初めてお会いする方々、それもスケートとは無関係のところで会う人との会話なんかで、自分がスケートボードを嗜む人間であることを打ち明けると、たまに聞かれます。「じゃあ(手でUの字を描いて)ハーフパイプとか手すりとか滑るの?」と。これは自分がスケートボードに乗り出した20年以上も昔から変わっていないし、自分よりも歴の長い方々はもっと以前から頂戴するFAQだったりするのでしょう。そう聞かれると、まぁ困る困る(笑)。ハーフパイプじゃなくバーチカルもハンドレールも一応の経験として持っているくらいで、ロクに魅せられるほどの技術や度胸というものを残念ながら持ち合わせておりません。かといって「やらねーっす!」と嘘も言いきれず、「若い頃にちょっとやったぐらいで今は、ハハッ…」と濁してみるのが精一杯。なんだか聞き手の想像するスケーター像になることができず、少々申し訳ない気持ち(汗)。
そもそもバーチカルなんてのは今も昔も地元になければそのイロハも覚えようがなかったわけですが、ストリートというかそこらへんの公園や広場、スポットで育ってきた自分としてはやっぱりハンドレールは憧れました。思い返すとスケボーを始める前に持っていたスケボーのなんとなくのイメージにも「手すりの上を走る」ってのはあったわけで。そんな「スケボー=手すりを攻める」がいざ自分で実践に移せた瞬間、つまりは初ハンドレールの瞬間というのは今でも強く記憶に残っています。通学時にいつも使っていたバス停があるのですが、その目の前にある建物のエントランスの3段ステアに突如ハンドレールが取り付けられたのです。といってもアプローチはほぼ皆無、そこで僕が選んだトリックはケイブマン。暗黙の了解のもとスケボーを学校に持ち込む日々だったのですが、通学に使うバスを待つ朝7時半過ぎの制服を着た少年がひとりで行った挑戦は無事成功したのでした。ここで「晴れて一人前のスケーターになれたぜ!!!」と悦に浸ったのですが、今考えると狂気でしかありませんね。
以降、自分でもやれそうな下りレール案件は手当たり次第、タイミング次第でやってみたりみなかったり。他のスケーター同様、「海外のライダーみたいなでっかいのカマしたい!」と意気込んでる時期もあったのですが、恐怖との戦いでもあるその道はやっぱり僕の性に合わず。かくして次第にハンドレールを避け、「あんなん若者がやるモンだぜ」と正当化し、その練習用として作られたであろうパークのレールですら怯んでしまうのが悲しき現実であります。なところで、30代、40代と年齢を重ねても果敢にレールに飛び込む猛者には無条件に敬意を。ハンドレールのパイオニアとして知られるパット・ダフィーとか50歳近い今でもレール攻めておられますからね。あぁ、ハンドレールをやりたくって、パークのレールで新技を次々トライしてた日々、どこ行った。
─Kazuaki Tamaki(きなこ棒選手)