちの活躍を今では学校や地域の自治体までも認めてくれるようになりました。かつての僕が考えていたような、学生が学校の表舞台で活躍できるスケートボードも、近い将来のことのようにすら思えています。健全であって然りですが、願わくばそこには、単なる得点重視型のそれではなく、スケートボードを取り巻くさまざまな側面や多様性が垣間見れるものであってほしいと思うところであります。
─Kazuaki Tamaki(きなこ棒選手)