「祖母の体調が悪化し、ここ1週間が山場かもしれない」という親からの一報があり、先の連休は祖母に会うべく地元沖縄に帰省しておりました。しばらく寝たきりの祖母とは会話こそできなかったもののまだ意識はあるようで、大した大人ではないながら、人一倍楽しく日々を過ごすことができている(と思っている)自分の人生について、また過去を振り返ってみて感謝の気持ちを伝えてきました。
祖母がいるのは県北部の農村地帯、僕の実家から車で1時間ほどのところ。病院にいるため面会の時間も限られたものになります。なのでそれ以外は基本的に実家でゆっくりと過ごした今回の帰省ですが、隙を狙っては実家の隣町にあるスケートパークでこっそりスケートしていました。隣町とは宜野湾市、米軍基地の普天間飛行場がある場所といえば聞いたことのある方も多いことでしょう。自分が中学の頃には立派な室内パークがあり、最近では市のふたつ目となるパブリックパークがオープン。それとは別に大きな公園の一部にスケートが許可されているエリアがあり、また最近まで室内ボウルが運営されていたりとスケートフレンドリーな市なのであります。砂川元気や伊波繁太、新垣アイキ・カナト兄弟や糸数基樹といった活躍を見せるスケーターが生まれてくる土壌なのも頷けます。
その宜野湾市に僕は10歳まで住んでいたこともあり、子どもの頃の思い出は数知れず。実家帰省のタイミングでたまにやるのですが、そんな幼少期を過ごした家の近辺をプッシュで徘徊するのが楽しみのひとつ。小学校の通学路、それも同級生らと探検みたくあっちからこっちからと何パターンも歩いて通った道を、今プッシュで通り直してみては当時の記憶が鮮明に蘇ってきます。すっかり古くなってしまった住宅街の中には新しく建てられた高層住宅が共存。そこにあったはずの個人商店や原っぱもなくなり、新しい道路や立体駐車場ができたりとやや新しい町並みに変貌しつつも、変わらないところは今も変わらず、30年近い昔と同じ香りがします。学校まで遠く、少ししんどく感じていた通学路も今の感覚では大した距離でもなく、プッシュで5分ほど。そんな地をあらためてスケーター目線で通りながら、「アイツ今どうしてんだろなー?」なんて当時の記憶を思い起こしてみてはなんだか胸が締め付けられる…そんな瞬間がたまりません。かつて過ごしたエリアを改めて徘徊する、実家を出て離れた場所に住むスケーターにこそオススメ。
「ここ1週間が山場」だった祖母も、幸いこれを書いている現時点ではまだ天へ旅立ってはいません。101歳というかなりの長寿であります。そうだ、自分が宜野湾市から転校した隣町の小学校、その卒業式でひとりひとり言わされた将来の夢で、とある同級生が「22世紀まで生きること!」って言って拍手が起こってたっけ。2101年ってオレら114歳じゃねーか!? うん、それを目標としよう、そうしよう。
─Kazuaki Tamaki(きなこ棒選手)